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峠名覚書

・峠名の覚書である。名前の由来が中心。
・基本的に「かも知れない」。引用のある以外は素人の単なる思いつきの場合が多く鵜呑みにするのは危険である。
・峠付近の地名に从うものは(アイヌ語地名や特に興味あるものを除いて)除外。
・分水嶺辞典他で記している場合はリンク先参照。覚書としてここに記すこともあり。
・最終的には出典をすべて明記すべし。
国土地理院地形図閲覧システムに感謝。地図の取り扱いについてはリンク先の注意書きを参照。
超漢字推奨。 ・最終更新は二〇〇二年十一月二十日。


| あ行 | か行 | さ行 | た行 | な行 | は行 | ま行 | や行 | ら行 | わ行 |

あ行

文&T219F65;魚越(あごうおこし)
調べた食材図鑑(笑)では熱海近辺とのみ記されてあったのだが、別の何かを読んでいたときに日本海の若狭付近でもトビウオのことをアゴというらしいことを知った。すなわちトビウオが越えるような所ということであろう。実際に10m弱の高さを飛び越え得るのかわからないが、さもありなんと思わせる場所にある。魚偏に「遙」の中身。
現地にて聞いてみた所、やはりトビウオ=アゴであった。高さよりも幅が狭い所に「アゴが越えそうな峠」という心持ちの焦点があるようだ。奥ノ浦からこの峠を越え、外海の水で塩を焼いていたそう。なお、現在のこの峠は美浜原発の敷地内(三号機の取水口付近)にあるため侵入すること能わず。
→国土地理院地形図閲覧システム:文&T219F65;魚越
味見峠
豊前から送られてくる無塩の魚が痛んでいないかどうかをここで味見して確かめたことから。下記リンク先の関連リンク参照。
→分水嶺辞典:味見峠
油坂峠
白鳥町側の峠道がたいへん険しく、登ると脂汗のような得体の知れないものが身体中から吹き出るほどであったことから。と、国土交通省岐阜国道工事事務所の「美濃の峠」にはある。他説ではとても滑りやすい峠道であったからとも(こっちのほうが古いような気がするが・・・)。
→分水嶺辞典:油坂峠
阿母峠
鹿児島県にあるこの峠、由来を知っているわけではないが、読みが「あぼんとうげ」である。誰かに教えたくて仕方がない。
→国土地理院地形図閲覧システム:阿母峠
幾寅峠
ユクトラウシュペツ(yuk-tra-ush-pet:鹿が登る所の川)から。ちなみに地元では地形図上の樹海峠(三ノ山峠)を幾寅峠といふなり。ユクトラウシュペツ川は地形図上の幾寅峠のほうから流れてくるため、意味合いとしては地形図が合っている。ただし樹海峠の駐車場にはかつてここにいたという忠犬を哀悼する石碑「幾寅峠の忠犬碑」があり、地元で「幾寅峠」=「樹海峠」の恒等式がかなり定着していることを物語る。幾寅峠が樹海峠になったのは南富良野町ができ東大演習林が成立した時だったと地名辞典にあり(ちょっとうろ覚え;約二十七万文字の孤独の中にある記述が正しい)。
→分水嶺辞典:幾寅峠
一〇九峠
昭和38年から39年にかけて善通寺駐屯の自衛隊施設大隊109部隊の手によって整備された道。施設大隊による整備は大分の九六位峠、兵庫の若杉峠など各地にあり。
→旧道倶樂部活動報告書総覧:109峠
→分水嶺辞典:九六位峠
→分水嶺辞典:若杉峠
犬越路峠
武田信玄の小田原攻略の際に、犬の先導でこの峠を越えたことから命名。下記リンク先で教わりました。
→「てなもんや登山隊隊長」のポケットの中で見つけた山の雑記帳
犬挟峠
字のごとくに犬も挟まってしまうような峠路(あるいは犬も越えがたい嶮岨)であったので。何で犬なんだろうと思わないでもないが、そこはそれ、犬越路峠の例もある訳で。ここで挟まった犬もひょっとしたら軍用犬だったのかも知れない。
→分水嶺辞典:犬挟峠
猪の鼻峠
いのししの鼻ではなく「居の塙」であろうか。岡の上の民居。実際さほどの傾斜地ではなく、ふもとからゆっくりと登っていく、下からの見通しのいい峠のはず。「居の端」として居住区域の境と見てもいいかも知れない。
入山峠
新和美峠の東側にある川が入山川。名前の由来という訳ではないが、覚え書きとして。
→分水嶺辞典:入山峠
請取峠
物資交換の場だったことからだそう。辞典本文のリンク参照。
→分水嶺辞典:請取峠
牛首峠
松尾俊朗の「地名考」(新人物往来社「地名の探求」P45)では「牛の首のように両方が高くて中の峠の個所が低くなった形容と見られる」とある。実際に越えてみて思ったのは、西から越えると両の谷が狭すぎて峠の鞍部を見ることなく峠に至ってしまうこと。東側からの峠を見ていないため何とも言えないが、谷そのものはたいへん広くまた見通しも良かったので、恐らくこちら側からの眺めを指したものと思われる。(地形図で見る限りはかなり深い鞍部になっているが、地に足をつけて見たときの眺めが重要なのは言うまでもない)
→分水嶺辞典:牛首峠
&T218D7C;峠(うすづくとうげ)
地形図では舂の旧字体(春-日+旧)で載っている。最近地形図閲覧システムが変更されこの峠は「うすづく峠」と表示され、「うすづく」で検索できるようになった。臼で穀物をつき白げるの意味。鳥取には他に舂米や舂米川という地名あり。
→国土地理院地形図閲覧システム・&T218D7C;峠[兵庫県]
右手峠
→分水嶺辞典:右手峠
善知鳥峠
道の両わきが狭まった狭隘地を「ウツ」「ウト」という。その流れと思われる。似たようなものに謡坂や獺越、&T225085;越、遅越、鵜峠(うのたお)など。九州では(川や谷に限って?)迫(サコ)といふなり。善知鳥峠にはその名前から流れ着いたと思われる伝説あり。
→分水嶺辞典:善知鳥峠
→分水嶺辞典:鵜峠
→国土地理院地形図閲覧システム:謡坂 (うたいざか) [栃木県]
→国土地理院地形図閲覧システム:&T225085;越(うそこし)[鹿児島県]
狼峠
地形図掲載の「狼」は「狼-良+一+艮」であって微妙に狼ではない。狼の旧字体かとも思うが超漢字でも出せず、「一+艮」という旁自体が存在しないようだ。何が間違っているのだろう。とはいえ意味としては御犬様の狼であることは間違いなく、それが伝わるのだから、そこまで拘る必要はないのかも知れない。
→分水嶺辞典:狼峠
大タワ
おおたわという読みの地名はさほど珍しくはないが、兵庫県篠山市のこの峠は山偏に定と書いて「タワ」と読ませる(兵庫県指定の自然公園になっており、峠には大きな看板もある。下記リンク参照)。この峠の隣にある小倉タワ(川阪峠)も同じ文字を用いている。恐らくここだけであろう。この字はGT書体にも大漢和にも入っていず、かわりに山冠に定の&T229041;がGTに含まれている。
→分水嶺辞典:大タワ
大峠
何でもない、どこにでもある名前だが気になる峠。標高が高いのか、登りがきついのか、何をもってして「大」とつけたのかその心持ちが知りたい。全国でおよそ60、山口県内だけでも七つある大峠、それぞれを比べてみたら何かわかるかも知れない。
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [北海道]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [青森県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [青森県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [青森県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [岩手県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [岩手県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [岩手県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [岩手県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [宮城県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠トンネル (おおとうげとんねる) [山形県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [山形県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [福島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [福島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [千葉県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [千葉県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [山梨県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [山梨県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [山梨県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [岐阜県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [静岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [愛知県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [愛知県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [滋賀県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [奈良県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おとうげ) [和歌山県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠山 (おおとうげやま) [和歌山県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [和歌山県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおだわ) [島根県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおたわ) [島根県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [島根県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおたお) [島根県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおたお) [島根県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおたお) [島根県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおたわ) [岡山県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおだわ) [岡山県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおだわ) [岡山県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおだお) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおたお) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大ヶ峠 (おおがたお) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大ヶ峠トンネル (おおがたおとんねる) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠トンネル (おおとうげとんねる) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおたお) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠トンネル (おおたおとんねる) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおたお) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおたお) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおと) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [香川県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおと) [愛媛県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおと) [愛媛県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠トンネル (おうととんねる) [愛媛県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おうたお) [高知県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おうとう) [高知県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとう) [高知県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとう) [高知県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠隧道 (おおたおずいどう) [高知県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [福岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [佐賀県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [佐賀県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [佐賀県]
→国土地理院地形図閲覧システム:大峠 (おおとうげ) [大分県]
福島県〜栃木県境の大峠は福島側の峠道から見ると大きなたわみとしてよく識別できる。山形県〜福島県境の大峠(大峠隧道)も山形側の谷が大きく、峠の鞍部を見渡せる部類に入るようである(少なくとも入り組んだ峠道という印象は少ない。どちらも谷の側面をトラバースする道であることが関係しているかも知れないが)。この他には山口市から美祢市に越える大峠、長門市〜美祢市の大ヶ峠を越えたことがあるが、こちらについては記憶が定かでなく、どうであったか即答することができぬ。大ヶ峠は峠付近から谷を見下ろせたように思うが・・・。
大弛峠、大垂水峠
大峠との絡みで気になる名前。大きなたるみ(鞍部)であるか、たるみを峠(峠道)と捉えてそれが大きいのか。大弛峠に関して言えば、峠の鞍部はさほど大きいものではないがそこを越える峠道はなかなか大儀なものである。
→国土地理院地形図閲覧システム:大弛峠〔山梨県〕
→国土地理院地形図閲覧システム:大垂水峠〔東京都〕
岩手にも大垂水という地名あり。
大場谷地峠
「ヤチ」は湿地を表す日本古来の名詞であり、またアイヌ語語彙にも沼沢の意味のYachiがある(J・バチェラーのアイヌ語語彙集)。同じようにニタ、ヌタも双方に同じような心持ちで使われる(使われた)湿地を示す名詞である。ただし前者は尾張あたりを西限とする東日本に多く、後者は西日本に多し(柳田國男・地名の研究 地名説考)。大場谷地峠は盛岡から鹿角に抜ける途中にあり。検索すると「大場谷地」という地名は秋田などに4つほどあり、「オオバ」にも何か独立した意味があるのかも知れない。
→国土地理院地形図閲覧システム:大場谷地峠〔岩手県〕

