考察・参考文献

■考察 Discussion

 本来ならば峠の果たした機能を併せて報告せねばならないと思うが,資料が全くないためどうしても推測に頼らざるを得ない.治田峠はまだいいとしても,白瀬峠については皆無といっていい.報告者の考えるに,まず挙げられるのが,藤原町からの炭焼きの行き来である.茶屋川上流には藤原町から白瀬峠を越えて炭焼きが来ていたことを,茨川に泊り込んでいた時に出会ったカメラマン氏が教えてくれた.正確な年代は聞き漏らしたが数十年前の話だそうである.モノの往来という視点から見れば,茶屋川は三筋の滝によって遮断されているに等しく,この意味では下流の茨川よりも藤原町坂本・山口の人々のほうが利点があったと言える.
(のちに藤原町史を読ませていただいたが,峠越えの事実を裏付けることは残念ながらできなかった.ただ江戸時代から昭和初期にかけての長い間,主要な産業として炭焼きが行なわれていたのは事実のようだ.大字坂本の炭焼き竃の見取り図として掲げられていた図と,茨川一帯で見かけたそれとが似ているように思われたのは,あるいは贔屓目というものかも知れぬ)


 次席として考えられるのは,君ヶ畑(蛭ヶ谷)→藤原町(巡見街道)への最短ルートとしての利用だ.君ヶ畑から茨川へは「ノタン坂(ノタノ坂)」という峠道で直接に繋がれていたが,三筋の滝の上流にも君ヶ畑への道が存在し,茨川を経ずに藤原町方面へ抜けることが可能である.少なくとも現段階では茨川の人々がこの峠を積極的に活用した痕跡がないこと,にもかかわらず峠の名称が━━━現地の看板では異なるけれども━━━東向きにつけられていることも,この想像を支持してくれるはずである.

■参考文献 References

  • 伏木貞三,『近江の峠』,白川書院,1972
  • 藤原町役場,『藤原町史』,1994
  • 三重県教育文化会館,「会館のたより」,1981
  • ハリマオ氏,『廃村茨川研究

白瀬峠治田峠

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