瀧原洞


 1.5車線の大きなトンネルの隣に,ひっそりと残る瀧原洞.コンクリートブロック積みの質素なものである.確かにこのサイズなら破線道表記だろう.頑丈な金網が張られてあって,道としての機能は奪われている.

 

 斯様な小さなトンネルではあるがちゃんと扁額がかかっていた.右書きで瀧原洞.由良洞鹿瀬洞に近い当地ゆえの「洞」だろうと思ってちょっと愉快な気分になった.サイズも扱いも先輩格に及ばないが,それにあやかろうとした心持ちを察することができる.滝原村の村長氏の名前も見える.竣工は昭和3年.昭和不況に突入しようとする直前の,結構微妙な時期である.

 

 新トンネルを抜けると滝原の集落.トンネル路面とほとんど変わらない高さの谷にのどかな山里風景が広がる.今までの山深さとは打って変わった開放感.奥にそびえる滝原ダムが画龍点晴を欠くけれども,トンネルを潜っての場面転換はなかなか見事だ.

 滝原から川下にも川沿い道があるらしかったが,大変な迂回路になる上に,今日の地形図では破線道表記になってしまっている.トンネルを抜けなければ到達できない,一種の別天地みたような場所なのだ.

 反対側の坑口は集落のただ中にあった.家と家の隙き間にある寂れた道を入ってゆくと,すぐに山に突き当たって,そこが瀧原洞の東口.この身近感はちょっと竹田の旧隧道に似ている.家の角を曲がればトンネルが口を開けているというのは滅多に味わえる感覚ではない.扁額はこちらも同じで,かわりに東口には竣工記念碑らしきものが建っていた.

 

 

谷口又吉君現代之偉人也当地谷口亀蔵氏四男明治八年生少歳于大阪努力興産為人義恵愛郷念篤曩独資建役場今又瀧原洞開鑿岩淵森林組合瀧原區工費分担巨額要資區難之君出三千圓援助之爰除千古之難途得萬世之坦路區民歓喜勒石永記其徳
昭和三年九月瀧原區建之 森兵撰書
[石+ (桶-木)]齋刻」」

 瀧原の人による,瀧原の,瀧原のための隧道.大勢が力を合わせた大工事も素晴らしいけれど,こういったローカルな偉業もかけがえのないものに思える.そうしたちいさな史実を他所者にも教えてくれる石碑.いつ出会っても,石碑の有難さには感謝の言葉を失う.

 こちらは新しいほうの瀧原トンネル.昭和40年代に竣工,だったはずである.滝原洞にばかりかまっていてすっかり忘れてしまった.


→Next

総覧へ戻 る