か行

鍵掛峠、カンカケ越
又を残してY字に手折った木の枝を道端の霊樹に投げ掛け、引っかかるか否かを試み、神に手向けると同時に身の運を占う習いが「鍵掛」。カイカケあるいはカンカケとも読み、ほぼ全国で行なわれた風習という。峠に目印としての霊樹があることが多いが、カンカケ占いをする峠ということか。下に掲げた例の中でも兵庫県の神懸峠などはこの心持ちをうまく表していると思う。(柳田國男「信州随筆」御頭の木:定本柳田國男全集22・P254)
耳取峠の項で参照している本では、小豆島の寒霞渓が以前は神懸山という名前だったことを例に挙げ、「掛」「懸」「欠」のつく地名はほとんど全てが崖や崩れた岩場を指すものとしている。大山の鍵掛峠などは荒々しい山容が印象的な所ではあるが、そうだとすると「神」あるいは「鍵」、カンという読みの共通点が無視されてしまう。どうなのであろう。
さらに思いつき。貝梨峠も、かいかけ占いをする梨の木があったということかも知れない。このすぐ南には梨の木峠があり、樹木の梨が関係するものと思える。
→国土地理院地形図閲覧システム:カンカケ越[兵庫県]
→国土地理院地形図閲覧システム:かんかけ峠 (かんかけとうげ) [福岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム:神懸峠 (かんかけとうげ) [兵庫県]
→国土地理院地形図閲覧システム:鍵掛峠 (かぎかけとうげ) [岩手県]
→国土地理院地形図閲覧システム:鍵掛峠 (かぎかけとうげ) [秋田県]
→国土地理院地形図閲覧システム:鍵掛峠 (かぎかけとうげ) [山梨県]
→国土地理院地形図閲覧システム:鎌掛峠 (かいがけとうげ) [滋賀県]
→国土地理院地形図閲覧システム:鍵掛峠 (かぎかけとうげ) [鳥取県]
国道183号のここ も鍵掛峠ではなかったかな。読みは kakkake。付近を通った時に建設省看板がそう言っていた。
甲子峠
1384年に温泉が見つかり、甲子の年にあたることから甲子温泉と命名。甲子園とおなじですな(って順番が逆か)。
→分水嶺辞典:甲子峠
カネラン峠
その昔カネランという名の知れたアイヌの酋長がいたそうだ。チャランケ(今ふうに言えば談判論争・独特の節回しで歌うように言争うそうだがとても恐ろしいものであったという)の名手で和人にも恐れられていた。彼との関連は不明だが必ず思い出してしまう人物。とはいえ名前自体が形象的なのだから逆もありえる。(金田一京助全集のどこか?)
→国土地理院地形図閲覧システム:カネラン峠[北海道]
瓶割峠
立杭焼が有名な篠山の北にある。山道が険しくて運ぶ瓶をよく割ったから瓶割峠。険しい山道に対して鍋割とか瓶割(亀割も?)といった名前をつけることは多いが、その割った人あるいは割ったもの(言い換えれば「割る」という心持ちの因って来たる所)がはっきりしているのはここくらいでろう。久住山にある鍋割峠(地形図には記載がないが佐渡が窪を挟んで鉾立峠の向かいにあり)などは、一体誰が何のために鍋を運んだのかさっぱり解らないような山中にある。鍋を運ぶというのも考えてみればめったにないことのはずで、必ずしも実検ではなかったろう。「運んだら割るかも知れんのう」くらいの心持ちだったのでは。
調べてみると石川と愛知、熊本にそれぞれ瓶割峠あり。前2つは窯業と関係があるかも知れぬ。
→分水嶺辞典:瓶割峠
粥新田峠
大場谷地峠の項参照。アイヌ語Nitat、湿地沼地を示すニタ、ヌタに由来すると思われ。それを念頭に置いて読むといかにもどろどろしていそうな感じが伝わってくる。
→国土地理院地形図閲覧システム:粥新田峠[埼玉県]
ガラメキ峠
百目木(ドメキ)・久留米木(クルメキ)などの地名は川の流れる様を形容したものという(「地名の研究」)。それに関連するかとも思えるが峠だけに不詳としておいたほうがいいかも知れない。今まで見たことのある説明は全て柳田國男のこの著述を引いており、他に何か説はないのか知りたいところ。ガラメキは榛名山山中にある「有名な」温泉の名としても知られ、何かの手掛かりになるか。岳滅鬼峠のガクメキとの関連も考えられるがこれも不明。何となく「時めく」のメクのように名詞を形容詞化するような意味合いがあるような→メキ。
→分水嶺辞典:ガラメキ峠
狩勝峠
石狩と十勝の境であり一字ずつを取って狩勝峠。このパターンの名前は多いが、北海道の場合は北海道大学の何とかという先生がこう命名したという記述をどこかで見たような見ないような。角川か小さいほうの地名辞典。よく考えるとこの峠、その対偶として十石峠があるなあ(この峠は支庁の境ではなく河川の境ということのよう)。
→分水嶺辞典:狩勝峠
→分水嶺辞典:勝北峠
→分水嶺辞典:石北峠
→分水嶺辞典:上紋峠
→分水嶺辞典:天北峠
→分水嶺辞典:天北峠
→分水嶺辞典:石北峠
→分水嶺辞典:根北峠
→分水嶺辞典:釧北峠
→分水嶺辞典:十石峠
→分水嶺辞典:日勝峠
その他にも塩狩峠や釧勝峠があり。
軽井沢越
「カルウ(背負う)」の連体形とする説が柳田國男の「地名の研究」にあり。大分県などでは今でもカルうを使う。
→分水嶺辞典:軽井沢越
崩土峠(くえどとうげ)、崩野峠(くえのとうげ)
崩れた崖あるいは不連続な地形?をクエというのは九州に多し。他地方の「ハケ」と同じ。玖珠町の大岩扇小岩扇のあいだの台地は「ハゲノ台(デェー)」であり、これは恐らく地形を言ったものと思う(デェーはやはり日出生台と同じように山中の平地というか台地というかそういう地形を示すものと思われる)。一概に九州=クエ地方という訳ではない。
→分水嶺辞典:崩土峠、分水嶺辞典:崩野峠
国見峠
峠からの眺めがよく、(自分の)国をよく見渡せるという心持ちから。山の名前から峠名になることもあるが、単独である場合は眺めのよい峠であることが多い。下記分水嶺辞典リンクなどはその例(経験者談)。
→分水嶺辞典:国見峠
→分水嶺辞典:国見峠
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 国見峠 (くにみとうげ) [北海道]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 国見峠 (くにみとうげ) [宮城県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 国見峠 (くにみとうげ) [宮城県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 国見峠 (くにみとうげ) [秋田県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 国見峠 (くにみとうげ) [栃木県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 国見峠 (くにみとうげ) [滋賀県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 国見峠 (くにみとうげ) [熊本県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 国見峠 (くにみとうげ) [宮崎県]
鞍掛峠
峠としては飛騨と美濃の境にある鞍掛峠が有名だが、全国的に分布している。鞍をかけたような地形? 岩崖のクラ?
→国土地理院地形図閲覧システム:鞍掛峠 (くらかけとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム:鞍掛峠 (くらかけとうげ) [三重県]
滋賀県〜三重県にかかる鞍掛峠には、天安2年(858)に惟喬親王が右大臣藤原良房の追討を逃れ都落ちした際にこの峠を越え、ここで馬の鞍を外して休憩した故事にちなむ名前だという伝承あり(by現地の看板)。それ以前は竜華峠という名前であったというが・・・。地形的に見ると峠前後はかなり厳しい傾斜であり、岩崖があったと見て差し支えないと思ったが、この斜面を車道が切り通して通っているため詳細は不明(峠の鞍部には岩崖は見られず)。さて、どっちを採る?
九六位峠
本文では角川地名辞典からの引用で済ませているが、正直な所「九六の方位」というのが理解できぬ。特に臼杵城から見て九六の方位って・・・?
→分水嶺辞典:九六位峠
毛無峠
荒れて不毛の地ゆえに毛無。全国には毛無山など多くの毛無がある。兀岳(はげだけ)も草木の生えない地なのであろう。標高が3141mだったら面白かったのだが。
→分水嶺辞典:毛無峠
瞽女ヶ峠
壇ノ浦から落ち延びた平家の残党がこの峠を越えて逃げたとき、瞽女に化けた仲間をこの峠に置いて追っ手を見張らせたことに因む。瞽女は三味線や歌唄いで生計を立てた盲目の女旅芸人。座頭と並んで日本のフォークロアを豊かにしてくれた陰の恩人である。
→分水嶺辞典:瞽女ヶ峠
五分一峠、十部一峠
何だか似たような由来がありそう。それだけの関銭を課したとか。
→国土地理院地形図閲覧システム:五分一峠 (ごぶいちとうげ) [福島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:十部一峠 (じゅうぶいちとうげ) [山形県]
御霊櫃峠
峠にある「櫃石」に村の安全・五穀豊穣を祈願して御霊櫃と唱えたのが名の起こり。
→分水嶺辞典:御霊櫃峠

