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岳滅鬼峠 (がくめきとうげ)

【標高】 940m
【行政】福岡県田川郡添田町〜大分県日田市
【経緯度】北緯:33°27′23″/東経:130°55′12″
【水系】彦山川水系深倉川〜筑後川水系小野川
【二万五千図】英彦山:NI-52-10-4-1 福岡4号-1
【五万図】吉井:NI-52-10-4 福岡4号 \ S50修
【ツーリングマップル】九州 P14 5-F・N

 岳滅鬼山の東側、点線道のピーク。日本百名峠。

『・・「従是比豊前国小倉領」と刻まれた古びた大きな石標がある。「太宰管内志」に、「近比常足、彦山より日田郡ノ内まで、ものする事ありしに、豊前国田河郡との堺に、ガクメキ峠と云処あり、是より東南日田ノ方に下ルに、坂路甚けはしく、何の窟とか云て、窟中を通り抜けて、下ル処あり、甚めづらしき物なり、此辺より日田ノ郡の人家に出るまで、二里許の間すべて石は丸くて、山水の清らかなる事、英彦山に異ならず」とある。』[角川日本地名大辞典:44大分県・P250]
 江戸時代の文人・広瀬淡窓も文化7年(1810)にこの峠を越えて彦山へ参詣している(日記中では「叡土滅鬼の難所ごえ」)。彦山参詣の道として、また豊前へ向かう最短道としてよく利用されていた模様。

■編集者のコメント

 暮れも暮れ、平成8年の12月31日に登った。参考にした地図は山と高原の地図63・福岡の山々。大南林道は鬼スギへの分岐までが土と石の荒れたダート。ここから先は舗装が何か所かあり、平坦になってからは砂利道になる。岳滅鬼岳への分岐はここまで登ってきた道と同じような道で山への標識もある。だが、この道は数百mで行き止まり。終点手前の右手の杉林に小さな標識があり、道はここから右手の杉林の中に入って行く登山道となる(山高ではまっすぐな道で登って行くように書いているが)。杉林を抜けて尾根に出、本格的な登り。低木の中。一旦平坦になったあと杉林を左手に見ながら尾根沿いに進み、今度は笹薮の中、山の斜面を登って行く。初めの砂利道とは別の谷に入ったことになる。笹は腰まであるが下刈りがよくなされているので迷う事はない。この道を辿って行けばやがて岳滅鬼峠である。
 地名事典に書かれていた通り、「従是比豊前国小倉領」の石柱。2mはある大きなものである。これに向かい合う形で折れた石柱が一つ、そして地面に転がって苔むした石柱が一つ。計3つの石柱がある。いづれも同じ「従是比豊前国小倉領」であった。峠は鋭い鞍型になっている。残念ながら展望は利かない。そのかわり風情が十分ある。ここから岳滅鬼岳へは40分だそうだ。
 山高には南へ下る道が書かれていないが、ちゃんとした道が残っていた。半分岩場といっていいほど石がごつごつした登山道である。自転車を担いできたがこれでは乗れない。つづら折れを繰り返し、100m程下ると、かの常足殿もくぐった窟「法華窟」がある。何百年もの歳月を経てもその姿はしっかりと残っている。感激であった。
 この先少しの所で地形図白道(と思われる道)に合流。ここには標識と小野老人会の看板がある。この道は案外くせもので、登っているほうはりっぱな砂利道だが、下りは石ごろごろ、草ぼうぼうの道。間違っているのかなあと思いつつ下ると、再び別の道に合流する。これはわかりづらい。南から行くならかなりの注意が必要だろう。(1996.12.:ながとみ)

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■関連リンク

・ちょっと古いが花月川上流地域のフロラ(植物相)
・国土地理院地形図閲覧システム:岳滅鬼峠 
・国土地理院『うぉっ地図』:岳滅鬼峠
峠名覚書


岳滅鬼峠
 峠南側から。写真に写っている石柱は半ばで折れている。完全なものは左手に少し登った所にあり、たいへん立派なものであった。このほかにももう一柱折れて転がっている。(な)

岳滅鬼峠
 完全な国境碑。(な)

法華窟
 日田市の側に下る途中にある「法華窟」。(な)

法華窟
 日田側に偏額が。(はじめは華法窟かと思っていたのは内緒)。(な)


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