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  昭文社発行の「山と高原の地図・北摂の山々」に掲載されている峠、いわゆる北摂の峠を中心に紹介しています。地図に名前がなくとも、地形図やその他文献で名前がつけられているものはすべて掲載しました。

 グリッド番号は同地図のもので、標高は10m単位、一の位切捨てです。

 写真のある峠は峠名のところからリンクしています。イタリック体の記述はOUCCの部誌「銀輪」より引用しました。昔の峠の姿です。


北部編 / 南部編 / 地図から外れるけど・・・ / 番外編 / おまけ

北部

1-B

吹越峠(410m)
 弥十郎ヶ岳への登山道でもあるこの峠、銀輪他のOUCC文献にさえ出てこない、見捨てられた峠である。南側の目印は小さな橋。97年頃はこの橋が崩壊寸前であったらしく、ほとんど使われていない様子だったが、近年になって入り口の橋が改修されてふつうの林道に戻った。どちらがわも林道の終点からいつのまにか登山道になり、最後の急傾斜を直登すると峠。特に南側はどこが道なのか判然としない斜面である。峠は、なんてゆーかこう、堤防みたい。この比喩は実際にいってもらえば120%理解して貰えるだろう。北側の薬師キャンプ場からの道のほうがしっかりしている。

■飛曽山峠(国道372号)(270m)
 国道372号、篠山の宮の前と小野新の間にある峠。これは山高にも地形図にも載っていないが、早く銀輪’78.8などにその名が現われる。篠山マラソンのコースとしても目印的にこう呼ばれる。峠には廃屋になったドライブイン「飛曽山」。峠とは言えないようなコブ。
「R372の何でもない峠。」(北摂:’78.8)

1-C

奥谷峠(590m)
 山高では通行不可とあり、事実そのとおりである。しかしこの峠を通過する「青少年自然遊歩道」というのは自力で道を切り開きながら行くことを趣旨とする道らしいので、それを行くのもまた若者の特権といったところ(そうか?)。篭坊温泉の一角にある「かじか公園」から分岐して、篭坊新田へ。ここの神社の前にある小さな道が本来の峠道のようだ(車道の行き止まりからまっすぐ行く道は杉林の中に紛れ込んでしまう)。峠はどこにでもありそうな廃れた峠。北側のほうが道が不明瞭で、かなり覚悟しなければならない。97年の時点では道のみの字の一画目くらいしかなかった。ナタ必携。

1-D

天引峠(国道372号)(340m)
 あまびきとうげ。狭い舗装な上に東側はカーブが多く、4tトラックがガンガン走っていて恐ろしいこと限りなし。篠山町が篠山市になった日に偶然登ったら、峠の地名看板はちゃんと篠山市になっていた。でもマークは未定。峠にはお地蔵様(顔が削られていてどこか不気味)があり、その反対側の崖の上には旧道跡と思われる道の跡がある。篠山のほうはまだ素直な道。

1-E

八田峠(国道372号)(260m)
 バス停の名前として山高に出ている。天引と南八田の間にある、50up程度の小さな峠。とはいうものの、荷物満載で登ったのでしんどかった。峠には何もなし。あれっ、バス停もなかったぞ。そういえば。(最新の山高を見たら、峠の西の集落にバス停があった。間違えたかなあ)
2-B

古坂峠(四十九峠)(県道12号)(470m)
 県道12号、後川から篠山方面へ抜ける城東トンネルの旧道。数年前までは非常な廃道であり、私は大好きな雰囲気であったのだが、97年5月に行って見るとあっさりきれいに整備されていた。「うそっっ!!」と叫んでしまうくらいの変貌ぶりであった。こんなことってあるんですねえ。この峠が廃道の真っ最中だった94年に、この峠をナタと鎌で切り開いたOBの方がいて、その方が峠に残した看板が私にとっての古坂峠であった。しかしこの看板も、99年頃の送電塔建設にともない撤去されてしまった模様。北側は以前のままの廃道です。
「峠の下に城東トンネルが完成してからは廃道になっている。一部、荒れていて押し担ぎが必要。旧道にはトンネルと違う楽しさがある。」(北摂:’78.8)
 昭和40年頃の地形図では「四十九峠」という名前で載っていたそうです。OBの方が教えて下さいました。

