杤原隧道(県道12号〜杤原)


■調査 Experiment

 

 

 

 県道12号は,北摂の数ある主要道のなかでも報告者の好きな道である.173号を北進し多田のダイエー前を左折すれば12号.多田周辺は交通量がそこそこある割に道幅が狭く,時おり車に煽られたりもするが,173号に比べればまだ楽しめる.多田大橋のたもとで山下方面からの道と合流し,いっそう喧騒の道になるものの,清和台への信号を越えれば静かな道が待っている.右手に猪名川を望みながら,そしてその対岸のさらに向こうには繁華な街があることを感じながら,鄙びた車道を進む.良い感じである.

 

 

 

 

 

 狭路の続く石道周辺も,自転車では苦になるものではない.ちなみにこの川沿い道はかつての村道であり,大正15年6月に大きく改修を受けているようだ.報告者も時おり休憩する石道の公園の向かいに,ひっそりと「村道改修記念碑」が建っている.

 石道を越えると清和台からの2車線道が合流してくる.休みの日などはこの交差点と多田大橋のたもとが大混雑し,なかなか渡らせてもらえなかったものだ.今はこの先に立派なバイパスが完成し,東に旧県道を残しているから.歩道を逆走していけばうまくクリアできるようになった.谷がきゅっと狭くなる差組,抜けるとコンクリート工場の青い建物.地形図名にもなっている広根の交差点には休憩にちょうどいい商店と自販機がある.その先の小ピークを越えて,猪名川町の中心部である.

 

 話は変わる.北摂は難読地名の宝庫だが,猪名川町の字名などはその最たるものだ.役場の北が柏梨田(かしうだ).次の三叉路を───県道を離れて───右すれば紫合(ゆうだ).目指す杤原隧道の手前には木間生(こもお).ちょっとやそっとでは読めるものではない,難読地名はその土地が古くから人が住み愛着を込めて使ってきた証.報告者は単純に羨ましく感じる.
 猪名川も穏やかな様相を呈してきて,河原にしつらえられた鱒釣場も繁盛しているが,その先の屏風岩の周辺で再び狭くなる.名前から察せられる通り,猪名川が削り取った高さ数十mの岩崖である.抜ければ能勢町山辺のような浅く広い谷が広がり,大野山麓の清水・杉生までこの広さは続く.

 現在の県道12号は「くろまんぷ」津坂隧道がある木津をバイパスしている.正面には小高い山.猪名川とともにその山に沿って回ってゆけば木間生である.さらに県道は猪名川の左岸に移って,緩やかに登ってゆく.

 

 その緩やかな坂道の頂上は,コンクリートブロック護岸の切通し.切通しの上にも道があるらしく,一本の簡易橋が渡してある.ここが杤原である.今まで何度も通っているが,気にかけたことすらなかった場所.だが,その脇に杤原隧道が眠っているらしいのだ.
 頂いた地図は護岸の北側(写真右手)に印がつけられている.現状は写真の通りの土の斜面であり,何気に木なども生えている.斜面の手前には道路の路肩からつながっているアスファルト敷きのスペース.その奥に,右手の岡に上がって行くコンクリート道がある.

 

 

 

 まず,斜面の麓に嶽薮に包まれるようにして建つ「改修記念碑」を発見.右側に「明治四十二年十二月」,建之者として「福原又四郎」の名が見える.その他には何も書かれていない.
 この石碑が道に面して建てられていたと仮定すると,隧道はまさにあの土手の辺りになる.そう思って振り返った報告者の目に,一筋の石が写った.

 笠石だ!


 

 枯れ竹を踏み越え,土手をかけ上がる.草に覆われた土手から,笠石が露出していた.胸壁の上2段分の石組みも見える.確かに隧道は『現存』した.安堵のあまりその場にへたり込む報告者.そのため草に埋もれていた栗のイガで膝を刺し,たいそう痛かった.

 ひとしきり悶えたのち,石組みをよく観察する.観察とは云え見えるのは笠石と胸壁の一部だけである.石も普通の凝灰石のようだ.予想される道筋と角度から察するに,ちょうどポータル中央付近のそれであるらしい.この下を掘ったら煉瓦の隧道が現れる.そう考えただけでわくわくしてしまう.阿呆である.

 

 さて,反対側はどうなっているのだろう.切通しを抜けて回り込んでみる.当り前だが土の壁───「坂」と表現したほうが妥当か───である.こちらには畑が作られていて,そのため隧道の気配すら感じられぬ.しかしながら.斜面の左手には当時のものらしい石垣が残っている.目のしっかり詰まった谷積みだ.津坂隧道の石ポータルと同じ材質で,目地にコンクリートも使われている.この石垣と笠石の一部,そして改修記念碑の3つだけが,杤原隧道を偲ぶよすがである.



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