大 | 石 | | | 行政:大分県日田市〜山国町 | 標高:450m |
峠 | ■ | | | 1/25000地形図:深耶馬渓(中津16号-2) | 調査:2002年9月 |
■背景 Background 大石峠.
思えば,この峠を超える旧道に出会うために走り続けているのかも知れない.報告者が本格的に走り始めた1996年の夏,トンネルであるという予備知識以外に何も持ち合わせていなかったところにこの峠に出会った.旧道に対するイメージを払拭するに充分のインパクトであり.そして,そのインパクトを上回る峠は,未だに見つからない. しかも,崩壊寸前の.
■調査 Experiment
![]() 暗緑と灰褐色のカオスに縁取られた漆黒の穴.それが旧大石峠隧道である. 隧道自体は車がすれ違えるかというほどの幅と,それに見合った高さを有しているが,その隧道へ向かう道は一車線幅しかない.アンバランスな印象を受けるが,それは決して交通量対策でも施工者の奇矯によるものでもない.石灰質の非常に脆い崖を掘り抜いているため,自然に崩落を起こして広がっているのだ.その痕跡は,滑らかに湾曲した入口周囲ーーーこの場合ポータルと言うべきではなさそうだーーーに如実に現れている.
![]() 左に曲がるカーブを抜ければ,粗れ気味の杉林を経て,奥耶馬トンネル・耶馬渓側の上部を通る舗装道へと出てくる.道はこの先,現国道212号に沿って下るものと,字大石峠の集落を経由して山国町守実へ向かうものとに分かれていく.
■考察 Discussion 今日では国道212号の真上に位置するが,実はこのトンネルが国道212号であった期間はない.そもそも日田と耶馬渓,ひいては九州の一中心であった豊前とをつなぐ道としては,この峠の西にある伏木峠が古くから使われていた.江戸時代には日田の豪商の出費で石畳道が作られ,1.2kmに渡って現存するそれが「歴史の道」に指定されているようなエリート・ルートである.一方の大石峠は明治18年,馬車や人力車も通ることのできる道として開削され,長く伏木峠が担ってきた役割を一手に引き受けるようになった.しかしそれも,大正初期に伏木を通過する車道が完成するまでの20数年間だけの栄華であった.昭和50年代に奥耶馬トンネルとその前後を抜く国道・花月バイパスが完成するまでは,国道旧道でもなく,主要道でもなく,ただの道として空しく年を重ねていくことになる.勿論,国道旧道に「昇格」したところで何の特典がある訳でもないのだが. こんな姿の大石峠ではあるが,実は今でも立派に役目を果している.何度目かにこの峠を訪れた時,一人の女性が歩いて越えて来るのに出会った.まさかこんな所へ人が来るまいと思っていただけに驚いたのだが,字大石峠に住むこの方は,西側にある畑へ通うためにこのトンネルを利用しているのだという.登りの途中で見てきたあの畑だ.昔は多くの人が同じような畑作をしていたというが,次々とやめていき,今では自分だけだと教えてくれた.「国道を行くより便利やきねえ」と屈託なく語るこの方のためにも,この旧道にはまだまだ頑張ってもらいたいものである. ■参考文献 References
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