2-C

原峠(570m)
 後川新田の車道の行き止まりから畔道を右に行けばこの峠へ。なかなか面白い道であった。道はもちろん登山道だが、傾斜が緩いので頑張れば峠まで乗っていけないこともない。峠手前の雑木林に日の光が差し込む光景が印象的だった。峠から福住への下りは倒木の嵐。現173号の高架の下あたりに出てくる。
「最初聞いたときには、「はらいがたわ」の別名かと思ったが、よく見れば、1/5万にも、天王峠の近くに載っている。きれいな舗装が急にあぜ道に変わり、それが、押しの道に変わる。山中はほとんど乗れない。入り口も南側は不明で、土地の人に聞かねばわかるまい。」(北摂:’81、82.2)

丈山乗越(650m)
 乗越も峠に含めるならば北摂最高所。方角的には篭坊温泉と篠山の辻をつなぐことになるが、生活の道であったかどうかはわからない。篭坊新田から乗越までは登山のための道ということでよく整備されている(麓には解説看板もあり)。まばらな杉林の中を登る道はそれなりに風情があってなかなか良い。
 峠は乗越だけあって水平に近い尾根。峠々していず、展望の類はまったくなし。峠より向うも杉林で、そこには作業のための道(の跡)程度しかない。これを無理矢理辿ってみたが、一つ右隣りの谷に移って、その後は完全に沢歩きである。ある程度下ってしまえば林道とおぼしき道に出ることができるが、これも何度か分岐と合流を繰り返す複雑な道で、しかも廃道気味。このあたりの道は山高に載っているのではあるが、あてにすることは危険である。

泉郷峠(仮称)(470m)
 20年間ずっと仮称のままという、かわいそうな峠である(北摂:’78.8にも仮称と断わって載っている)。杉生新田からざっくり150up。勾配がきつく案外しんどい。峠からは多紀連山の遠望が素晴しい。
「泉郷峠(仮称) 杉生新田と篭坊を結ぶ峠。エアリアマップにこう書いてあるのでこう書いた。峠にある「多紀」という石碑が好きだ。」(北摂:’78.8)
 塚本さんのこの記述から、私もずっと「多紀」だと思っていたんだが、C.E.P.をきっかけに再度登って調べてみるとどうもそうではないようだった。上のリンク参照。

天王峠(国道173号)(490m)
 ここは一種の片峠。天王の集落はちょっとばかり開けた山中の平地。ここから篠山へはすねこすり坂を転げ落ちるように下る。現在はものすごい道の付け方で新道がついている。でもやっぱり、すねこすり坂で下ってほしいな。このつづら折れも魅力。はらがわ峠のうねうねもいいが、最近は木の茂り方が激しくなって道が見渡せない。すねこすり坂はまだ見通しが利く。峠付近には「丹州街道古民謡」の石碑がある。新道のトンネル上には社があり、付近は立派な森である。特にアカガヤの見事な古木がポイント。
「峠と言っても、天王からは下るだけである。未だ、北側から登ったことがない。道路の付け替えで工事していたトンネルはもう完成したかな?」(北摂:’78.8)
 「摂陽群談」では天王の背後に「天王峠」と「脛木摺峠(すねこずりとうげ)」の2つの峠があると記している。後者はまちがいなく現在の天王峠(すねこすり坂)だが、もう一つの「天王峠」とはどこであろうか。やはりアカガヤのあるあたりになるのか?(北側には道が残っていないことを確認済み)。ちなみにこの本の約百年後に出た「摂津名所図会」には脛木摺峠だけしか載っていない。
2-D

