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こだわりの分水嶺


分水"例"-3.神戸街道最後の姿・兵庫県青垣町-京都府福知山市

 1997年の春に訪れた蓮根峠。何の予備知識もないまま現地を訪れたが、そこで「神戸街道」という名前を持つこと、しかも改修工事で大幅に変貌する運命にあることを知った。その最後の姿となるかも知れない97年当時の道の様子を、記念のために記しておきたいと思う。また、この峠には緩急2つの峠道が残っており、峠の使われ方を考える上で興味深い事例であると思う。

蓮根峠付近の地形と道

1.塹壕状に深くえぐれた道で、小さな尾根に沿って登る。1mほどの巾があって歩きやすく、趣もよし。距離的に最も近い道であるので、徒歩や牛馬の通った道かと思われる。

2.1.の道は砂防ダムのある辺りで車道に合流(工事が進んで砂利道になっていた)。持参した地形図にはこの区間(グレーの破線)の道がなく、突き合わせて確認することはできなかったが、恐らくこのようなつながり方をしていたものと思われる。

3.97年春の時点での工事最前線。道に生えている邪魔な杉を伐って、道に敷く作業をしていた。ここで工事中の方に、この道が神戸街道という名前だったことを教わる。

4.この付近の道は完全に残っていた。巾1mほどの緩やかな山道。まだ幹の細い杉が無数に生えていたが、通れないというほどではなかった。杉林のために展望はあまり利かない。2.〜4.にかけての道は勾配が緩く道幅もしっかり取られているので、荷馬車が通ったものではないかと思われる。

5.石垣が残る地点。但し倒木が多くて難儀する。折り返してからはずいぶん楽。近道かと思われる道が2、3本合流してくる。

6.地元の方に教わった「近道」。地形図には記載されていないが、峠付近に自生している榊を取りに行くのに使っているそうだ。取り付きは谷沿いのしっかりした道だが、「大正記念林」という石碑が建っている辺りから不明瞭となる。杉の植林地となっている山の斜面を無理やり登っていくと、やがて地形図にある点線道に合流。しかしこの道も峠手前で大きく崩れ、薮になっていた。

7.南側の街道筋にあたる道かと思われる。きれいな石垣や沢を跨ぐための橋の桁などが残っていた。なお、地形図にある道は途中で街道から外れているように思う。私が辿った道は最後に建設専門学校のセミナーハウスの裏手に出てきた。峠からここまでずっと緩いトラバース道。

 私は東芦田の側から登って峠に出、稜線沿いに薮漕ぎして塩久峠へ向かった。一旦樽水まで下って北側を登り直し、この時に工事に出会ったのだ。
 峠の様子は本文の写真を参考にしていただきたい。とにかく、麓からは想像もつかないような広い道にびっくりしたのを覚えている。そしてその荒廃ぶりにも。峠には「講和記念林」の石碑が建っており、周辺にはこういった記念植林が多いようだ。
 東芦田へ戻る時には街道筋を辿っている。北側に比べ道が悪いものの、街道の貫禄十分の道。しっかりした石垣も見受けられた。7.にもあるように、最後はセミナーハウスの建物の裏手に出てきた。ここは昔、柏原藩の重臣の邸宅があったそうだ。それを記念するプレートが建物脇に置かれている。
 ちなみにこの峠へは2泊3日のミニツアーで訪れたのだが、前日は地形図の峠直下、点線道が行き止まるあたりで泊まった。ここから西に向けて車道が作られていたが、200mほどで行き止まりとなっていた。ひょっとしたらこれが北側の道と合流するようになるのかも知れず、トンネルを通す可能性もあり得る。トンネルでつながるのならば、峠周辺は昔のまま残されることになるだろう。


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