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大坂越 (おおさかごえ)

【標高】260m
【行政】香川県大川郡引田町〜徳島県板野郡板野町
【経緯度】北緯:34°12′06″/東経:134°26′24″
【水系】?〜旧吉野川水系(今切川水系?)
【二万五千図】引田:NI-53-21-16-2 徳島11号-2
【五万図】三本松:NI-53-21-16 徳島11号 \ S58修
【ツーリングマップル】中国四国 P68 1-D

 主要地方道徳島引田線(県道1号)。

『徳島・香川県境にあり、小豆島、屋島、そして本州と瀬戸内海のおいしい景色が楽しめる峠である。』[銀輪'88・P67:大場]
『大坂越ともいう。板野郡板野町大坂と香川県引田町との境にある峠。標高約270m。現在の県道は、古くからの峠道より東の方を通り、鳴門市北灘町地区に属する山腹を経て引田町へ入る。阿波から讃岐へ越える道は讃岐山脈中に数多くあるが、東ではこの大坂峠、そして西では猪ノ鼻越、ほぼ中央に清水越があった。律令時代から南街道の官道筋として、現在の板野町大寺に位置する郡頭(こおず)を起点とする讃岐への道が大坂越であったと考えられる。』[角川日本地名大辞典 36:徳島・P175]
 平家物語の中でも「大坂越」を越えて源義経の軍勢が讃岐入りしたという場面が出てくる。但しこの大坂峠かどうかは議論の分かれる所で、清水越を通ったという説や大山越を越えたとする説(こちらにはそれを立証する古文書が残っているそうだ)もあるとか。
 地形図では分水嶺を越える地点(TMその他の地図で「大坂峠」とある峰)が「大坂越」で、それとは別に、引田町側の登りの途中で越える小さな峰に「大坂峠」と注記がある。どういうことであらう?

■編集者のコメント

 やっぱりこれは引田から越えるでしょう。。。勾配の緩いうねうねが楽しすぎる。この道はふもとからも見えるが、やっぱりそれは一部に過ぎず、実際に登るにつれてカーブが増殖していくという感じだ。上に行けば行くほど、その上にガードレールが見えてくる。しかし「あそこまで登らされるのか・・・」という感じではなく、むしろ「あそこまで登ることができるのか!!!」と気合いが入ってしまうような面白さがある。これは九州の高森峠でも味わうことのできる、葛折れ道ならではの面白さだ。
 晴れていたこともあって、展望は群を抜いて素晴らしかった。車線道のピークは鳴門市と板野町の境にあるが、ここから四国のみち(登山道)で0.6kmの所に大坂峠展望所、さらに0.8kmの所に県境(恐らく旧峠)がある。時間の関係で旧峠へはいけなかったが、先のうねうねのあたりからも旧大坂峠道という看板のある道が登っている。
 車道のピークには大きな石碑。明治18年(だったか?)にこの道が開かれた旨が記されている。これでこの緩い勾配も何となく納得。現代技術をもってすれば、もっと効率よい道が作れていたはずだから。ちなみにこの道、柳田国男も現代ならではの良い景色の例として挙げている。(1998.3.:ながとみ)

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■関連リンク

・国土地理院地形図閲覧システム:大坂峠 こういうのを羊腸というのであらう
・国土地理院『うぉっ地図』:大坂峠 
・国土交通省空中写真:CSI-74-8-C4-23, 24


大坂峠:うねうねうね
 あなたには何本ガードレールが見えますか? ふもとの交差点より(だからびんび家が撮りたかったんじゃないって:な)

大坂峠
 車道のほうの峠は明治のはじめに作られたもの。源氏の軍勢が越えた大坂峠はここではなく、もう少し西のところにある。車道の登りの途中に看板あり。(な)


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