はらがたわ峠(580m)
 圧縮つづら折れが面白い。信州の安房峠を10分の1スケールにしたよう。新道を行くよりも余計に登らされるが、あっちの直線アップはあまり好きではない。ぜったいナエるって。峠の北側、ほんのちょっと下った所に水場がある。時折沢蟹を見ることもある。
「はらいがたわ 1/5万には「はらいがたわ峠」、エアリアマップには「はらいがため峠」、能勢町のパンフレットによると「はらがたわ」。諸説紛々だが、山のタワんだ所を乢(タワ)といい、「タワ」を「コエル」「タワゴエ」から、「トーゲ」となったという説がある。乢の他、屹、嵶も峠と同じ意味で使われるらしい。タワという言葉自体に、峠という意味が含まれている。それ故、ここではタイトルに「はらいがたわ」を採用した。今はR173の一部で全面舗装されて、北から南への下りは豪快だが、昔は、摂丹街道と呼ばれた道。昔話も数々ある。峠の100mほど北にわき水あり。」(北摂:’78.8)

3-B

柏原峠(杓子峠)(550m)
 柏原から大野山の肩を越えて後川へ抜ける峠。地形図や山高には載っていないが、山高の「一本松」(大野山山頂の駐車場裏から下る道の途中)あたりにある。現在の峠はこの道とゴルフ場のおかげで素っ気ない状態で、しかも峠から後川へ下る峠道は峠付近で道が寸断されているためかなり難儀する。ここは後川から登るか、ゴルフ場近くの杉を植林している地点から排水溝をたどって谷底まで下り、反対側にある峠道に至るとよい。後川側の峠道はよく保存されていて、道すがらにはひっそりと「史跡 七ツ石」と刻まれた石碑もあったりして何やらいわくありげ。調べてみるとこれはこういうことらしい。本当のところはどれが正解なのだろうか・・・?

後川峠(550m)
 大野山山頂と西峠の間にある峠。もちろん登山道。この道のほうが最短距離であり、理論的には「西峠の旧道」にあたる(とはいえそれ以前に杓子峠があったはずだが)。山高には大野山山頂から稜線沿いの道(最新のものでは山頂よりわずかに下った地点から巻く道)が載っているが、現在では通行不可能である。私はおとなしく山高点線道で越えました。西軽井沢から忠実に辿るよりも、大野山登山道の紫道からショートカットしたほうが楽。草に埋もれる寸前の、明るい雑木林の中を押し上げていくと、杉に植生が替わったところで峠。このあたりの峠の雰囲気は大好きだ。峠より後川側の杉林はセオリーどおり道が不明瞭。適当に下って行けば林道に出られ、たどっていけば丹波猪村の敷地内に出てくる。登山道と林道との合流点は林道から見るとまったくわからないような笹薮なので、丹波猪村の側から登るのは少々困難である。2000年の時点では峠直下の杉林が広範囲に伐採されていた(が、肝心の笹薮のあたりは以前のまま)。

西峠(県道12号)(460m)
 大野山の東の鞍部を越える主要道。さして印象的なものはないが、阪大から篠山、福知山方面へ行こうとする時に必ずと言っていいほど利用される。「摂津名所図会」の杓子峠の項目にある「道が杓子のごとくに曲がりたる故」というのを採れば、西峠=杓子峠ということになる。ただし杓子岩なるものがどこにあるかは不明。
「今では、すっかりきれいな道になり、走りやすい。」(北摂:’78.8)

4-A

見比峠(300m)
 「兵庫の峠」には市小野と小柿をつなぐ峠とあり、対応するのは現県道の309号であろう(峠の鞍部は山高の地図の端ぎりぎりに載っている)。西側はなだらかな登りが続くが、東は一転して急坂のつづら折れ。この対比はなかなか面白い。峠西に道しるべあり。
4-B
杉坂峠(県道507号?)(420m)
 県道37号から西峠を経由せずに大野山ふもとの柏原新田へ抜けられる、ちょっと便利な峠。でもあまり知られていない。杉生から柏原への道と、県道37号の田中からこの峠までの道は共に県道507号とあり、将来はつながるのかも知れない。今のところ田中から峠までは舗装で、峠と峠より東は登山道である(峠の西側にはサン「グ」レートゴルフ倶楽部がある)。登山道とは言い条、乗って下るにはさしあたって不可能ではないんで、この方向に越えるのがいちばん利用価値がある。逆から行けないこともないが、柏原新田側の峠道は入り口が非常に変な所にあるのできっと迷うだろう(ふもとから登り始めて勾配がきつくなった地点にある民家のわきを通っていく。なんて書いたらもっと混乱するかな)。峠西に道しるべあり。
4-C

