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九十九曲峠 (つづらまがりとうげ)

【標高】820m
【行政】愛媛県東宇和郡城川町〜高知県高岡郡檮原町
【経緯度】北緯:33°23′44″/東経:132°51′21″
【水系】肱川水系黒瀬川〜四万十川水系二名川?
【二万五千図】土居:NI-53-34-4-4 松山4号-4
【五万図】檮原:NI-53-34-4 松山4号 \ S57修
【ツーリングマップル】中国四国 P94 1-H

 日本百名峠。この峠も国境の峠として幕末の脱藩者たちが多く越えていったと言われる。脱藩者が相次いだ頃、宮野々関の番人が酒乱を理由に免職になっているが、裏で脱藩の手助けをしていたからだという説もあるとか。なお、坂本龍馬はこの関を檮原の那須俊平・信吾親子の案内で破り、北上して韮ケ峠を越えていった(と韮が峠にある看板は語っていた。日本百名峠や編者の串田孫一の紀行文「峠をあるく」にはこの九十九曲峠を越えたように記されているが。韮が峠の項目参照)。那須親子の旧居と墓は檮原町中心部の東、国道197号の旧道沿いにある。

■編集者のコメント

 林道城川〜東津野線と峠道が交差する地点にはちゃんと看板が出ているので迷うことはない。由来は不明だが「龍馬の小便杉」なるものの脇を登り、ここから峠まで、九十九曲の名に違わぬつづら折れで60up。これでは地形図で直線になっていてもおかしくないと納得できるつづら折れである。峠直前で車も入られるような作業道に合流し、その道で峠へ。
 峠はちょっとした広場になっている。昭和の初期に建てられた石碑が二つと解説の看板。ここから檮原町側は、西側とは全く対照的な平らな地形となり、心地よく自転車に乗って行ける。一部は湿原になっているようで、3月下旬に訪れた私は暖かい日差しの中、あちこちでネコヤナギが群生している春を堪能できた。
 ここから先、宮野々の関所跡まで良く整備された登山道となり、サイド付きの自転車でも十二分に楽しめる下りとなる。勾配が変わる地点(湿地の水が集まって滝となっている)で数度担ぐ程度で、あとは押すか乗って行ける。途中何度か他の登山道が合流してくるが、基本的にまっすぐ行けば宮野々へつく。担ぎの60upを厭わなければ合宿にもお進め。この担ぎとて、峠までどこからかつながっていた林道の入り口を見つければ、自転車に乗ったまま越えられそうである。 (1998.3.:ながとみ)

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■関連リンク

・国土地理院地形図閲覧システム:九十九曲峠 地形図で改めてみてみると峠東の地形が非常に特異なことがわかる
・国土地理院『うぉっ地図』:九十九曲峠 
・国土交通省空中写真:CSI-75-8-C5A-10, 11 / CSI-75-8-C6-8, 9 / CSI-75-8-C21-4, 5, 6 / CSI-75-8-C5A-9 / CSI-75-8-C5B-1, 2, 3 / CSI-75-8-C6-10


九十九曲峠:西側峠みち
  つづらを上から見下ろす。(な)

九十九曲峠
  つづら折れを登り切り、合流してくる林道をたどっていけば上のような広場に出る。ここが峠。向かい合わせに2つの石碑が建つ。ここから梼原村へはまた登山道になる。(な)

九十九曲峠
  昭和10年に建てられた「勤王の志士脱藩遺蹟九十九曲峠」の碑。側面には寺石正路の句が刻まれている。(な)
再びと返り来ぬべき故郷を
捨てしこころはいかにありけん

国境碑
  こちらは縣境碑。(な)

九十九曲峠峠道
 梼原側は一転してなだらかな地形となる。さっきまでの急傾斜がうそのよう。湿地帯になっていて、あちこちでネコヤナギが芽を出していた。(な)

九十九曲峠峠道2
 地形図で勾配が変化するあたりからは、主に杉林の斜面を行く道となる。サイドのついた自転車でも十分に楽しく下れたから、ポタリングなどにはうってつけと思う。ただし、ハイカーさんに注意。(な)


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