旧池田隧道(重行側)


 出口.差し込んでくる光によって,アーチ+側壁という構造ではなく,全体が湾曲した馬蹄形をしていることがよくわかる.スキューバックに相当する側壁基部の煉瓦が突き出ていて,そこだけがフランス積みになっていることも見て取れる.南側でよく日が当たり乾燥しているせいであろう,こちらの坑口付近は損傷もなく煉瓦の色も美しい.100年以上の年月を重ねているとは思えない鮮やかさである.


 見上げればそこには扁額.扁額まで煉瓦造りであって,しかも下から見やすいよう傾斜させていさえする.ただし扁額の中身はぼろぼろで,池田の「池」の上半分と,おぼろげに「道」が残っている程度だ.鏝絵の要領で,漆喰か何かで「池田隧道」と記されていたのだろう.そして,こちら側にも斜め煉瓦のデンティルがつけられている.そこまで細部に拘った隧道が,廃道となりこの山中に没然とあるという現実にふと気付いた時,無性に侘びしくなってしまう.





 坑口の両脇には石組みも見られる.隧道の正面は2〜3m向こうで地形が落ち込んでおり,谷に直角に出てきた道が右と左に分かれていたようだ.それに対応するかのような両翼の石組みである.

 しばらく写真撮影に興じたあと,南側の道を探索する.道幅としては右手がありそうだが,10mも行かないうちに頓座してしまう.あまりにも濃いブッシュだ.しかもそいつは,観音峠でさんざん苦しめられた笹と蔦の藪.潅木の割合もかなり高い.かい潜って偵察するが,道幅の1/5も露わにならない藪がどこまで行っても途切れず,ついにそのまま右手谷奥まで行ってしまう.なぎ倒された笹原の向こうに広い空間が見えはしたものの,それも1m以上の背丈の雑草の頭が創り出す緑の海でしかない.折り返して下段を進むがこれも笹藪であって,しまいには道そのものが無くなってしまった.これではもう,どうしようもない.そこに車道が見え車のエンジン音も甲高く聞こえているというのに・・・.

 その地点から斜面を直登して復帰する.今度は左手.左手は車道幅のように見えるが,徐々に斜面を登って行き,小尾根を回った所で純正登山道となる.それでもしつこく辿っていけば,竹林の斜面に至って,そこを横切る鋭い沢に寸断された以降はぷっつりと途絶えてしまう.降りようにもかなりの傾斜.八方塞がりだ.それ以上の探索はあきらめる.

 

 

 

 

 
 池田隧道に戻り,重行側に抜けて振り返れば,さっきまで模掻いていた筈の斜面がよく見える.もちろん道らしきものも,隧道も見えない.右手の斜面は高い金網が張られていて,さっきの竹藪を下ったとしてもここで遮られるに違いない.開けた左手は広場になっているようだが,どこぞの私有地となっていて入ることができなかった.


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