浦代隧道(隧道内部〜米水津村側)


 ポータルから続く内部のアーチは30mほどで途切れ,素掘りとなる.その後2回,10mほどの短い区間が石巻きとなっている.地質の弱い所を重点的に固めているようだ.3番目の石組みの奥でトンネル幅が広くなり,6m内外の広いドーム状の空間が現れる.見上げるような天井に,前にも増して大きく感じられる.

 

 

 

 

 

 米水津村の側も,佐伯側と同様に石組アーチが断続する.よく見てみると,石組みの一つ一つの長さはまちまちだ.小は60cmから大は190cmまで,長短を組み合わせて一列としている.そうだ,この組み方は石橋そのものだ.いかにも石橋の国・豊後らしい石隧道ではないか.

 

 

 

 米水津村側の坑口はやや土砂に埋まり気味である.意図的なものではなく,自然に滞積したものらしい.坑口を抜けて振り返れば,佐伯側と寸分違わぬ質素なポータルである.

 道は隧道と直角に近い角度でつながっている.ここから見える範囲ではよく道幅が残っているが,路上には山から転がり落ちて来たらしい角張った岩がごろごろ.佐伯側とは少々勝手が違う.道幅があって見通しもいいのだが,この石のおかげで思うように進めない.自転車の車輪がいちいち凹凸を拾ってうっとうしい.褐色だった道もそのうち緑に侵食されていき,足を引き留める長くて強靭な蔓.道の中央から生えるクロマツを相手にしなければならなくなる.下れば下る程廃道度は上がって行き,齢数十年といった貫禄の広葉樹も生えてくる.

 一つ目のヘアピン付近から全く道らしくなくなる.冬でこれだったら,夏などはどんなになることか.


 

 

 

 

 二つ目のわやくちゃになったヘアピンの先で,この廃道化の根源に出会う.新道の切り通し護岸によって,道の半分程が切り取られていたのだ.幅は2mかそこらしかなく,首の皮一枚でつながっているに過ぎない.これでは車など入る余地がない.

 一段と草深くなった道を無理矢理薮漕ぎして,ようやく車道に復帰する.急勾配で草棒々なうえに車道の登り方向に向かって合流してくるため見落としてしまったようだ.振り返れば,さっきの米水津橋がすぐそこに見えている.



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