■調査 Experiment

 田辺市の中心部からピストンで.市街から隧道までは県道で一本道のはずなのだが,土地感のない報告者には少々難しい道のりだった.どこかで間違えて右会津川を延々と遡ろうとしてしまったような記憶がある.左会津川の流域に入っても,自分が川に沿って登っているのか,それとも山手を走っているのかすら覚束ないような道だった.ツーリング用の地図ぱっと見では川沿いに平野が広がっているように見えてしまうが,小さな岡が幾重にも連なっているのだった.




 何とか麓の下三栖の交差点まで来た.ここまで来ればもう間違えることはない.緩やかに登って行って,テニスコートが見える辺りで右折.特に標識の類があったとも思えないが,なぜその分岐だと判ったのだっけか.ともかくこの道はテニスコートの裏手をぐるっと巻いて登って行く.隧道のすぐ向こうに集落があるので,ここへ向かうためらしい車やバイクの往来もそこそこあるようだ.

  

 報告者が訪れたのは正月三日の陽が傾き始める頃だった.まずは西口と御対面.「でけぇ…」.思わず声が洩れる.何がでかいかって,額がでかい.滋賀の杉本隧道といい勝負だ.



 面積比では隧道ポータルの胸壁の1/3を占めるのではないかと思う位に巨々とした「岡阪隧道」の文字.石で縁どった「額」の中に,モルタルか何かで描いているようだ.一枚の石ではないけれども,数えるならばこれだって一額.左隅に「請負人 堀儀太」とあるのも尋常ではない.市長町長でも,ましてや県知事でもない,一箇の請負人の名前が刻まれている.もとい,盛られている.よほど名のある人だったのか,それともこの工事に並大抵でない自負があったのか. (実は報告者,この請負人の名前を知るために相当苦労した.ちょうど草木が邪魔をして,下からは読めなかったのだ.左手の擁壁の上に無理矢理上がって,望遠で斜めから写してようやく判別した.そのお蔭で文字を描いたモルタルが煉瓦を欠いて埋め込まれていることも発見した.80年を経てなお健在な理由が此辺にあると見た)

 ディテールへの拘りも垣間見える.アーチ環と胸壁の隙間はセメントで丁寧に埋められ,迫石部分にはちょっとした装飾も.この装飾があるおかげで,環のセメント塗りが後世の補修でないことがわかる.単に隙間を埋める補修のためだけならこんな遊びはしないだろう.ただそれが,全体のバランスの中では非常にささいなものであって,あまり役をなしていないように思える.

 内部は素堀+コンクリート吹き付け.反対側は額なしで,ポータルの背も低い.あまり見栄えのしないポータルだな・・・と報告者は思った.さっきの額のインパクトが大き過ぎたのだ.すぐに西側へ戻ってしまい,その後小一時間,請負人の名前判読に費したのだった.

 だいたい判った所でさあ引き上げようという時,ふと名残り惜しくなって,もう一度東口に足を運んだ.日暮れ時だったのでちゃんと写真が撮れているか心配だったのだ.改めて三脚をセット.カメラを据え付ける.ファインダーをのぞく.

 

 

 

 あれ?

 煉瓦ガ,長イヨ?



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