|行政:滋賀県高島市標高: 100m
|1/25000地形図:海津(岐阜16号-3)調査:2005年2月


■背景 Background

 桜の名所として知られる海津の大崎.ぐるりを巡る5つの隧道群が戦前の作であることを知る人は───というより,気に留める人は───ほとんどいないだろう.大正10年から始まった北琵琶湖周遊道路の第7期工事,一番最後まで残った区間であり,昭和10年1月着工,翌11年6月に竣工している.「滋賀県土木百年年表」によれば設計は道路技手・山本広次.村田の名前は見えないが,時期的に考えると彼が滋賀県で最後に関わった隧道工事であったはずだ.
 大崎の隧道は西から第一,第二と続く.自然景観に配慮する姿勢もさることながら,随所に現れる「遊び」が好ましい隧道群である.

■調査 Experiment

 

 そもそも海津は平安時代の末期から北琵琶湖の要の港として栄えてきた.戦国時代末期には大津に次ぐ規模を誇ったという.天然の良港であったことに加え,北すれば国境を経て敦賀に至るという地の利も生かし,湖南と北陸とを結んだ.航路の行き来は明治以降になっても発展を見せ,太湖汽船・琵琶湖汽船を生み出す原動力となった.今日の海津は役目を果たし終えたかのように,国道裏で休息の日々を送っている.

 国道161号から海津大崎へは沢山の看板が出ているから迷いはしないだろう.道は海津大崎をなぞるというより琵琶湖の湖面をなぞっていくような感覚がする,波打ち際の道である.
 桜の並木はすぐに始まる.ややあって右手の浜に大きな公園.報告者が訪れた2月の中旬は,当然ながら閑散としていた.大崎の第一隧道はこの公園のはす向かいから始まる.

 大崎第一隧道.延長は5つある隧道のうちで最も長い221mである.ポータルは自然石を切り込みはぎにした石ポータル.すでに報告してきたように,この頃の隧道はもうコンクリート製が一般的であった.にもかかわらず敢えて石積みとしたのは,海津大崎という自然景勝に配慮したものなのだろう.迫石まで不統一のサイズを用いて徹底しているあたり,なかなか粋な配慮と言える.真上に大崎寺があり,境内の赤い手擦りが隧道ポータルの上に見えているのも不自然でない.中央に特別大きな岩が一つあり,題額の代わりをしていたものと想像されるが,今は苔蒸してしまっていて何も読めない.

 

 

 


 第一隧道東側.落石防止の金網とそれを押さえる鉄骨で,当時の姿からやや変貌している.それでもやはり,切り込みはぎ+不均一迫石のアーチである.なお坑道はコンクリートブロック巻きになっており,戦前という時代性はここに感じることができる.

 以降,第五隧道までトンネルが連続する.第二隧道西側はご覧の通りコンクリート補修済であるが,東側はやはり石アーチ.ほんのわずかな面積を占める石ポータルに愛敬がある.


 

 第三隧道.第二隧道東側を転写したかのように瓜二つなポータル.しかし要石らしい要石が要石の位置にあるのはここだけだ.抜けると今度は左側に翼壁?付きとなっている.じっくり見て行くとそれぞれ個性があって面白い.


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