1997年にはじめてこの峠へ向かった時、行き止まりの林道が旧ホハレ峠であることを知らずに足を延ばしている。そこで偶然にホハレ峠のお地蔵様に出会ったのであった。大岩の肩にちょこんと乗ったお地蔵様である。長いあいだ吹き晒しに耐えてこられたのであろう、摩耗して全く顔形は判別できない。しかしながらこれこそ、ホハレ峠の証しである。


 2000年。そのお地蔵様に一礼して旧道を探る。それは林道脇の叢を10mほど突っ込んだ地点に跡を止めていた。写真中央に伸びる空間がそれである。嘘だとお思いの方は現地を訪れて確認されるといい。この道の跡は沢で何度か分断されながらも黒谷の斜面に数百mほど残っている[写真]。


 しかしながら、その方はすぐに失望してしまうだろう。やがて道はぷっつりと途切れてしまう。幾らその先を探そうとしても無駄だ。崖崩れて道が押し流された上に、栃の木が育っているだけであるから。あとは黒谷を本格的に沢歩きしなければならない。地形図でもよくわかる勾配の変化する地点までは、比較的なだらかな沢が続く。淵には誰かがわざとそうしたかのように、栃の実が行儀よく並んで沈んでいたりする。

 

 

 

 

 だが、そこから先、谷は一変して見下げる角度で落ち込んでいく[写真1写真2]。沢は滝を形成し、迂回するのもままならない。滝を越えてもごつごつとした岩場が続く。下の砂防ダムまで下り着く頃には、転倒してびしょぬれになっているか、この先の見えない下りが果てしなく続くことに絶望しているか、あるいはその両方に違いない(あなたがプロフェッショナルの沢歩き屋でない限りは)。


 砂防ダムは2つある。一つは上まで完全に砂が詰まってい、用をなしていない(左写真)。その先にもう一つ、これは稼働しているが、黒谷第一砂防ダム[写真]である。どんなに頑張っても辿れるのはこのダムまでであろう。幸いなことにこの砂防ダムのあたりには枝林道が伸びており、河原状になったここから林道へ上がったほうがよい[写真]。(下写真・砂防ダムから見上げた黒谷)


 その先、2000年の時点ではやはり廃道気味であり、少なくとも平成7年度版の地形図のような実線道ではない。ただ、けもの道程度のスペースはあるので、これを忠実にトレースしていけば、門入である。恐らく集落手前の杉林にさしかかる頃には、このどこでも見かける植物に対する感情が一変していることと思う。杉林がこれほど懐かしいものであっただろうか、と[写真]。

 お約束どおり、門入の写真は載せない。興味のある方は、新道を辿るか、黒谷を溯"下"するかして、自分の目で確かめてほしい。むろん本郷から行ってもいいだろうが、門入に対する思い入れは間違いなく前者のルートが深くなるであろう。


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