国道8号旧道(桜橋〜具谷隧道旧道群)

■調査 Experiment

 河野の道の駅の先で国道8号はピークを迎える.切通しではなく大きく切れ込んだ自然地形である.ピークのすぐ東側から太良集落が始まっている.国道脇に巨大にな石碑があるが,明治27年に生まれた木村某翁を偲ぶものであって道とは関連が薄い.もう一つ並んでいるものも似たようなものらしい.

 ここから一本筋の通った谷を下る.全く絶妙な地形だ.路線選定のうまさ,というか目のつけどころというか,そんなセンスの良さを感じてしまう.杉津からじわじわと稼いできた高度を一気に放出し,右から谷が入ってきたところで底.正面に大きな橋がかかっている.昭和38年3月竣工で名を桜橋という.奥にはその前の年に出来た河野隧道が口を開けている.

 当然な話.37年以前の国道は,この谷の底を行った.桜橋南詰の交差点を左に折れて,足元にある村民運動場の中を通れば桜橋の下に出ることができる,道の付き方から言えば野球場の北側を回る道が旧道であるようだが,正確なところはわからない.見上げれば赤い鉄骨が青空によく映えて,これもまたなかなか美しい光景だ.

 その桜橋の下でくるっと回って河野川を渡る.この橋もまた桜橋という.アスファルトが敷かれてあり一見しただけではただの橋だが,実は石アーチであり明治の春日野道の遺構であったりする.

 側に掲げられた解説碑によれば,明治の春日野道工事の折に作られたものであって,北陸地方で石造りのアーチがあるのは大変珍しいという.当時は国道区間を番号で呼び,この石橋がある辺りが十二区.春日野隧道周辺が七区に相当するそうだ.男一日六銭の賃金で,河野から四十貫もあるセメント樽や石を背負って運んだともある.

 石橋の下には遊歩道もある.そこから見る石組は阿曽隧道のそれを思い出させる端正な面をしているが,石はやや小さく要石も目立つものではない.アーチのすぐ上に帯石があって,その上1mくらいも谷積みの石積みになっており,かなり重厚な作りと言えるだろう.
 それにしても北陸に石橋が少ないということは,石アーチの技法もまた無かったということだ.にもかかわらず金ヶ崎・阿曽・春日野と石ポータル・アーチ隧道があるというのは、考えてみれば不思議なものだ.そういえば同じ福井県にある旧北陸線の小刀根隧道が明治14年竣工.そのインパクトがよほど影響を与えたものと見える.

 石橋を渡るとすぐにゲート.その先は砕石場の私有地になっているようだ.砂っぽいアスファルト敷きの急傾斜カーブをぐるりと登れば,先程の河野隧道の北口に接続する.

 

 国道はまたここから登り.緩やかな2車線道を進めばすぐに具谷第2トンネル.延長88mと短い.当然,その脇には旧道がある.送電線が通っているので少しはマシか,と甘い期待を抱いて侵入するが,全然そんなことはなく,大谷のトンネル群に負けずとも劣らない廃れぶりであった.送電線も目の高さまで垂れ下がっていて気が気でならない.

 抜ければただちに第一トンネル.延長が少し増えて127mとなる.こちらはまだ車道巾を保っていて,乗ったまま抜けることが可能だ.この2つの具谷トンネルはいずれも昭和36年9月竣工であった.


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