さ行

再進峠
丹の原料である「辰」を採取する場所「採辰」からという話(葦書房:九州の峠)。丹の赤色には霊力があると信じられていた古代には重要な場所であったようだ。
→分水嶺辞典:再進峠
塞の神峠、才ノ神峠、才ノ峠、祭の神峠
村や集落の境にあって邪を遮った塞之神。当然のことながら峠にもその名前が多く残されており、微妙に違う字が当てられているのが面白い。才ノ峠は特に中国地方に多く、その一つは実際に越えたことがある(いわゆる峠ではなく登り下りの中途にあり、2つの村への分岐点といったほうが通りが良さそうな位置にある)。改めて心づいたのが、四国のサレガ峠も、山口のサエガ峠を間に置いて考えると塞之神と関連するものかも知れぬ。サレガ峠には今でも石組みの祠に石像が祭られており、あれが塞之神だったのかも知れない。
→国土地理院地形図閲覧システム:塞ノ神峠[山形県]
→国土地理院地形図閲覧システム:塞峠[広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:才ノ峠[島根県]
→国土地理院地形図閲覧システム:賽峠[岡山県]
→国土地理院地形図閲覧システム:祭ノ神峠[岩手県]
→国土地理院地形図閲覧システム:サエガ峠[山口県]
→分水嶺辞典:サレガ峠
坂本峠
 本来ならば「坂の本」であって峠下集落の名前であったはずだが、その坂本集落へ越えるための峠ということでこの名前になったようである。元の名前があったのでは。
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 坂本峠 (さかもととうげ) [岐阜県]
桜峠
 地味ながら数多くある峠。類似のものも含めると、地形図閲覧システムで37ヒット。
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [山形県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠牧場 (さくらとうげぼくじょう) [福島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜坂峠 (さくらざかとうげ) [新潟県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [新潟県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [新潟県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 大桜峠 (おおざくらとうげ) [新潟県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠トンネル (さくらとうげとんねる) [富山県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [石川県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [山梨県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [山梨県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [岐阜県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [静岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [三重県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [三重県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [滋賀県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [滋賀県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [滋賀県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [京都府]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [京都府]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [京都府]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [奈良県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [奈良県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [奈良県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [和歌山県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜ヶ峠 (さくらがたお) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜が峠 (さくらがたわ) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜が峠 (さくらがたお) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜ヶ峠 (さくらとうげ) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜ヶ峠トンネル (さくらがとうげとんねる) [愛媛県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜が峠 (さくらがとうげ) [愛媛県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらがとうげ) [愛媛県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [福岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 桜峠 (さくらとうげ) [大分県]
→国土地理院地形図閲覧システム:地名注記 : 霧桜峠 (きりざくらとうげ) [鹿児島県]
咲来峠、札久留峠
どちらも「さっくるとうげ」。sak-rupeshipe(夏の道)の意。ちなみに北見の留辺蕊も石北峠を越えて行き来する道をさすものらしく、資料によっては「峠道沢」という訳をしているものもある。ただし峠そのものを咲来あるいは札久留と呼んだのではなく、集落の名前としての地名であって、いわゆる鞍部を指す単語ではなかったようだ(つまりアイヌ語には狭義の「峠」を指す言葉あるいは心持ちがなかった)。算用師峠の「サニウシ」が端的に示しているように、峠そのもの(鞍部)はさほど重要視されていなかったということになり、鮭やうぐいの漁が生活の中心にあった彼らがあまり峠越えをする必要性がなかったことを物語るのではないか。と言ったら言い過ぎかな。
→分水嶺辞典:咲来峠
算用師峠
アイヌ語「サニウシ」(上り下りする所)の義。真澄翁がそう言うんだったら間違いなかろうて。分水嶺辞典本文参照。
→分水嶺辞典:算用師峠
辞職峠
赴任先への峠道の険しさからそこへ行くまでに辞職を決めたという話の伝わる峠。四国の程ヶ峠だけかと思っていたが、googleで調べると出て来る出て来る。柳田国男も「近年有名になった」と一言そえて辞職峠のことを書いている(小川路峠だったかな)。
軽岡峠
小川路峠
和歌山の辞職峠
程ヶ峠、布施が坂
静狩峠
尻労と同じでsiraru-tukari。岩崖(岬)の手前。
→分水嶺辞典:静狩峠
地蔵峠
言うまでもなく地蔵さんのいる峠。たくさんある。
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [岩手県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [山形県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [群馬県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [群馬県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [新潟県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [山梨県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 新地蔵峠 (しんじぞうとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [岐阜県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [静岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (ぢぞうとうげ) [静岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [静岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠隧道 (じぞうとうげずいどう) [静岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [三重県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [京都府]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [奈良県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [和歌山県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [和歌山県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [和歌山県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [鳥取県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [岡山県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [岡山県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠隧道 (じぞうとうげずいどう) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうだお) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうだお) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 六地蔵峠 (ろくじぞうとうげ) [徳島県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [愛媛県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [高知県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [福岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [長崎県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠トンネル (じぞうとうげとんねる) [長崎県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (ぢぞうとうげ) [熊本県]
→国土地理院地形図閲覧システム: 地蔵峠 (じぞうとうげ) [大分県]
ん、「ぢ」?
柴やかた峠
菅原道実が太宰府へ左遷される際にこの地を通り、柴で仮の庵を作って休んだことからこの名があると玖珠町史にあり。京→太宰府を考えたときにどうしてこんな辺鄙な所を通ったのかと思うのだが、それはそれ、官道に刺客が潜んでいることを恐れてわざと脇道を通ったのだそうだ。ちなみにこの付近の当時の官道はやまなみHWのそばにある立石池のあたりを越え、九重町野矢のあたりから玖珠町へ入るものだったと考えられている(「玖珠郡史」、昭和40年刊)。下ったところには字菅原があり、道実公を祭る菅原神社もある。その他、朝日長者伝説にまつわる謂われもあり(昭和50年代の大分合同新聞連載「峠」より)。
白髪峠
この付近に多いという神武天皇にまつわる由来あり。辞典本文のリンク参照。
→分水嶺辞典:白髪峠
白瀬峠
御池岳と藤原岳の間にある峠。現地や山と高原の地図では「白船峠」の名前で看板があるが、その理由を問いたい。東側の藤原町には白瀬小学校があるし、戦国時代にこの地にあった白瀬城は付近の城のなかでも最大級のものだったという。
→分水嶺辞典:白瀬峠
すねこすり坂(脚木摺峠)
国道173号の大阪京都境にある。今でいう天王峠。昔は脛木摺峠という名前のほうが有名だったようだ。
「能勢郡天王村の後にあり。所伝云、此所道曲り、石高く、木の根顕て足の蹈所を痛む。因て脚木摺と云り、自是丹波国籾井村に出る峠也。脚木摺塚、其部にあり。」(摂陽群談)
「天王村の後山なり。丹州籾井村に出づる。大坂天満橋より此嶺まで十一里二十七町四反。此所摂丹の界なり。一里が間牛馬通ぜず。特に阪路屈曲にして、石荒く木根高くして、往来の者足の踏途を患ふ。これによって脚木摺といふ。」(摂津名所図絵)
→国土地理院地形図閲覧システム:すねこすり坂(天王峠)
仙岩峠
秋田県の仙北郡と岩手の岩手郡をつなぐ。路線としては古くからあった国見峠道の一部を明治8年に改修し新道をつけたもので、その直後に峠を越えた大久保利通が「仙岩峠」と命名している(太政官日誌明治九年第三十号)。なお現在の車道の峰越え道はさらにその後、昭和38年に完成したもので、この車道峠も仙岩峠と呼ばれたらしい(峠に「國道仙岩峠貫通記念」と大書された碑あり)。
→分水嶺辞典:仙岩峠

