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金辺峠 (きべとうげ)

【標高】 220m
【行政】福岡県田川郡香春町〜北九州市小倉南区
【経緯度】北緯:33°44′09″/東経:130°51′28″
【水系】彦山川水系金辺川〜紫川水系紫川
【二万五千図】金田:NI-52-10-2-3 福岡2号-3
【五万図】行橋:NI-52-10-2 福岡2号 \ S55修
【ツーリングマップル】九州 P9 3-E・N

 国道322号。大分水界の定義(日本国勢地図帳)によれば、九州分水界の北端は遠賀川の東岸、水巻町のあたりから始まり、直方市と北九州市の境付近、この金辺峠を通って、味見峠につながっている。OUCC20thの時に選定された分水嶺からは外れている。
 ずっと以前は「木辺峠」と書いたらしい(「太宰管内誌」)。これが「金辺峠」に変わった背景にはこんな話がある。

『時は江戸時代初期、小倉藩の領主細川忠利侯の頃、金辺峠を中心に多量の金を産出しており、金辺峠に金無垢の仏像を安置し、茶屋の伝七じいさんに管理をまかせていた。やがて細川家は熊本に移封され、金の観音像も領主と共に熊本へ旅立っていったが、その夜から、熊本の殿様と伝七じいさんの両方の夢枕に観音様が立ち、「金辺へ返してくれ」という。金無垢の観音像を返す訳にもいかず、困り果てた細川の殿様は同じ姿の観音様を木彫りで造らせ魂を入れ、金辺の伝七じいさんに任せたと伝えられている。』[葦書房発行/九州の峠:P242
 この観音様にちなみ、「木」が「金」になったという。この観音様はいまでも峠の祠に祀られているそうだ。

■編集者のコメント

 国道・旧道・旧旧道(登山道)がある。旧道は国道のトンネルの北側すぐの所から入る。こちらもトンネルで峰を越えるが、入り口と出口に深さ20cmほども水がたまっていた。二車線の大きなトンネルである。旧旧道は旧道トンネルの南側から激アップして100mほどいった所にある。西南の役の激戦地で、ここを最後の砦として死守した小倉藩軍の総大将、島村志津摩なる人物を称える石碑がある。香春町の解説の看板あり。北側はどこから登るのか見つけることができず。(1996.8.:ながとみ)

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■関連リンク

・近藤潤二さんの自転車 峠と山の旅 〜旅の記録〜
・元松均さんの私の里山(味見峠、金辺峠、仲哀峠)
・国土地理院地形図閲覧システム:金辺峠 
・国土地理院『うぉっ地図』:金辺峠
・国土交通省空中写真:CKU-81-2-C15B-15, 16, 17 / CKU-81-2-C13-28, 29, 30 / CKU-81-2-C14-27, 28, 29, 30


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