【標高】350m
【行政】京都府福知山市〜兵庫県氷上郡青垣町
【経緯度】北緯:35°15′50″/東経:135°02′33″
【水系】由良川水系和久川(支川?)〜加古川水系芦田川
【二万五千図】福知山西部:NI-53-14-13-3 京都及大阪13号-3
【五万図】福知山:NI-53-14-13 京都及大阪13号 \ S52修
【ツーリングマップル】関西 P21 5-B
この付近の峠は、国道429号側からきれいに見える。青垣町側からも見えないことはないが、山が手前に来て見えにくい。(な)
■編集者のコメント
2.5万図を用意する以外の予備知識を持たずに行ったのだが、現地で会った方に聞いてみると、古くは神戸街道と呼ばれていたようである。また海産物や農産品はもとより、嫁入りの行列もこの峠を越えたという。東芦田に住む方も、樽水に住む親戚の通夜で越えたことを語ってくれた。
道種は登山道(点線道)だが、街道の名にし負う立派な道の名残が残っていた。どちらがわも一部崩壊や雑木の密生で通れない所があったが、全体に渡って幅の広い、ゆるやかな道が続いていた。一部には石垣も残っていた。峠付近は幅が2mばかりもあり、人けのない杉林の中に忘れられたように残っている巾広の道の姿が印象的だった。
過去形ばかりになってしまったが、というのも、この道も樽水側から拡張の工事が行なわれていて、行った時には峠の北側ふもとから手前1kmほどまでが完了していたのだ。もう数か月もすれば、この北側の道はきれいに生まれ変わることだろう。残念な気もしたが、全く使われずに朽ちていくよりはましかなと思う。だが、南側はまだまだのようだ。教えてもらった道ではなく、街道として使われていた道(地図に載っている道)はほぼ手つかずである。登り口は少しわかりづらいが、県道との分岐の付近にある建設の専門学校のセミナーハウス敷地内から入ることができる。
蛇足ながらこの敷地には、明治時代までは増右衛門屋敷という屋敷があったそうだ。今から350年前に、この地を治めた柏原藩に仕えていた荻原(荻野だったっけ?)増右衛門という人物の建てた屋敷だったそうで、現在敷地の隅に記念碑が建っている。街道の峠口として重要な役割を担っていたのではないだろうか。(1997.3.:ながとみ)
■みなさんのコメント
■みなさんのコメント
しまだかずしさん:
私も蓮根峠へ2度ほど行きました。
こちらにレポートがあります。 (2003.09.28.)
→参照URL:http://www.ne.jp/asahi/shimada/yama-aso/anaura_2.html
■関連リンク
・島田一志さんの「山であそぼっ」より:蓮根峠 うーんあの工事はいったい何だったんだ
・国土地理院地形図閲覧システム:蓮根峠に相当する2.5万図
・国土地理院『うぉっ地図』:蓮根峠