|行政:秋田県田沢湖町〜岩手県雫石町標高:960m
|1/25000地形図:国見温泉(秋田2号-4)調査:2002年8月


 国見峠への道、かつては秋田街道と呼ばれた道は、廃ドライブインのあるあたりから尾根を伝って上へと向かっている。現在この尾根には電波塔があり、そこまでつけられた車道を利用することで楽に行けるのではあるが、20%強の簡易コンクリート舗装なので結局自転車は押していくしかない。その後の道は電波塔の裏からそのすぐ向こうに見える鉄塔に向かい、尾根の最も高い部分を伝って分水嶺に至るはずなのだが、この鉄塔からその隣の鉄塔までの尾根筋はすべての木が伐採されて荒れ地になっている。そこを通っていたはずの道の痕跡すら見いだせないほどの荒れようだ。それでも尾根の東側、切り残した林と荒れ地との間にわずかのスペースを見つけて、尾根を遠巻きに見ながら伝っていく。

 次の鉄塔より向こうはまだ林が残っているが、そこへ至るにはやはり薄の海を漕ぎ分けていかねばならぬ。林の中に入ってようやく道の痕跡を発見。思ったより幅の広い、1.8m幅の塹壕のような道が尾根に沿って伸びている。が、この道もどこまで行ってもネマガリダケが密生しており、全線走破(しかも自転車込みで)するには相当の精神力と体力がいるだろう。精神力のない報告者は100mほど辿り、その奥まで道が残っていることを確かめただけで引き返すことにした。さきほどの鉄塔から下へ直接下る道―恐らく送電線の保守点検用の道―があるのでこれで下りることにする。なお、ここから峠までの区間には「道のぼっと」と呼ばれる一里塚、戊辰戦争の際の砲台陣跡などがあるとのことである。


 

 報告者はヒヤ潟のほとりから改めて峠を目指した。「旧秋田街道」という木柱からしばらくは、さっきの尾根で辿ろうともがいていたあの幅広道とほぼ同じものがそこから上に伸びており、違うのはネマガリダケの密生があるかないかであった。古い地形図で電波塔のマークがある小ピーク(現在は撤去されてただの広場になっている)まで登った後、さらに分水嶺沿いに北上。いくぶん荒れかかってはいるものの、次のピークを過ぎるまではネマガリタケの藪に悩まされることはない。

 藪漕ぎが始まるのは、ピークを過ぎてやや下りにさしかかったあたりから。これは恒常的にここから始まるという訳ではなさそうで、年によってはもう少し道普請がなされているかも知れない。私が訪れたこの時は、小ピーク上にある国見峠までの釣り尾根は一面のネマガリタケで、自転車共々大変苛められたのであった。





 写真で何度も見ていた藩境碑もやはり薮の中。秋田藩の側から見た峠と盛岡藩からのそれとが違うということは、藩境をどこに定めるかでずいぶんもめる原因にもなった。結局はその中間点であるヒヤ潟を藩境とすることで決着、国見峠に「従是南東盛岡藩領」の碑を、旧仙岩峠には「従是北西秋田藩領」の碑をそれぞれ建てている。岩手に面する斜面にぽつりと建つ碑は、そんな歴史を抱え込んでじっと立っている。







 周囲の薮があまりにも深いため、本来の峠道がどこをどう通っていたのかすらわからない。周囲の藪の中を歩き回った結果、石碑の向こう側から山を巻くようにして道が残っているのを見つけることができた。林の中に入って薮が薄くなると石組みの小さな小さな祠もある。中は空っぽであったが、山神社か塞之神のようなものだったのだろう。この祠の前をピークにして道は下っていき、見えている範囲ですでにネマガリダケの藪になっていた。



旧仙岩峠新仙岩峠 

 

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