た行

大菩薩峠
えーっと、この峠で「南無八幡大菩薩」と叫んだのは誰でしたっけ? 忘れちゃったなあ。
→地形図閲覧システム:大菩薩峠
田代峠
「地名の研究」によれば田として開き得る(山中の)平地というほどの意味。ただし尾瀬沼の周りにある小湿地が「○○田代」と名付けられたのがそう新しいことでなければ、言い換えれば明治以降の登山者の趣味によるものでなければ、山中の田代はこうした湿地帯を指していたものかも知れない。わざわざ山の頂きに田を作るため、その区画を田の代と呼んだのではなく、ただ単に田として転用しやすい湿地という心持ちで名付けられたのではないか。あるいはそうしたじめじめした地を戯れに田代と呼んだのかも知れない。もちろんそれを証拠立てるにはその湿地を探せばよいのだが、岡山県の田代峠にはそのような湿地は見当たらない。日本の中でも最も険しいところにある「田代」である。(と思ったら、この峠の北に田代集落があるなあ。議論が成り立たんぞ)
→分水嶺辞典:田代峠
知谷峠
出典は有紀書房(?)「北山の峠」のこの峠の項。ただ何時の何という戦だったかまでは書かれていなかったような。
→分水嶺辞典:知谷峠
仲哀峠
熊襲征伐にやってきた仲哀天皇がこの地に都をおいたという伝説に基づく。付近の郡名はいまでも京都郡(みやこぐん)。
→分水嶺辞典:仲哀隧道
月夜沢峠
木曽福島に設けられた関所をバイパスするために利用された間道。通行には月夜の晩が多く利用されたためにこの名前がある、というのは有名な話(ゆえに疑ってみたくなったりして)。峠の両側に月夜沢。
→分水嶺辞典:月夜沢峠
戸倉峠
戸倉の地内にある大森神社はかつて氷ノ山の山頂にあったが、参拝に不便なのを惜しんだ村びとが舂米村と出合村との三村で話し合い、時間を決めて神体を村へ持ち帰ろうということになった。が、他の村の人たちが早く行って持ち帰ってしまったため、この村の者がついた時には戸と倉しか残っていなかった。よって戸倉村という。という話が角川地名辞典に載っている。かなりな後付けの説明である。倉は岩場を意味する「クラ」から来るか。峰越えの道(古い戸倉峠)はこうした岩崖の切通しであった。戸倉、都倉、十倉といった地名が近畿を中心に散見される。
→分水嶺辞典:戸倉峠
戸平峠
旧道倶樂部活動報告書に記した由来は恐らく後から成ったものであろう。厚ぼったい葉の常緑樹で海岸近くに自生するトベラという木があるが、山中にこの木があったことが珍しく、地名として用いられるようになったのではないか。ちゃんと見ておけばよかったな。この木も同じ「戸平」という漢字をあてる。ヒイラギなどの代わりに節分の門飾りとして使われることもあるという(下記リンク)。少なくとも戸一枚くらいの広さを表現するのに「戸」と「平」をつなげて、しかも「トベラ」と読ませるのは少々むつかしくはないか。全く逆の考え方をすれば、戸一枚くらいの広さであることから「トヒラ」等と読んでいたものが前記の木の名前に引かれて「トベラ」となったのかも知れない。この地の開墾は比較的最近のことだが、うまいこと調べれば地名ができ変遷する過程がわかるかも知れない。ちなみに豊岡市の山中にも室町時代に戸辺羅という字があった(角川地名辞典のこの峠の項)。
http://www.kix.or.jp/~yoshida/spring/tobera.htm
http://www.jnc.go.jp/zfugen/jarekore/06tobe.html
トリガ乢
国道429号、兵庫県千種町と波賀町の間にある峠。峠には名前の由来を伝えるオブジェ風の碑あり。曰く、かつてこの峠には観音様が祀られており、ある日峠の左右の集落(千種町の岩野辺、羽賀側の斉木)がこの観音様を自分の集落にお祀りしたいとこの峠で話し合った。が、夕方になっても双方譲らず、いったん帰って明日の朝ふたたび登り、先に峠についたほうの集落が観音様を持ち帰ろうということになった。ということで一同は峠を降りたのだが、岩野辺の者の帰り道、金色に輝く鶏が現れて一声鳴いた。これは観音様が岩野辺に来られたいという印だろうと、岩野辺の者たちはそのまま峠に引き返して観音様を持ち帰ったという。現在の海福寺のご本尊がこの観音様だとか。
ちなみにこの峠は私の知る限りの「乢」最東端である(地形図閲覧システム+「兵庫の峠」による)。千種町にはこの他にも多くの「乢」があり、兵庫県の市町村でも唯一の例。面白いのは必ずしも背稜山脈や旧国境を越えるもの(=峠向こうの文化に影響される)に限っていない点であろう。すなわちとうげを乢と表記する「乢」文化とでも言うべきものが千種町にあったということで、戦国時代や近世の支配変遷を調べれば「乢」文化がどこから来たものか(あるいはどこへ広がっていったのか)がわかるかも知れない。
→地形図閲覧システム:トリガ乢