中山峠(310m)
 杉生と山田・今西をつなぐ。SFちっくな猪名川変電所前を通る道である。山高では峠の記名がやや北寄になっているような気がするが、気のせいだろう。中山峠から南への道(裏山林道への道)がなかなか面白い。ただし登りはしんどいかも。
「1/5万に名前はのっていないが、エアリアマップには一応名前がついている。付近のバス停には「峠」としか書いていない。名前でもめるほどのこともない。楽勝峠。」(北摂:’78.8)
 そうそう、峠の観光栗園の名前が「峠」であったっけ。

浮峠(280m)
 能勢の盆地の端々の集落、山下と山田をつなぐ車道の峠。現在ではあんまり利用価値がないが、はらがたわ峠を下った古い摂丹街道はこの峠を通過して稲荷坂のほうへ向かうものだったようだ。そんなマイナーさが好き。北から南へ越えるが楽。
「地道だが、よくしまった走りやすい道である。」(北摂;’78.8)
「上山辺に住んでいる子が今西にある学校に通うのに使っている道のようですョ。そう、ここはスクールゾーンになっているのですよ。たいしたことは、ない。たいしたことはないが、通学に一日二度も越えるとなると話は別じゃ。」(ポタリングの友:銀輪別冊「道」’84)
 ちなみに私もここをママチャリで登ってくる学生君に出会いました。大変そうでした。
4-E

暮坂峠(300m)
 最新の山高でも小道の表示になっているが、実際は車道である。あの薄暗い地道の峠が好きだったのだが、最近は豊能郡環境美化センターのおかげで騒々しいこと限りなし。道の機能としてはさほど重要ではない位置にある。2000年の春から遂に通行禁止となった。
「前の篠口峠と伴に豊能自然歩道の一部。この付近では5月からセミが鳴いている。又、近くに栗園も多い。」(北摂:’78.8)

篠口峠(290m)
 倉垣の七面口バス停から西へ行き、その行き止まりから登山道が始まる。地図や地形ではうねうね道的であったが、実際は谷の左手(進行方向右手)に新しい登山道が作られている。これで峠まで一直線。峠は少し広めで、なかなか雰囲気がよろしい。峠西は道が広く、自然歩道として整備が進み、たいへん行きやすくなった。私がはじめて行った時(1995年)は東側が荒れ放題で、尾根まで担ぎ上げたあと、峠へ「下った」。

■逢坂峠(310m)
 北摂には「おおさかとうげ」が2つある。その一つ。宿野から登った地点から見下ろす田園風景がきれいだ。
「かつては、トップギヤで登っていたのが、今ではインナーまで使うようになってしまった。」(北摂:’78.8)
「蝉丸の歌を思い出しそうな、よくみる名の峠ですねェ。この名の峠は2つの集落を道が、たった一つの峠道しかない場合が多いようだ。つまり2つの村落を行ききする者は必ずそこを通る。それで、行くも帰るも別れては、知るも知らぬも逢坂の関となるのだろう。同じようにこの地も昔は宿野と田尻を結ぶ道はここだけだったのではないだろうか。」(ポタリングの友:銀輪別冊「道」’84)

4-G

■ひいらぎ峠(国道477号)(280m)
 吉野関、一本杉越などの異名をもつ峠。古くはここに関所があったという。初夏ランなどで京都方面に行く場合などによく使われる。峠自体はたいしたものではない。ないのだが、一回の初夏ランの帰り、体力と精神力が限界となって、北側のゆるゆる傾斜を押し登ってしまった情けない記憶がある。
5-D

