昭和3年頃,五社峠の真芯を抜く隧道が計画されていた.延長は約11町.実に1200mもの長大隧道である.もし実現していれば吉野の山中に戦前最長の道路隧道が誕生しているところだった.

五社峠越えが県道であった明治時代,国栖周りに変更された大正期を経て,再び幹線の座を引き寄せようとした人々がいたという記録.それはおそらく土倉庄三郎が還暦の祝いに計画した隧道の流れを汲むものだったと思われる. EOP; include("./template.php") ?>