現在は岡城トンネルという名前の車道隧道(隧道リストでは昭和41年竣工)になっているが、元々は田町隧道という明治隧道だった.竹田市の隧道の中で最も早い明治6年に掘削願が出され、翌年8月に完成している.

位置的には竹田市街地の東の縁を形成する小山を貫くもので,当初はまだ外部へつながる道路という位置付けではなく,市街と市街周辺の行き来を便利にする目的で隧道を穿ったようだ.それが後に竹田・三重道がに組み込まれ、幹線道路の一つとして発展していくことになる.市街の南側の峰を縦断するバイパスができるまでは国道502号のトンネルとしても活躍した(はず).

隧道建設の計画は後述の府内町隧道と同時に町の有力者らによって立てられ、その計画書が残されているという.当初は長二十二間(約40m)で工事費151 円余り.ちなみに府内町隧道のほうは何故か650 円近くかかっている.また開削にあたっては「斯工事ニ従事スヘキ職工ナク、止ムヲ得ス地方井戸掘工夫ヲ使役シ」たという.藩政時代には水路隧道を掘る専門職や鉱山人夫もいたというのに,なぜこの時に井戸掘り人夫しか得られなかったのかは一つの謎である. EOP; include("./template.php") ?>