■宮峠(460m)
 才の神峠と中山峠の中間に位置するが、ほとんど注目されない。確かに行っても何もない峠である。広い陵線の一地点といったところ。西に下れば裏山林道開通記念碑のそばに出てくるが、この道、バイクの轍でえぐれ返っているのが興醒め。

才の神峠(410m)
 北摂最古の峠と言われる。棚田で名高い長谷と紫合(ゆうだ)をつなぐ。長谷からの登りは少々きつい登りとなる。いろんな登り方あり。峠の南西側と峠付近はダート。自分としては、峠から西へ下って中山峠へ抜けるコースが好きである。峠には庚申塔と看板。
5-E

阿古坂峠・稲荷坂(300m)
 むしろ阿古坂で切ったほうがよさそう。「兵庫の峠」では上阿古谷(かみあこたに)と大阪府能勢町上杉・平野をつないだ峠として紹介されている。上野から登り切ったところにはお稲荷さんがあり、稲荷坂とも呼ばれていたようだ(道のわきに稲荷坂の碑がある)。一庫ダムができ、国道173号が整備される以前は池田と亀岡方面を結ぶほとんど唯一の交通路であったらしい。

坂井峠(300m)
私の一つ上の先輩は峠へ立てたそうであるが、私が行ったとき(1995年?)にはもうすでに車道をざっくりと切通していた。以前の峠はもちろん消失。車道の峠からの展望はよい。
「西側の方が道が悪く、「押し」が必要。わざわざ好んで行く必要のない道だと思っていたが、今年の三月のある雪の降る日、峠付近で「ふきのとう」数株を見つけて感激したことがある。」(北摂:’78.8)
「どうしてこんな峠に名が付いているのだろう。東からは、急な舗装をちょっと登ると、突然一軒の民家の前で道がなくなる。すると、その家からおばちゃんが出てきて(編者註:恐らく阪井さんである。続・ポタリングの友参照)「坂井峠でしょ?それやったらこの上やで」といって教えてくれる。言われてみれば、たしかに舗装が終わっている先に、細い、人が踏んで作った道がある。そこから即、押しとなり、あとは峠までほとんど乗っていける。私有と思われる栗林をくぐると峠となる。」(ポタリングの友:銀輪別冊「道」’84)
 さらにいうと、99年度の春に開かれたOBポタの時には完全に舗装となっていた。ただし切り通しの峠の上には、現在の道を垂直に横切る形で旧道(登山道)が残っている。南西側はある程度辿れそう。

■名月峠(明月峠)(270m)
地形図には明月峠とある。バス停には名月峠。伝説ありて「摂津名所図会」にも図版入で載っている。
「西側からは、旧道を通ったほうがおもしろい。峠付近には、明月姫の墓があり、ある伝説が残っているそうである(エアリアマップ「北摂の山々」参照)。決して恋人と行くことなかれ。」(北摂:’78.8)
 この旧道というのは、おそらく名月峠西側の名月温泉跡そばを通る点線道であろう。続・北摂ですでに通れなくなっていたようである。
5-F

猪の子峠(270m)
野間の大ケヤキから西へ行ったところにあるこの峠、こちら側は舗装(一部だけダート)であるが、西側は直線のダートがずばっと通っている。この剛直さが面白い。東側の安徳天皇御霊跡伝説の地で、途中のピークには解説看板と「位の高峠」という立て札がある。
「峠付近の石碑の横に1本の大きな松の木が、私が一年の頃にはあったような気がするのだが、今は切り株だけが残っている。高岳△411.7への登り口。」(北摂:’81、81.2)
 その切り株ももはや朽ち果てようとしている。
「西サ連なら、この峠に来たら猪ノ子を必ずしようぜ!地道だが勾配はゆるやか。夏は草ボウボウになります。高岳への登り口です。」(ポタリングの友:銀輪別冊「道」’84)

