道道歌登咲来線(道道220号)。歌登町から音威子府村咲来へ抜ける。音威子府村のあたりに入植が始まった明治38年から大正にかけては、その頃の宗谷線の終着点であった咲来が村の中心部であった。平坦な土地が狭かった現音威子府中心部に比べ、農作に適した河岸段丘を背後にもち、歌登町への道(すなわちこの峠)があったことも関係している。歌登町で盛んにじゃがいもが栽培されるようになり「馬鈴薯・でんぷん王国」と呼ばれていた頃には、本幌別地区のでんぷんのほとんどがこの咲来峠を越えて咲来駅まで運ばれていた。積雪期には馬橇やバチバチ橇の行列で賑わい、この峠の冬の風物詩であったという。
鉄道の路線延長によって音威子府駅ができ、宗谷線と天北線の分岐点となったことで、村の中心は音威子府へと移っていった。これに従って重要度が極端に低くなってしまった咲来峠道は一度村道に降格され、のちに道道へと返り咲いている。数奇といえば数奇な運命である。
音威子府村史によれば咲来の語源は「サク・ル(夏の・道)」であり、天塩川にいたアイヌたちが夏にオホーツク海へ出る時の道であったとされている。これに対する「冬の道」が音威子府川ぞいの道、すなわち現国道275号、我々が天北峠と呼んでいるあのあたりであったようだ。積雪や当時の道の険しさなどの関係で、これらの道を使い分けていたのであろう。道内には他にも札久留(札久留峠)があり、同じ語源であると思われる。
■編集者のコメント
西側にある字名「北見道路」とはこの辺りの集落の名前であるが、かつてのこの道の通称でも有也。西尾峠へ向かった時の仁宇府の谷の風景に似て、ゆるやかな谷と陵線が続く登り。北海道の雰囲気が内地と違うのはこの陵線の角度のせいではなかろうかと思う。そうこうしているうちにあっさり峠についてしまう。峠から歌登側には地味に旧道あり。歌登町へ1kmほど下って合流するだけの、新道とほとんど変わり無い旧道である。(1999.8.:ながとみ)
■みなさんのコメント
■関連リンク
・国土地理院地形図閲覧システム:咲来峠
・国土地理院『うぉっ地図』:咲来峠
・国土交通省空中写真:CHO-77-9-C8B-7, 8, 9 / CHO-77-9-C6B-14, 15, 16 / CHO-77-9-C7B-17, 18, 19
・峠名覚書