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梨の木峠 (なしのきとうげ)

【標高】・482m
【行政】岩手県岩手郡安代町
【経緯度】北緯:40°07′34″/東経:141°00′11″
【水系】米代川水系矢神沢〜馬淵川水系新田沢
【二万五千図】陸奥荒屋:NK-54-18-16-3 八戸16号-3
【五万図】荒屋:NK-54-18-16 八戸16号 \ S54.2編
【ツーリングマップル】東北 P92 5-H

 今でこそ隣の貝梨峠が主要道の役割を担っているが、江戸時代にはこちら、梨の木峠が鹿角と盛岡を結ぶ「鹿角街道」であった。当時の関所は田山の西にあり、本道の梨の木峠、脇道に相当する鍋越、野沢欠、貝梨の各峠と4つのルートをここで一括して監視していたことになる。鹿角街道は盛岡城下から車ノ走峠を越え、荒屋・田山を経て鹿角へ至る道筋(鹿角道・鹿角往来)。安代町の縄文時代遺跡から日本海側産出の翡翠などが見つかっていることからもわかるように、有史以前からの交通路であった。街道として整備が進んだのは十七世紀初期に鹿角で金山が見つかったことがきっかけとされている。その後も尾去沢銅山からの銅を盛岡城下へ運ぶためにも使われた。(参考・無明舎出版「東北の峠」)

■編集者のコメント

 田山側から登るとわかりやすい。√282との分岐には<ト>の形の分岐看板が出ており、これに従って高速道路を潜れば、あとは峠まで一本調子の道である。登りの途中には塞の神の祠が(登山道であった頃の旧道に)あり。行ってみたが古木の根元に石組みの祠のみで御神体はましませなんだが風情は良し。3年前の記憶とはうらはらに、峠の向こうもずっと1.5車線舗装であった。下れば小さな丘陵農作地帯を経て曲田まで直である。曲田の端には一里塚もあって、鹿角街道と呼ばれていた頃の雰囲気が少しだけ味わえる。前回は気づく由もなかったことだが、この道は菅江真澄も通っているのだ。きっと翁もあの塞の神を拝したに違いない。(1999.8.:ながとみ)

■みなさんのコメント

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■関連リンク

・国土地理院地形図閲覧システム:梨の木峠 同葉に貝梨峠、と思ったら別であった
・国土地理院『うぉっ地図』:梨の木峠 峠名非出
・国土交通省空中写真:CTO-76-2-C14B-25, 26


 看板も何もない梨の木峠。これは1999年に再訪した際の写真だが、その3年前に立ち寄った時のうら寂しさは全く変わっていなかった。(な)


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