仏坂峠(300m)
 忘れられた舗装の峠。ここの東側は地形図も山高も役に立たない、おかしな道になっている。この不明さはいつになっても改善されず、そのかわり峠道は舗装化された。それでも峠道の静かさとお地蔵様は忘れ難いところである。西側には古墳あり。
「サイクルO.L.のためにあるような峠かな?」(北摂:’78.8)
「東からtryすると必ず登り口で迷って、つり堀の方まで行ってしまう。明らかに5万分の1の地図がおかしいせいだ。地図のアホー。西からは前輪が浮いてしまいそうな、かなり急な地道が続く。しかし、ここで押すようではまだまだですなぁー。一度行ってみてください。うす暗くてあのじめじめとした雰囲気…個人的には好きです。」(ポタリングの友:銀輪別冊「道」’84)

5-G

■堀越峠(380m)
 倉垣からこの峠を越えて杉原へ。倉垣側の傾斜がタマラナイ。この傾斜は北摂中でも最高の部類に入り、私はここを一気に登れた試しがない。狭い谷に民家がひしめく杉原の集落が地味に気に入っている。

南部
1-A

切詰峠(240m)
 以前の峠道をざっくりと切り詰めているはず(これが名の由来か?)。峠の切通しの十mほどの崖上に「東◯」と書かれた立派な石碑がある。彫られている文字が泉郷峠の「多紀」の碑のごとくの達筆であって、無知な私には「東」の文字しか判読できなかった。石遍であるのは間違いないのだが・・・。三田アイススケートリンクがある、といったほうが通りがいいかな?
「別に何もない峠だが、峠の名前の由来は何だろう?」(北摂:’78.8)

■六丁峠(410m)
 羽束山の肩にある、よくわからない峠。とはいうものの、古くから信仰の対象となっていたこの山は、登る者が多く、そのためか道すがらには里標が並んでいる。麓が十丁、登るにつれて九丁、八丁、七丁…となり峠で六丁。ここから先はいくぶん楽な登りとなる。山頂で三丁やったら面白いんだが、やっぱりそうではないらしい。峠には看板と大きなお地蔵様がおられる。林の中の静かな峠である。

■大坂峠(300m)
 上佐曽利、波豆川(はずがわ)と木器(こうづき)を結ぶ峠。波豆川からの登りはその名にふさわしい急勾配の道である。峠の「おりに入った」お地蔵様には何やらいわくがあるらしい。
「幽霊でおなじみの峠。赤い檻で囲われた地蔵さんは異様である。夏の夜の納涼ポタに最適。初めての新歓ランで行った。」(北摂:’78.8)

猪の倉峠(250m)
 地道の少なくなった北摂のなかで、けなげに地道を守り続ける地道の峠。峠にはお地蔵様がおられ、雰囲気が大変良いところである。峠から数十歩ほど東に入り込んだ地点には、実は池があり、この池の水は「峠を越えて」猪の倉側へ流れる仕組になっている。小さいがのんびり昼寝がしたくなるような趣あり。
「西側の方が少し荒れている。東側はゴールデンウィークのころには「つつじ」がきれいだ」(北摂:’78.8)

1-E

大部峠(小部峠)(250m)
 大部峠は山高にのみ載っている登山道の峠。民田から10数mくらい登ればすぐに峠で、あとは上原(能勢電鉄日生中央駅付近)へするすると下っていく。峠には井戸の跡らしきものがあって趣を添えている。上原への下りは自転車でも楽しめるが、休日はハイカーさんに注意。

 民田側の入り口には看板があり、上杉あたりから年貢米を運んだ能勢街道(と呼ばれた道)にあたること、小部峠ほかいくつかの峠があったことなどが記している。この看板の小部峠は山高の大部峠の反対側、ほとんど廃道になりかけている登山道をぐりぐり登ったところだと思っていた。明らかに人の手が加えられたクヌギの並木や峠などがしっかり残っていてそう感じたのだが、山高の大部峠=小部峠であることを、とある方に教えていただいた。発音でいえばどちらも「おーべ」であり、漢字はその音に宛てて、大部だったり小部であったりするわけである。


