江戸時代に雑木峠と呼ばれ「横道」が作られた場所.大正3年に高さ10数mに達する深い掘割が穿たれ,荷車の通り得る峠へ生まれ変わった.その掘割の姿から天川村では「切抜峠」と呼ぶことが多かったらしい.山と高原の地図でもこの名前が採用されている.ただし「ゾウキ」が転訛した蔵毛峠,象牙嶺と呼ばれ続けもしたらしく,公文書『洞川電気索道会社軌道』絵図や『奈良県吉野郡史料』ではそのように記されている.そうして名前が定着する前に川合トンネルが完成し,その峠道を前後とも齧り取ってしまった結果,ポツンと切り通しだけが残る結果となった(昭和29年).哀れな峠と言うべきかも知れぬ. EOP; include("./template.php") ?>