|行政:福井県河野村〜武生市標高:30m
|1/25000地形図:敦賀(岐阜15号‐3)調査:2004年11月

■調査 Experiment


 具谷第一トンネルを出てすぐに,旧国道は左手に折れ,谷の右岸に移る.明治の旧国道はこの谷最奥の集落・具谷を通らなかったらしい.入口には現在「この道通行止」と大書された看板があり,皮肉にもそれがよい目印になっている.

 その春日野隧道へ向かう前に,一つだけ注目したい遺構がある.谷を横切るこの地道の下に,実は.石製の暗渠が存在するのである.堤防のようになった道を逸れ,南側の斜面を谷底に降りると,小さな沢にかかる小さなアーチがある.

 高さ1m,巾2m弱の小さな石アーチが,コンクリートの台座の上に乗っている.石半個分ずつが露出した斜めの断面を見せているが,これは上の崖が崩れた影響だろう.当初からこのような形状ではなかったはずだ.
 コンクリートは新しいものの,石組みの色合いは古い.また表面の仕上げも阿曽隧道ポータルに似たなめらかな仕上げがなされている.河野村教育委員会に問い合わせてみたところ,やはり春日野道と同時期に作られたものだろうという回答を頂いた.

 アーチが小さい分,迫石は目に見えて台形な形をしている.計ってみれば底辺約45cm,頂辺約30cm,高さ60cm.水に接する土台はコンクリートで覆われているが,樋門北側は波型の鉄板で囲われたアーチとなっており,それと同時期に補修されたものと思える.

 あえて橋を作らず,このような暗渠としたのは何故だろうか.考えられるのは,石橋の文化がなかったであろうことはもちろん,付近に石橋を築くことができるほどの固い岩盤がなかったのではないかということだ.旧道は谷底から20〜30mほどの高さを通っており,その地点の谷幅はかなりのものがある.それだけの大スパンの石橋を支えられそうな岩盤は付近に見えない.
 但し,地形図を見るとこの暗渠の下流にも2つの水道トンネルが記されている.あるいは何らかの理由で新道以前に暗渠が作られていて,そこを新道建設に利用した可能性もある.これらとの関連も調べる必要があるだろう.

 

 


 

 

 さて,旧国道に戻ろう.谷の右岸に渡った旧国道は,1.5車線巾に1轍がついている地道でトラバース気味に登って行く.通行止とある割にはタイヤに撞きこねられてべちょべちょになった泥道だ.麓に近い区間は主に杉林.常緑の林に,黄色に色づいたカエデやブナが彩りを添えている.幹の間から見下ろせば下のほうに車の気配.そのうち具谷の民家も見えて来出して,道の脇には簡易上水施設も現れる.車の轍はここで途切れ,杉の落葉に埋もれてしまうが,山水でじとじとになった地道はどこまでも続く.

 

 


 

 

 

 先程の上水施設の回りに竹林があった程度で,沿道の景色はほとんど変化しない.小さな山のひだをひとつひとつ丁寧になぞってワインディングしていく.エンジン音が遠のいて,谷をわたる風の音ばかりになる頃,ようやく広葉樹中心の植生となり,右手が開けてくる.対岸には黄色の衣をまとった山肌も見え出す.左手の峰も梢を透かして空が見えるようになり,最後に大きな山のたわみを抜ける切通し.現トンネルがある谷とは別の谷に入って行くことになる.

 ほとんど高度を落さずにその先で別林道と合流.すぐ上流へ向かう.もうこの地点から,春日野隧道の雰囲気が伝わって来る.隧道が見えている訳ではないのだが,あのカーブの先に隧道があって,どう光景が転回して,というのが肌で感じられるのだ.

 そうしてその通りの位置に,その通りのシチュエーションで,春日野隧道は待っていた.予想外だったのは,隧道の前にやぐらを組んで「通行止 危険 トンネル出口崩壊の為」という巨大な看板が掲げられてあったことくらいだ.


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