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旗返峠 (はたがえしとうげ)

【標高】 510m
【行政】大分県大野郡三重町〜南海部郡宇目町
【経緯度】北緯:32°53′55″/東経:131°36′25″
【水系】大野川水系奥畑川〜北川水系田代川
【二万五千図】中津留:NI-52-5-7-4 大分7号-4
【五万図】三重町:NI-52-5-7 大分7号 \ S51編
【ツーリングマップル】九州 P41 4-G・N

 (旧)県道伏野宇目線(県道705号)。

『南海部郡宇目町大字小野市字上津大野と大野郡三重町大字奥畑の境にある峠。標高511m。一般地方道伏野宇目線を通じる。尾根に沿って北東1.5kmに三国峠がある。江戸期には岡藩の御郡廻り(領内視察)、木浦鉱山の鉱産物輸などに利用された(宇目町史)。現在はほとんど利用されていない。「豊後国志」には「畠返嶺」として、「宇目郷奥畠村の東にあり、山勢峻嶮、迂曲盤登一里余。下り亦一里余。官道岡より佐伯に達す」とある。』[角川日本地名大辞典:44 大分県・P653]

(注・この本は昭和55年発行)  それより以前、戦国時代には島津家と大友家がこの峠を通して争った。島津軍が峠越えで領内に進入し、その帰路を追撃する大友軍との間で戦闘が起こっている。この戦闘で島津軍が旗を巻いて逃げ帰ったことから「旗返峠」という名前がついたとか(敗退したのは大友軍という説もあり)。(大分合同新聞昭和52年11月16日付夕刊・『峠』第64回より)

■編集者のコメント

 宇目町側から。国道と県道の分岐は少しわかりづらく、三国トンネルに向かって右手に分岐し、一旦国道の下をくぐっている。峠への道は杉の枯れ葉が積もる比較的新しい舗装路だったが、この道も1kmほどで地道に。地道は予想していたが、ピークは予想だにしなかったトンネル(旧TMでは峰越え道のように書かれていたのだ)であり、しかもぶっつぶれていて通れなかった。仕方なくトンネル脇の沢を激登して三重町に抜けた。峠と思われた所は一応道がついていたが柴を詰めてあって用をなさない状況であった。峠のある峰には西南戦争の時の土塁跡かと思われる遺構あり。(1997.3.他:ながとみ)

■みなさんのコメント

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■関連リンク

・佐藤文紀さんのページより:三重町史テキストデータ(6.近代〜明治期の項目に戊辰戦争時の記録あり)
・拙文:こだわりの分水嶺より:旗返峠の土塁跡?
・国土地理院地形図閲覧システム:旗返峠 同地図に三国峠もあり 
・国土地理院『うぉっ地図』:旗返峠 


旗返峠・峠部分
 旗返峠と思われる地点。三重町側を写している。ただのコルになりかけているが、一応道の跡らしきものは残ってい、写真中央部から左手→右手に廻り込むような形であった。(な)

旗返峠・峠部分
 峠の下り鼻。正面右から手前に回って左手奥へ下っている。道形ははっきり確認できるが雑草雑木が茂っていて機能していない。(な)

旗返峠・ぶっつぶれたトンネル
 これが問題のトンネル。宇目町側より。(な)


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