な行

中峠
千葉県にある「中峠」と書いて「なかびょう」と訓ませる峠。概して緩く今でいう丘のような地形。柳田説ではヒョウは一種の傍示であり、古くは山扁に票(&T218B5C;)の字を用いた。それがいつしか峠の字と取って変わられ、心持ちも「越えるところ」になったものであろう(「地名の研究・地名考説」)という。岡の上を意味する「塙」と似たような地形で千葉県(房総半島)を中心に多く分布。同文には多くの「ヒョウ」地名の例があり面白い。
投石峠
御荷鉾林道の峠群の1つ。弘法大師と鬼にまつわる伝説あり。屈伏した鬼が持っていた石の棒をこの峠から投げ捨てた。それが落ちたところが現在の鬼石町で、鬼石神社の御神体はこの石だそう。
→地形図閲覧システム:投石峠
山刀伐峠
最上町側が急で、尾花沢市側が緩やかな傾斜。被り物の「なたぎり」に似た地形なのでこの名前がある。とはいえ「山刀代」が正式名称なのでは?
→地形図閲覧システム:山刀伐峠
七曲峠
屈曲の多い峠路を表す名前として全国にあり。ちなみに○曲峠の中で最も多いのがこの七曲がりで、全国には九十九まで多くの曲った峠あり。
→国土地理院地形図閲覧システム:七曲峠 (ななまがりとうげ) [岩手県]
→国土地理院地形図閲覧システム:七曲峠 (ななまがりとうげ) [宮城県]
→国土地理院地形図閲覧システム:七曲峠 (ななまがりとうげ) [秋田県]
→国土地理院地形図閲覧システム:七曲峠 (ななまがりとうげ) [岡山県]
→国土地理院地形図閲覧システム:七曲峠 (ななまがりとうげ) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:七曲峠 (ななまがりだお) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム:七曲峠 (ななまがりとうげ) [福岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム:七曲峠 (ななまがりとうげ) [福岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム:十六曲峠 (じゅうろくまがりとうげ) [群馬県]
→国土地理院地形図閲覧システム:二十曲峠 (にじゅうまがりとうげ) [山梨県]
→国土地理院地形図閲覧システム:四十曲峠 (しじゅうまがりとうげ) [鳥取県]
→国土地理院地形図閲覧システム:四十八曲峠 (しじゅうはちまがりとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム:九十九曲峠 (くじゅうくまがりとおげ) [愛媛県]
鍋越越
細かいことかも知れないが、地形図では鍋越「越」であり、「鍋越」という地形を越えることになりはせぬか。鍋を伏せたような地形を越えるから鍋越、という説明はできるかと思うが、山形〜宮城の鍋越越、岩手県の鍋越峠など、必ずしもそういう地形ではない鍋越もある。「なべこし」という読みに何か秘密があるのでは、と下衆の勘ぐってみる。
→分水嶺辞典:鍋越越鍋越峠
西ウレ峠
→分水嶺辞典:西ウレ峠
入内峠
入内集落へ越える峠だが、内はやはりアイヌ語のNai、川から来ているものと思われる。生保内ほか東北には○○内の地名多し。
→分水嶺辞典:入内峠
野沢欠峠
その年の豊作祈願や占として烏に餅を与える風習があり、東北辺では藁で編んだこの餅の苞を「ノサ」といったそうだ。これを正月四日あるいは二日に樹へつるす行事を「ノサカケ」という。出典には山形秋田の海岸での風習とあり、また同じ意味のノサの語が岩手青森の旧南部領にもあったとある。このあたり一帯は特徴的なゆるやかさを有した地形であり、崩れた崖という意味で取ることには非賛成である。(「野鳥雑記」烏勧請の事:定本柳田國男全集22・P152-153)
→分水嶺辞典:野沢欠峠

