第 
 一
行政:和歌山県和歌山市標高:30m
|1/25000地形図:和歌山(和歌山15号‐2)調査:2005年10月

■調査 Experiment

 まだ蒸し暑さの残る大阪を朝4時過ぎに出発して,和歌山駅に降り立ったとき,報告者はふっと肌寒さを感じた.外界はもう秋のようである.和歌山駅を出て,目の前に伸びる大通りを西へ.和歌山城跡の角で折れて南下する.こういうと和歌山市民に怒られそうだが,いわゆる高層ビルがないために空が広々としていて,どこか悠長な感じがするのがいい.海の町でもあることと重ね合わされて,圧迫感のなさというか,おおらかさというか,そんな雰囲気が新鮮に感じる.山生まれの報告者故の先入観かも知れないが.

 そんな背の低い建物に挟まれた国道42号線にそって下れば,20分ほどで新和歌浦への分岐.右すれば和歌浦小学校の前を経て,和歌山港に出る.

 

 漁船が並んで舫う和歌山港を左手に見下ろしつつ,新和歌浦への道を軽く登ってゆくと,コンクリート造りのトンネルが待ち構えている.今登っている道はその穴に吸い込まれてゆくが,よくよく見るとその隣にも穴があって,それが目指す新和歌第一隧道なのだった.隧道に至る道にはゲートがしてあって,潜っていくと何度か写真で見たのと同じ角度のそれを見る.


 ともかく豪華である.上から順に見て行こう.頂上にある三角形が「小破風」であり,破風の内側,斜めになった部分が黒タイルで囲まれている.中央には同じく黒タイルで丸十字.笠木の下には鋸歯状のディンティルもつけられている───旧池田も鋸歯ディンティルだったっけ───.アーチは3重煉瓦で要石だけが石.スパンドレル部はイギリス積みになっている.

 ピラスターは長手方向に1.5個分の煉瓦積み.柱の付け根も地味に装飾されており,花崗岩を精緻に加工した古典主義風の台座である(あくまでも「風」であって何かの様式に従うものではなさそうだ).構造的にはピラスターとアーチとを同時に受ける格好になっているのが面白い.

 確かに個々の構造なり仕上げなりはとても手の込んだものなのだが,それぞれが互いに結び付いていないように見受けられる.これでは寄せ集めと取られても仕方ないだろう.例えば破風をもっと大きくしてペディメントにし,柱とアーチを煉瓦ではなく石にしたら,もっと荘厳な印象を与えただろうに───そうする必要はないかも知らぬが.だがこれが,明治45年という時期に,新観光地である新和歌浦への入口として作られたことを加味すれば,納得行かないものでもない.

 さらに仔細を追う.正面右からポータル上に登ってみる.破風の裏側は一面のモルタル塗りで,一瞬「ハリボテか?!」と疑ってしまったものの,それは積んだ煉瓦の表面に塗られているだけであった.笠木の上も同様にモルタルが塗られていた.

 そんな笠木の平の面にわずかに露出している部分があって,そこに刻印を発見.十字を太くしてその一辺にさらに●を彫り込んだような形である.同じ刻印は破風下の笠木やピラスターにも見ることができた.実は報告者,煉瓦刻印を発見するのは初めてである.古い隧道ばかりを見て来たせいか,あるいは平の面が露出しにくい構造であるからか.そんなこともあって破風のあるこの隧道に期待して来てみたのだが,その感が当たってちょっと嬉しかった.しかしこの刻印がどこの工場を指すものかなど知る由もない.まだまだ知らないことの多い報告者である.

 真近で見る黒タイル.表に貼付けてあるのではなく,煉瓦を欠いて埋め込まれている.結構な手技である.表面は細かなヒビが入り,80年という月日を物語るかのようだ.それにしても和歌山の旧隧道は「タイル」が一つのキーワードになっている.昭和初期に作られたという岡阪隧道もタイルが装飾に用いられていると聞く.和歌山にはタイル産業でもあったのだろうか・・・.



 ピラスターの頂上部分.意外と雑な作りである.笠木が巻いて一段広くなっている部分は,オナマ(素の煉瓦)を組み合わせたものではなく,煉瓦を割って無理矢理に組み合わせたものである.特に角の煉瓦は,ちょうど額縁の角のように,斜に切った二つの煉瓦を組み合わせている.四分一の煉瓦が無駄に挟まっているのもそのせいだろう.何故普通の積み方にしなかったのかと思わないでもないが,外面に向かって四分一分だけはみ出した構造を作ろうとすると,どうしてもこうならざるを得ないようだ.ただし笠木下のデンティルはピラスターの裏側まで巻かれていて,このへんには律儀さが感じられる.似たようなピラスター+ディンティルの構造を持つ奥山田の隧道は,はて,どうであったか.

 隧道内部.廃車が2台放置されている.入口から20mほどが煉瓦巻き+砂岩の石積み側壁で,わずかなコンクリート巻き補修があり,その奥は素掘り.素堀り部分は繊維が束になったような片岩の壁で,手に取ると脆々と崩れてしまう.隧道内の壁は煤で真っ黒だったが,隧道の外にある層を見ると綺麗な金色に輝いていた.当時は内部も輝いていたに違いなく,なかなかの光景だったと想像される.反対側は旅館の倉庫代わりに使われているらしく,家具だとか自転車だとか動く車だとかが置かれている.反対側の坑口は厚くコンクリートで補修されていて,扁額が覗いているだけだ.


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