1-F
大土峠(国道477号)(300m)
 地形図では大槌峠。特徴のない峠だが、阪大から野間へ向かう時あるいは帰る時によく利用される。野間へ抜けるにはこの道が最も近く早い。峠の向こうから野間の盆地の展望がなかなか。
「野間から帰る時に良く利用するが、南側への下りは、デコボコの舗装で、おまけに休日は「妙見口駅」まで車が多く、いやだ。」(北摂’78.8)
もちろん今現在はきれいな舗装になっている。
1-G
大堂越(430m)
 野間から妙見山頂への近道といった感じの峠。以前は行く部員も多かった登山道峠であるが、最近はほとんど走行記録なし。大原の家々のすき間を縫っていくと砂利林道になり、スライド式ゲートの向こうも峠直下100mくらいまでこの調子である。水源かん養林の看板がある地点から担ぎになるが、これも5分ほどで峠。峠からさらに九十九折れの道を登れば妙見山駐車場の奥に出る(奇妙なロボットのいる地点、といっても誰も知らんな)。峠より南、ケーブル黒川駅方面への道は以前以上に荒れている。全く乗って行けないので、コースとしては妙見山頂から大堂越経由で大原へ下るほうがおすすめ。特に黒川駅周辺は、山高の地図もあてにならないことで(部内では)有名であった。もしも黒川の側から登るならば、ケーブルカー黒川駅のすぐ脇の小道を行き、川を渡って紫道に乗るべし。紫道は車道へつながる前に廃道となってしまう。
「北側からだと、峠の少し手前までちゃんとした道で乗って行けるが、急に伐採地に入り、道が不明で少し迷った。」(北摂;’78.8)
「三度行ったことがある。しかしその前に恐ろしい体験をした。ポタリングで黒川から大堂越を試みたが、登り口を間違えて1日中自転車をさげて、山の中をさまよったことがある。あのときは一夜山中で過ごす覚悟をしていたが、無理やり道を作ってなんとか下れた。下ったとこは、なんと大土峠であった。別な意味でこれほどシビアなポタリングはなかった。」(ポタリングの友:銀輪別冊「道」’84)

野間峠(490m)
野間中と野間口をつなぎ、妙見山への登り道としてよく使われる。峠のトンネルはあんまり時間短縮になっていないが、昭和11年からああして建っていると言われるとやはり感慨深いものがある。
「妙見山への登り口。東から登ると、登りが楽な割に下りが長く快適である。」(北摂:’78/8)
「この峠を語らずして、OUCCのポタリングは語れない…という程、うちのクラブではポピュラーな峠です。野間口からの登りは大したことはないが、野間中から登れば「広根」の峠の中では最もスケールの大きい峠であると、私は思う。峠はトンネルになっていて、その東側には売店があり、妙見山への登り口となっている。湧水はありませんよ。」(ポタリングの友:銀輪別冊「道」’84)

2-A

香下峠(230m)
 バス停の名にそれをとどめるだけの峠。羽束山の南の麓を越える。至って特徴のない峠である。正味のupも少ない。
2-F

吉川峠(280m)
 能勢電鉄の終点の一つ、妙見口駅・吉川の住宅地裏手を登ればこの峠がある。どの文献にもこの名は出てこないが、現地には吉川峠という名であることを示す道標(といってもいわゆる峠の看板ではない)がある。OBの方もこの名前で記憶しておられる方が多い。この峠を越えると一転して雰囲気が変わり、下止々呂美(しもとどろみ)までの数キロはちょっとした秘境気分が味わえる。止々呂美の入り口は採石場。
4-A

赤坂峠(280m)
 西宮名塩から生瀬のあいだは自転車に不利な道。路側帯も歩道もないに等しいので集中力が要る。峠には交通看板で「赤坂峠」。高速道が鞍部の底辺をブチ抜いていて、国道はその切り通しの上に乗っかっているといった感じだ。ふもとの集落を抜ける「蘭学通り」というのはどんな由来があるのだろう?
4-C