は行

蠅帽子峠
地形図からは消えているが幕末の竹田耕雲斎一行が越えたりなどしている由緒ある峠。這法師峠とも。「(註:峠の越える)這越山は越前のさかひにありて名細記に灰ホウジ山とかけり」(新撰美濃誌)、「夏は蠅多き故往還の者帽子をかふり通る故の名なり」(越前国名考)。どちらも角川地名辞典からの孫引き。現地には根尾村の教育委員会が建てた「這星峠」という案内看板がある。これも何か因って来たる所がある名前なのか。
→分水嶺辞典:蠅帽子峠
旗返峠
戦国時代、島津の軍がこの峠を越えて大友領内に進入し、その帰路を追撃する大友軍との間で戦闘が起こっている。この戦闘で島津軍が旗を巻いて逃げ帰ったことから「旗返峠」という名前がついたとか(敗退したのは大友軍という説もあり)(大分合同新聞昭和52年11月16日付夕刊・『峠』第64回)。ただ、本文でも引用したように江戸時代の表記は「畠返嶺」であったらしく、途中で変化→元に戻ったというのは考えにくいような気がする。
→分水嶺辞典:分水嶺辞典・旗返峠
発荷峠
web上で「かつては薄荷峠と呼んだが『荷が薄い』という縁起の悪さを嫌って『発荷』にしたという」という記述を見かけた(頁は失念)。ということは薄荷すなわち例の植物のハッカに因むものであろうか。薄荷の栽培は明治に入ってからさかんになったというが自生のものも多くあったようだ。ただしこの近辺にあったかどうかは不明である。栽培した薄荷を運んだ峠だったのかも知れない。
→分水嶺辞典:分水嶺辞典・発荷峠
八草峠
岐阜側に流れるのが八草川。昔は八草集落があったが山崩れで消滅したという。このあたりは焼畑農業が盛んだったところで、焼畑を「ソレ」「ゾレ」「ソリ」といったそうだ。八つ、あるいは多くの焼畑があったための名かも知れない(川上のそばにある大草履(おおじより)を焼畑を意味していたものかとする説が柳田國男の「地名の研究(地名説考反町の章)」にあり)。
→分水嶺辞典:八草峠
はらがたわ峠
北摂越譜にもあるように「はらいがたわ」「はらいがため」等の名前があって固定していない。現在の173号ピークのトンネルは「はらがたわトンネル」であり、今の地形図でもこれを採用している。なお’73頃には地形図でも「はらいがたわ」であったことに注目。摂陽群談や摂津名所図会など江戸時代の地理誌は、この奥にある天王峠や脛木摺坂(すねこすり坂)のことは書いてあるのだが、そこまで至るのに必ず通らなければならなかったはずのはらがたわ峠については一言も触れていない。妙だ。
北摂越譜
伴睦峠
国道293号。自民党副総裁も務めた政治家・大野伴睦の尽力によって整備されたのだそう。岐阜に生まれ港区下高輪に住んだ彼がどうして茨城県のこの峠に名前を止めるようになったのか。彼が生地近くにあった平井坂という峠にトンネルを作ることを公言?していたこと位しか調べられていない。ちなみにこの人が「代議士落ちればただの人」の名言を残したらしい。
http://www.intio.or.jp/kenta/drive/R293/R293_2.html
http://www.gifukoku.go.jp/mino/touge/001/examine.htm
美女峠
地元では古く「ぐじょうげ」と呼んでいたことが「飛騨の峠」にあり。郡の境?
→高山国道工事事務所の飛騨の峠
→分水嶺辞典:美女峠
美笛峠
→旧道倶樂部活動報告書総覧:美笛峠
姫待峠
本文中の説明は余りにも心許ない。
→分水嶺辞典:姫待峠
二口峠
 現在の二口林道が嶺を越えているところを、古くは清水越と呼んでいたそう。またその北にこれとは別の峠(山伏越)があって、両者の東側の峠道はほぼ同じ。仙台藩からすれば米沢藩への入り口が2つあることになり、二口街道という道の名前はこのことからつけられた。これがのちに峠の名前として定着したわけである(無明社出版:東北の街道)。ちなみに現在の地形図では山伏越のほうに二口峠と記してあり、林道の峠は無記名である。
→分水嶺辞典:二口峠
不土野峠
→分水嶺辞典:不土野峠
山毛&T22F137;峠(ぶなとうげ)
山毛欅峠と同じくぶなとうげ。木偏に挙。&T22F137;あるいは欅一つでぶなと読むはずだが何故か山の毛の欅。
→国土地理院地形図閲覧システム:山毛&T22F137;峠 (ぶなとうげ) [岩手県]
→国土地理院地形図閲覧システム:山毛欅峠 (ぶなとうげ) [山形県]
一二峠
角川の地名辞典に由来が載っていたはず。七美五郷を足して一二だったか・・?
→国土地理院地形図閲覧システム:一二峠 (ほいとうげ) [兵庫県]
ちなみに漢数字だけで構成される峠というのは結構な数がある。
→国土地理院地形図閲覧システム:三峠 (みそね) いわゆる鞍部ではないけれど
→国土地理院地形図閲覧システム:十二峠 (じゅうにとうげ) [秋田県]
→国土地理院地形図閲覧システム:十三峠 (じゅうさんとうげ) [神奈川県]大阪にもあり
→国土地理院地形図閲覧システム:五十三峠 (53とうげ) [岐阜県]
→国土地理院地形図閲覧システム:七三峠 (ひちさんとうげ) [兵庫県]
→国土地理院地形図閲覧システム:四十峠 (しじゅうとうげ) [新潟県]
→国土地理院地形図閲覧システム:五百峠 (ごひゃくとうげ) [宮城県]
五百峠は石川にもあり。どちらかは失念したが京から数えて500番目の峠だからという話がある。事実かどうかは別として。同じように紀伊大阪の境にある七越峠も葛城山地の西端から数えて7つ目に相当するからというのをどこかで読んだ記憶がある。大川、孝子、雄ノ山、風吹、志野、蔵王で七越?
鳳坂峠
古くは「這坂」と書いたようで、「鳳」は嘉名みたようなものらしい。這うほどきつい峠だったから。従って「ほうさか」という訓みだと思うが、ひょっとしたら読みすら変わっているかも知れぬ。実際に訪れてみたが、峠の西と東で全然違う険しさであった。
→分水嶺辞典:鳳坂峠
傍示峠、坊地峠、ホウジ峠、ほうじが峠
村や藩の境を示すために立てた棒杭(傍示)から。峠は基本的にこうした境であったから、さぞかし多くの傍示峠があったことであろう。そうした中で現在まで生き残ったのがボウジ峠ともいえる。地形に注目すると、中国の傍示峠、傍示ヶ峠、坊地峠(そして恐らく四国のほうじが峠も)など、峠近辺が非常に平らかであるという共通点をもつボウジ峠が多い。おそらく常の峠に比べ「ここが境」というのが判りにくいため、立てた傍示が「峠」のイメージと重なりやすく、峠名として定着したのではないだろうか。むろん秋葉街道のホウジ峠など裏付けにならない例もある。
ということで調べてみると、「ぼうじ」=「平たい峠」が成り立つのはほとんどすべて中国地方の峠の模様。四国のほうじが峠はやや例外的。
→分水嶺辞典:傍示峠
→分水嶺辞典:傍示ヶ峠
→国土地理院地形図閲覧システム:傍示ヶ峠 (ぼうじがとうげ) [岡山県]典型的
→国土地理院地形図閲覧システム:傍示峠 (ほうじがたわ) [岡山県]越える方向に長い
→国土地理院地形図閲覧システム:法事峠 (ぼうじとうげ) [山口県] 典型的
→国土地理院地形図閲覧システム:法師峠 (ほうしとうげ) [和歌山県]これは違う?
→国土地理院地形図閲覧システム:法ヶ峠 (ほうがたわ) [岡山県] 読みは違うし集落名だが地形的に同類
→国土地理院地形図閲覧システム:ホウジ峠 (ほうじとうげ) [静岡県] 違うかな
→分水嶺辞典:ほうじが峠
→国土地理院地形図閲覧システム:坊地峠 (ぼうぢだわ)
細尾峠
確認はしていないが、峠道が細い尾根筋道だったからでは? 足尾町側の峠道には「地蔵尾」という地名があり、車道もこの尾根をつづら折れで登っていく。
→国土地理院地形図閲覧システム:細尾峠 (ほそおとうげ)
母成峠
 古くは保成峠と(も?)書いた(角川地名辞典?)そうだから「母」の字義とは関係ないだろう。福島県石川町の方言で「ボナル=どなる、泣く」というのがあり、こちらと関係がありそうに思える。この他にもボナルを使う所は広くあるようである。
ホハレ峠
 登りのきつさに頬が腫れるから「ホオハレ峠」。岐阜県揖斐郡教育会制作の「道」には峠北麓の門入に住んでいた人の聴き語りという形でこの由来を載せている。なお、渓流釣りを愛した山本素石はこの峠道を実際に歩いているが、門入から川上(峠南麓)へ向かうのに六時間かかっている。南北に伸びるこの峠道、行きは東日、帰りは西日で、それゆえに頬が日焼けたのかも知れないと言っている(朔風社・「渓流物語」)
旧道倶樂部活動報告書総覧・ホハレ峠
幌内越峠
horo-nai で「大きな川」。越は和語の越えるかも知れず、または厚岸などのkesh「通って行く」かも知れない。同じことが太魯越峠にも言える。
分水嶺辞典・幌内越峠

