吉野軽便時代の最大の遺構.薬水川と道路とを跨ぐ2連の煉瓦アーチ橋である.モノは目立つため人口によく膾炙した物件だが,本来ねじりまんぽで築くべきところを通常の巻きで処理していること,そのせいでポータルが右下下がりになっていることはほとんど気づかれていない.大正元年開通のこの線にはそのような合理化があった.

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