徳川道
[ORJ#19,#20,#21,#22,#23 連載(未完) 兵庫県]

■概略 Abstract
開国によって外国人が居留するようになった神戸の町.生麦事件の二の舞を避けるため,徳川幕府が取った政策は「西国街道を迂回させる」という消極策だった.その結果数十kmに及ぶ新道を築いたのだから積極的と言えなくもないが…….ともかくそんな江戸末期の新道,通称「徳川道」を歩いてみようという企画である.
.素材は良いと思うのだが,興味を持続させる工夫に乏しかった.六甲道から杣谷峠を越え,摩耶山の裏を通って自然植物園の中を突っ切り,弘陵高校の校門前を掠めて鈴蘭台白川源流を抜け…総合運動公園の辺りで終わっている.ともかく長く,果てしない.完全に諦めたわけではないので,そのうち気が向けばまた続きを歩きたいと思う.
(日本の廃道第19号,第20号,第21号,第22号,第23号掲載)