ま行

三国峠
 基本として一応押さえておこう。三つの国の境にあったから三国峠。山の名前として三国山があり、そこから三国峠の名前がつく場合と、本当に三国の境にある峠の場合がある。
→国土地理院地形図閲覧システム:: 三国峠 (みくにとうげ) [群馬県]
→国土地理院地形図閲覧システム:: 三国峠 (みくにとうげ) [山梨県]
→国土地理院地形図閲覧システム:: 三国峠 (みくにとうげ) [山梨県]
→国土地理院地形図閲覧システム:: 三国峠 (みくにとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム:: 三国峠 (みくにとおげ) [兵庫県]
ついでにいうと「三郡峠」もこの仲間。九州の三国峠は有名で分類の後者に相当するが地形図に表記されていない。
水越峠
 峠なのに水が越えるというのも変な話だが、灌漑の進んでいなかった昔は農業に欠かせない水の確保に相当な苦労をしたようだ。それこそ本当に水が峠を越えるような堀を作ることもあったようである(大阪の水越峠。権兵衛峠にも峠越しの灌漑水路が作られていた)。また中央分水嶺にもなっている広島の水越峠は、ナルい峠付近がいくぶん湿地的になっているところで、これらの水を三和町側の溜め池へ流す仕組みになっている。
→国土地理院地形図閲覧システム:水越峠 (みずこしとうげ) [三重県]
→国土地理院地形図閲覧システム:水越峠 (みずこしとうげ) [大阪府]
→国土地理院地形図閲覧システム:水越峠 (みずこしとうげ) [和歌山県]
→国土地理院地形図閲覧システム:水越峠 (みずごしだお) [島根県]
→国土地理院地形図閲覧システム:水越峠 (みずこしとうげ) [島根県]
→国土地理院地形図閲覧システム:水越峠 (みずごしたお) [島根県]
→国土地理院地形図閲覧システム:水越峠 (みずこしとうげ) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:水越峠 (みずこしとうげ) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:水越峠 (みずこしとうげ) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム:水越峠 (みずこしとうげ) [広島県]/分水嶺辞典:水越峠
→国土地理院地形図閲覧システム:水越峠 (みずこしとうげ) [大分県]
いちばん水に苦労したであろう中国地方に多いのに注目。
耳取峠
 NHKブックス337『現代「地名」考』の序に全国に同じ名前の地名が分布しているということの例としてこの峠がちらと出てくる。耳が取れるほど寒いという心持ちを表したものらしい。これを見て真っ先に思い出したのが、四国の中央分水界上にこの峠と「寒風越」「寒風山(隧道)」があること。分水界を境にして気候が大きく変わるということを如実に物語る・・・と思いきや全国に寒風という地名は(分水界に関係なく)沢山あるのだった。耳取という地名も17件近くあり。愛媛には2つの耳取峠がある。
分水嶺辞典・耳取峠
分水嶺辞典・寒風越
分水嶺辞典・寒風山隧道
物見峠
これはそのまま、物見のやぐらがあったから。わかりやすくていいな。
分水嶺辞典・物見峠
持越峠
 賀茂川水系と大堰川水系の分水界に相当するこの峠、前者の雲ヶ畑に住んでいた人々の中に往生人が出たときは、御所で使う水のことを慮ってこの峠を越えた大堰川側に葬ったのだという。京都北山には2つの持越峠があり、もう一つにも似たような由来がありそう。
分水嶺辞典・物見峠

や行

矢立峠
 峠など村々の境にある神木へ矢を射て手向け、旅路の安全や武運長久を願った風習が「矢立」。大分の梓峠には豊後杉という大杉があったが、これが落雷で倒れた際に中から多くの鏃が出てきたという実例がある(柳田國男・「信州随筆」矢立の木/笈埃随筆)。
矢筈峠
 矢の切り羽(矢筈)のように中凹みな形の地形をこの名で呼ぶ例は、峠に限らず、山そのものや島などにもあり。
山中峠(中山峠)
 ふつう峠は山の中にあるものなのに、それを敢えて山中峠(中山峠)と呼んだ心持ちは如何。峠を越えた先の集落まで遠いから「山の中」という感じがしたのだろうかと思うものの、中国地方の2つの山中峠はそう長くない峠道である。福島の中山峠は峠に集落があるほどだし。両の山が迫っているとか森が深いとか、(昔の)峠道の「雰囲気」が山の中と感じさせたのだろうか。重箱の隅をつつき過ぎとは思うが。
→国土地理院地形図閲覧システム・山中峠 (やまなかとうげ) [福井県]
→国土地理院地形図閲覧システム・山中峠 (やまなかとうげ) [岐阜県]
→国土地理院地形図閲覧システム・山中峠 (やまなかたお) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム・山中峠 (やまなかだお) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム・山中峠 (やまなかとうげ) [宮崎県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [北海道]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [北海道]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [青森県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [岩手県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [岩手県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [秋田県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [福島県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [福島県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [福島県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠(楊枝峠) (なかやまとうげ(ようじとうげ)) [福島県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [福島県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [茨城県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [群馬県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [東京都]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [新潟県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [山梨県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [長野県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [静岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [京都府]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまだお) [広島県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまだお) [山口県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [福岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [佐賀県]
→国土地理院地形図閲覧システム・中山峠 (なかやまとうげ) [宮崎県]
山伏峠
山伏がいたからという尤も至極な由来が多い中で、岩手県の山伏峠には「大量の虻に襲われて山伏が死んだ」という謂れが伝わっているという(伊藤桂一「峠をあるく」)。実際に東北地方の虻のすごさを体験した私にとっては誇張とも思われない由来である。
→国土地理院地形図閲覧システム・地名注記 : 山伏峠 (やまぶしとうげ) [岩手県]
→国土地理院地形図閲覧システム・地名注記 : 山伏峠 (やまぶしとうげ) [秋田県]
→国土地理院地形図閲覧システム・地名注記 : 山伏峠 (やまぶしとうげ) [埼玉県]
→国土地理院地形図閲覧システム・地名注記 : 山伏峠 (やまぶしとうげ) [静岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム・地名注記 : 山伏峠 (やまぶしとうげ) [静岡県]
→国土地理院地形図閲覧システム・地名注記 : 山伏峠 (やまぶしとうげ) [三重県]
→国土地理院地形図閲覧システム・地名注記 : 山伏峠 (やまぶしだわ) [兵庫県]
→国土地理院地形図閲覧システム・地名注記 : 山伏峠 (やまぶしとうげ) [高知県]
夜昼峠
下記リンク先ではああ言っているが、まったく疑問がないわけでもない。夜昼集落あっての夜昼峠ではないのか。峠が先か集落が先か?
分水嶺辞典・夜昼峠

ら行

雷電峠
礼文華峠、猿留峠と並んで蝦夷三嶮と恐れられたこの峠。義経とともに北海道に渡った弁慶が、この峠で「来年また来る」といった「来年」が訛ったものだという言い伝えあり。(笑)とかつけてはならんな。これも民俗史の一史実なり。ついでに言うと雷電山の肩にあるので山名のほうが先についたものと思われる。雷電という地名は長野より東にしかない。
→国土地理院地形図閲覧システム:雷電峠
来満峠
「ライマン」をアイヌ語の「死せる・湖(沼)」と解く説があったように記憶しているが詳細は不明。仮にそうだとしてもこの峠の名前の由来であるかどうかも不明。そもそも来満峠の来満集落はどこにあるのだろう? 出典は全集のどこかだったが「地名の研究」ではなかったような。(なあんか煮え切らない文章だな)
分水嶺辞典・来満峠
礼文華峠
旧道倶樂部活動報告書総覧・礼文華峠

わ行

和美峠
「たわみ」→「わみ」→「和美」とする古説あり。リンク先参照。
分水嶺辞典・和美峠





































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