大峠(調査)

■調査 Experiment


 現国道121号・山形側は,一歩山に入るとたちまち勾配を上げる他地方の道とは違い,たいへん緩やかで幅の広い道のまま山の中へと続いている.121号に限らず,東北の国道全体に言える特徴かと思う.2車線になる以前の道はいくぶん残っているようだが,断片化が激しくほとんどがBADBLOCK.つまり通り抜けることは不可能である.

 現国道の道沿いには草木塔が多く残っている(写真中央).米沢の名君・上杉鷹山の頃に作られたこの石碑は牛や馬に馬頭観音のあるごとく,草や木にも仏の慈悲をという意図で作られたものだといい,この周囲を除いては関東に数基あるだけだとか.「自然愛護のさきがけである」云々という解説はどうかと思うが,この地方の国風であることだけは間違いないだろう.この草木塔をつなぐ形で自然歩道も整備されているようだ.



 田島の道の駅のあたりより谷が一直線に見渡せるようになるが,その焦点にあるのが峠なのかどうかまでははっきりしない.実際に「あれが峠だ」とわかるのは峠直下になるまでおあずけである.したがってこの谷の大きさ(谷に沿う道の長さ)をして大峠というのか,会津の大峠のように大きなたわみであるから大峠なのかははっきりせず.ひょっとしたらもう少し谷底に下りたら大きな峠が見えるのかも知れない.道はここから緩やかにup-downを見せ始める.


 旧道へは普洞沢2号陸橋と3号陸橋の間から分岐.それという標識はないが,分岐を入って少しの所に「旧道通行止」の看板があるので正しい道だとわかる.陸橋の下をくるりと回って,新道とは別の谷へ入って行く.勾配はこれまでとさほど変わらないが,道幅は1.5〜1車線へぐっと狭くなる.初めのヘアピンの奥にある座沢のたもとから完全1車線となり,左右に振り回されるような細かなカーブが連続する登りとなる.地図でも目立つ最も大きな沢の奥でゲートが現れるが,周知の通り,自転車には通行止なるものは存在しない.


 ゲート以降は明らかに車の入っていない沢舗装(舗装の上に沢が流れていたりその跡だったり)であるが,この谷にある道はまだマシな方で,尾を越えて峠に向かい始める付近から慢性的に水浸しとなり,土砂流出や舗装の陥没,さらには上から滑り落ちてきた木が舗装の上で茂っていたり,聞いてないよの砂利ダートが出現したりする.しかもその砂利道の山側を守ってくれるはずの金網が,支えの鉄骨ごと倒れて道を塞いでいたりもする.恐ろしいこと限りなし,である.

 珪石採石場の錆びた鉄塔を過ぎると峠の峰がよく見え出すのだが,正しい道には50cmの隙間しかないコンクリートブロックバリケードがあって,報告者は見事に騙されてしまった.しかもここからあらぬ方向に延びる道があるので,諸兄は迷い込んでしまったりしないよう.



 ブロックをすり抜けて,すぐに高さ制限3.4mの看板が目に入る.峰に沿って伸びる林道から分岐するかのような形でトンネル着.トンネルの向かいで倒れかかっっている「福島県」の看板がいい味を出している.峠から見下ろす谷の眺めも,眼下の採石場の廃れた光景もあってたいへん寂しいものである.

 ふもとまでの15kmを延々と曲がり続ける福島側.峠直下のはじめの数個を曲がった時点ですでにデジャヴュに陥る.あまりに曲がるものだから自分がいま谷のどのあたりを走っているか全く解らず,写真を撮るタイミングがないまま,いつのまにか谷の右岸にいる自分を発見してしまう.右岸のつづら折れも峠直下のカーブ群に負けないつづら折れであり,これだけのカーブを導入しながら何故? と思わずにおれない勾配で転げ落ちるように下っていく.中にはヘアピンというよりも「η」字に,しかも3次元的に折れ曲がったカーブで曲がり下りる箇所もある.そもそもこの右岸の斜面は自然勾配が60度近いものであり,いくらヘアピンという武器があろうとも,通常はこんな所に道を付けようとは思わないだろう.計画した人間の顔が見てみたいと思ったことであった(が,のちに報告者は,その人物の顔写真を何度となく見ることになるのだ).


 

 

 

 

 標高差800m近くを一気に駆け下り,麓の根小屋集落に着く.トンネルの福島側に同じく,ここにも建設省の距離看板が残っている.福島側を登ろうとした時には初めて出会うことになる看板,その距離を見て,愕然としてしまうに違いない.



→Next

 

総覧へ戻る