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二口峠 (ふたくちとうげ)

【標高】940m
【行政】山形県山形市〜宮城県仙台市太白区
【経緯度】北緯:38°16′32″/東経:140°29′23″
【水系】最上川水系立谷川?〜名取川水系名取川
【二万五千図】山寺:NJ-54-21-11-1 仙台11号-1
【五万図】山形:NJ-54-21-11 仙台11号 \ S57修
【ツーリングマップル】東北 P38 3-E

 地方主要道仙台山寺線(県道62号)。正確に言えば二口林道のピーク=二口峠、ではない。地形図を見てもわかるように、二口峠の表記はピークよりも幾分下ったところ(ここも尾根になっている)にある。二口街道は以前より2つの越え方があったようで、仙台藩側はほぼ同じだが、尾根に出る直前で二手に別れ、地形図上の二口峠を越えるもの(古くは山伏峠といい、山伏越二口街道とも呼んだ)と、現在の林道が越える地点にあった清水峠を越えるものとがあった。前者は立谷川渓谷に沿って下り、芭蕉の「閑さや岩にしみ入る&T02e5ef;(せみ)の声」で有名な山寺を経て風間へ。後者は高瀬川を下って高野宿(現高瀬)となり、風間で両者が合流する。距離としては清水峠越えの二口街道のほうが近いのだが、こちらは登りがきつくて馬が通れず、そのために二つの道があったようだ。もちろん、二口街道という名称はこのことからついている。
 江戸時代、仙台側の番所は野尻宿(宮城県仙台市太白区野尻)にあり、藩境警備のために足軽が詰めていた。彼らによって峠道の安全が確保されていたわけだが、明治に入って御一新となり、藩から与えられていた扶持米を絶たれてしまう。そんな彼らの困窮を助けようと、山寺村馬形の有志たちが二口街道の改修を山形県庁に申し出ている。街道を改修し、通る人と荷物に税をかけようというものであった。今でいう「有料道路」である。が、明治十五年に関山隧道が開通し、車馬の通行が可能となったため、この二口街道は急速に寂れていった。結局、投資した資金も回収できなかったそうだ。(参考・無明舎出版「東北の峠」)(な)

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■関連リンク

・三上 昭さんの峠行の記録
・国土地理院地形図閲覧システム:二口峠
・国土地理院『うぉっ地図』:二口峠 
・国土交通省空中写真:CTO-76-20-C10A-5, 6, 7 / CTO-76-20-C10B-1 / CTO-76-20-C11-10, 11, 9
峠名覚書


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