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算用師峠 (さんようしとうげ)

【標高】370m
【行政】青森県北津軽郡小泊村〜東津軽郡三厩村
【経緯度】北緯:41°11′28″/東経:140°22′22″
【水系】傾り石沢水系傾り石沢〜算用師川水系算用師川
【二万五千図】三厩:NK-54-23-9-2 青森9号-2
【五万図】龍飛崎:NK-54-23-5・9 青森5・9号 \ S46編
【ツーリングマップル】東北 P111 6-C・N

 みちのく遊歩道と呼ばれる登山道の峠。幕末の文士・吉田松陰が東北巡遊の際に越えたとされることから松陰道とも呼ばれる。この旅の記録「東北遊日記」の中に、小泊からこの峠を越えて三厩へ下る過程をこう記している。

『・・行くこと二里許、海を離れて山に入る。山に&T2235ee;(編者註:カン・三水に門+月。沢・谷を意味する)あり、&T2235ee;に沿ひて登る。是を寒沢と為す。藩、旅人のこの路を過ぐるを厳禁す。故を以て路を修せず。&T2235ee;を渡ること数次、深さ毎に膝を没す。行くこと里許、始めて其嶺に至る。嶺を越えて下ること二里許り。雪の深さ二三尺、愈々下れば巡流愈々大なり。又渉ること数次、固苦太甚し。』[伊藤圭一「峠を歩く」より抜粋]

 部内では重田氏が、徒歩ではあるが峠に至っている。[銀輪'95・P35]

 「算用師」とはその名のとおり算術で生計をたてた職業の一つ。読み書きが普及していなかった江戸時代、村の算用をひきうけたそうだ。しかしながらここ算用師峠の名前の由来はこの職ではなく、アイヌ語の「サニウシ(sani-usi)」であるという(江戸時代に東北を游歴した文人・菅江真澄の日記に古名がさにうしであることが記されている)。これは「昇り降りをする場所」という意味で、まさに峠口であるからこの名があったのである。このように東北にもアイヌ語の転化した地名が広く分布しているのだ。

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■関連リンク

・伊能忠敬もこの峠を越えている。秋田市立大住小学校のみなさんによる「伊能忠敬の足跡」 
・無明舎出版の月刊舎内報「んだんだ通信」バックナンバーより 
・吉田松陰『東北遊日記』を読む 嘉永五年東北 No13 
・青森県による「青森文化観光ガイド」に吉田松陰の詩碑全文 
・国土地理院地形図閲覧システム:算用師峠
・国土地理院『うぉっ地図』:算用師峠 
・国土交通省空中写真:CTO-75-19-C9A-10, 7, 8, 9 / CTO-75-19-C7-6, 7, 8
峠名覚書


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