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三国峠 (みくにとうげ)

【標高】 △604.3m
【行政】大分県大野郡三重町〜南海部郡本匠村〜宇目町
【経緯度】北緯:32°54′47″/東経:131°36′42″
【水系】大野川水系奥畑川〜番匠川水系番匠川/北川水系田代川
【二万五千図】中津留:NI-52-5-7-4 大分7号-4
【五万図】三重町:NI-52-5-7 大分7号 \ S51編
【ツーリングマップル】九州 P41 3-G

 日本百名峠。

『大野郡三重町と南海部郡宇目町・本匠村の境にある峠。標高664m。祖母傾国定公園のうち。国道326号(延岡市~犬飼町)が通る。かつては日向街道の要衝であった。地名の由来は江戸期に佐伯(毛利氏)・臼杵(稲葉氏)・竹田(中川氏)の3藩の境界であったのでこの名がある。桜の名所で、祖母傾の連山、阿蘇山、由府岳、鶴見岳、久住山などが展望できる。明治10年の西南戦争の古戦場で、「征西戦記稿」には、「六月十七日、午前二時中央佐武中尉の部下川野辺軍曹および伍長二名兵卒十四名を選抜し、潜進三国峠の正面第一の賊塁に突入せしめ銃剣を以て其の十二名を殪し尋て第二第三、賊塁の背面を射撃す。彼れ蒼黄塁を棄て走る。是の時他の一中隊も亦左翼の賊塁に迫る。彼れ支る能はず。三国の諸塁悉く陥る。旗返の賊も亦走る。是において三道斉く進み、三国旗返の険を奪ひ、遂に小野市に至る時なほ午前七時なり」とある。』[角川日本地名大辞典:44 大分県]
『・・南側はアプローチだけで疲れる。新道を盛んに建設中なので、いづれメジャーになると思われる。桜並木がいい。』[銀輪'94・P213:藤原]

■編集者のコメント

 TMがまだ旧版だった頃に、これだけをあてにして登って、本当の三国峠には至っていなかったという「仁和寺の和尚」likeなことをしている。当時のTMで建設中になっていた国道の道は全て開通。三重町から峠まで9km、旧道とおぼしき道を眼下に見下ろしながら、陸橋をさくさく登る。新三国トンネルを越えた所で国道と分かれ、紫道で旧国道・三国峠へ。
 が、この紫道がくせものである。あの暗峠もかくやと思わせる激坂。確実に10%強の坂が頻出する。荷物なしでもひいひい言いながら登った。上に出てしまえばあとは楽。分岐を右に取って行けば、やがて三国峠の看板が見えてくる。府内、臼杵、佐伯三藩の国界であったことからこの名がついたという三重町の解説の看板もあり。これだけ見て帰ってしまった。西南の役の激戦地でもあった本当の三国峠は、この看板の脇から登って行く道の先、三国神社のあたりにある。「三国」だけあって当然山頂だ。
 おまけの話。分水嶺上にある峠で最も多いのが「三国峠」で、北海道に一つ、関東に2つ、そして九州のここ。三つの国の境という名前の由来からすれば、あるいは当然のことなのかも知れないが、「地蔵峠」を押さえての第一位というのが面白い。(1996.12.:ながとみ)

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■関連リンク

旗返峠のこの項参照
・国土地理院地形図閲覧システム:三国峠相当の地形図
・国土地理院『うぉっ地図』:三国峠 


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