小野尻隧道(隧道内部〜中町側)


 

 

 

 

 やはり水は深くなかった.季節のせいもあるかと思うが,せいぜい脛の辺りまで水没する程度であった.積もった泥の下にコンクリートの感触.内部もやはり舗装済みであるらしい.水溜りは10〜20m程で終わり,確かに硬いコンクリートの路面が広がっている.両脇には側溝も作られている.

 隧道内部はかなり広く感じられる.横巾も高さも結構なものだ.資料によれば巾2間5分(約5m),高さは不明だが4m位だろうか.また延長は120間(約230m)と聞いているが,向こうに光っている出口まで相応の距離感がある.
 荷を置いてひとまず向こうまで一通り観察してみる.内部に目立った崩壊はなく,漏水跡の黒い汚れやコンクリートの石灰分の遊離による染みが広がるばかりだ.長手積みがどこまでも直線に伸びていて,鐘ヶ坂隧道や池田隧道で見られたような接続面もない.隧道全体ががっちりとした離散構造体を形成して,それが100年近くも保たれているという現実が目の前にある.感服の至り,である.
 中央部でも煉瓦を測定する.巾は215〜222mmとばらつくが,高さは59〜61mmでほぼ一定.機械造りの煉瓦に見られるというちりめんじわはなく,まだ手作りの頃の煉瓦が使われているようだ.目地の仕上げはポータル付近に比べて粗雑だが,合理的な手抜きと言えるだろう.こんな所を凝視するのは古今東西旧道倶樂部位しかいまい.

 反対側もまた少しく水が溜っている.金網は健在で,上を乗り越えていくしかなさそうだ.左の脇から荷を外に出し,自転車だけを担いで金網を越える.自転車には「担ぐ」という移動形態があることに感謝せねばならない.

 西口.同様に紫色である.付近の地質や含有成分に関係するものなのだろうか.こちら側はポータル全面が金網で覆われており,剥離した一部の石組や上から落ちてきた土砂で膨れ上がっている.そういえば扁額のようなものは西口も東口も見られなかった.隧道前の荒れ様はこちらのほうが酷く,杉やら何やらの倒木が幾重にも重なっていて,旧道出口までしばらく担がなければならない.道路脇にはそっぽを向いた高さ制限看板と,古い丹南町の看板が建っていた.

 

 

 隧道前に真っ直ぐ伸びる道の先は駐車場.新トンネルの脇に作られた休憩スペースのようだ.駐車場の手前で道は無くなり砂利敷きとなっているが,道の延長線上にはお地蔵様.宝暦九年(1759)の銘があり,きちんと旧道方向を向いている.そういえば隧道以前の小野尻峠はどこを通っていたのだろう.東側は新道と旧道との間の尾根に道らしきものがあったが,こちらには目だったそれがない.時間があれば調査したいところだが,内部調査で少し時間を取りすぎた.それにこの後,旧車道の続きを辿らねばならぬ.


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