津坂隧道(木津〜隧道)


■調査 Experiment

 県道12号を北上し,猪名川町のスポーツグラウンドを過ぎた先.広がる水田の向こうにポッコリと山が突き出しているのが目に入る.その左から低い尾根がつながっていて,目指す津坂隧道はその鞍部付近だ.現県道からも,そこへ至るための道とガードレールも見えている.

 

 

 右にカーブしてゆく県道の接線方向に,直進する形で木津集落への道.取り立てて何というものでもない,どこにでもありそうな民家の前を抜ける道だが,かつてはこれが主要道であった.その証拠に,集落内の橋のたもとに道路元標が残されている.猪名川町は昭和30年,北の六瀬村と南部の中谷村が合併してできた.その六瀬村の元標がこれである.あたかも隧道への道は,この道路元標の前を堂々と登ってゆく.

 

 

 

 楊津小学校の先から本格的な登りに.道幅は1車線ほどで,大きく鋭いヘアピンカーブでガシガシと登ってゆく.まっすぐ横に延びた尾根にとりついて登るものだから.上にゆくにつれて猪名川の風景を遠くまで見渡すことができるようになる.

 

 


 

 4つ目のカーブを右に折れれば隧道着.ただし,あまり期待しすぎていると少々拍子抜けしてしまうかも知れない.目の前に現れるのは四角いコンクリートの穴である.こちら側の坑口は厚いコンクリートで固められているのだ.さらに内部はコンクリート巻き立て・アスファルト敷きになっており,天井には照明灯が煌々と灯っている.黒い岩肌の素掘りだったために「くろまんぷ」と呼ばれていた頃の面影は,すでにない.しかしながら,こうして今でも補修が加えられ使われ続けている所に,利用している人々の愛着が感じられた.

 

 

 入口から3mほど奥の所に,かつての坑口の石組みが残されている.石は青みを帯びた礫岩(角礫岩)が中心.ノミで荒く面取りされていて,大きさはかなり不揃いだ.それほど苔蒸していず,比較的新しいもののようにも見受けられる.石組の目地はコンクリートが塗込められているが,剥離した部分を覗くとその奥に第二のコンクリートが見える.後者は石組を組む時に用いられたものらしい.粒度の高い砂を含む,やや赤茶けたコンクリートである.


 隧道はおおよそ100m.照明のお蔭で何かに怯えるようなこともない.コンクリート巻き立てには木枠に使った板の木目がくっきりと残っている.まるでコンクリート製の杉板をはめ込んだかのようだ.

 このような感じで近代的な装いとなっている隧道だが,隧道の構造自身に古さを備えている.この3次元的に捻じ曲がったゆがみ具合いを見てほしい.人間臭さが感じられはしないだろうか.両の側から掘り進めた導坑が行き違いになって,慌てて修正したらこんなになってしまった───そんな感じが,報告者はした.

 

 

 

 隧道を抜ける.林田の側は石組ポータルがよく残っている.銘板も何もない質素なものだ.報告者はこの石組が竣工時のものかどうかに強い興味がある.後に考察でも述べるが,現存最古の石ポータルの道路用隧道とされるのは,明治9年竣工の阿曽隧道.年代が確定すれば,それに次ぐ2番目の古さとなるのである.そしてこの隧道は日本土木学会の「近代土木遺産2000選」から洩れている.


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