榎峠(340m)
 若宮から鳥畑を経て切畑へ。若宮からの登りは300up程度だが、低い峰越えの峠が多い北摂の中では突出した登りである。特に峠手前できゅっときつくなる傾斜は、一気に登ろうとする者の気を殺ぐに充分。舗装化される以前の地道のこの峠は、新入生の恐怖の的であった。
「かつては、すごい地道であったらしいが、だいぶ良くなり多田院から若宮まで舗装された。でも、間違っても、多田院のほうから登る気はしない。」(北摂:’78.8)
 実際には若宮からの登りのほうがきつく、銀鱗'83別冊『道』の「ポタリングの友」にもそのエグさが記されている。しかし、この本が出た数年後には全舗装となった。ちなみに今現在の峠道は、若宮の集落のあたりにバイパスができているほどに整備されている。このバイパスは94年だったように思う(はじめての新歓ランで、まだ工事中のここをつちぼこりを上げながら下った記憶がある)。

■十万辻(370m)
 正式には峠でないが、宝塚から登れば明らかに登り下りの境である。古くから軍略・政略の上で要障であったそうで、源義仲がこの辻に十万の兵を擁したとか、源頼朝が平家追討の兵十万をここに集結させたとか、羽柴秀吉が西国平定の際に十万の兵を勢ぞろいさせたとか、全く諸説紛々である。まあこういうのは「なんだとさ」話で楽しんだほうがよいでしょう。ここから西、立合新田への苔むした舗装の下りはなかなか趣がある。ただし道が狭くブラインドも多いので対向車に注意。立合新田から先は舗装がつながっているようだが、現地には「この先通行不可」という看板がある。本当はどうなんだろう。自転車で行った私は山高点線道でショートカットして僧川(ぼうさんがわ)へ下りました。この岩場道もなかなか面白いが、自転車に乗って下るには少々つらい。
「北から南に下れば、豪快な下りを楽しめる。でも、下ってから宝塚市内で必ず車の渋滞に会う。それがイヤであまり行かない。」(北摂:’78.8)
1999年発行の山高では標高が『878.7』になってる…。当然そんなにありません。


4-D
時付坂(260m)
 古くはトッケ峠と言ったようである。川西満願寺と多田院をつないだ峠。現在は愛宕ゴルフクラブの中に峠路が取り込まれてしまっている。恐らくゴルフカートが移動するための狭い舗装路を登って行くと、ゴルフ場の西端のホールのティーグリーンにたどりつく。峠へはもろにこのグリーンから登るはめになる。峠自身の雰囲気は北摂随一。兵庫縣の古い看板が何とも言えずいい味を出している。峠から若宮へ下る路はずっと乗っていけるいい路である。

地図から外れるけど・・・

青原峠
 後川から西へ、永沢寺付近を経由して母子へ至る道である。地形図にも掲載ない名前だが、
「有馬郡母子村にあり。所伝永沢寺、山号に因れり。自是、丹波国小枕村の西に出る所なり。寺記其部あり(摂陽群山)」
 とのこと。新ツーリングマップでは町境のところより西へ紫道の印が伸びているが、これが古い峠みちに相当する。一車線のコンクリート簡易鋪装で狭く暗い谷をずるずると登って行くと峠。大人の背丈の半分ほどはある三面の馬頭観音がおわします。峠道も含め、この雰囲気は絶品だ。簡易コンクリート舗装は県道308号から始まっているが、これよりももう少し上流の地点に石像と小さな道しるべがあり、これが指し示す田の間の作業道が本来の道だったものと思われる。そうそう、後川から峠までの道はものすごい山深さ。
母子峠
 県道49号、三田と篠山の境。美濃坂峠、三国峠などとも呼ばれ呼称は一定しない。OUCCもふだんはここまで来ることがない。篠山からの登りはTTができそうな道。ふもとから峠がよく見えていて、逆に言えば峠付近から篠山盆地が一望のもとにできる(展望台あり)。母子側から見た峠は狭く閉塞感が強いが、南向きの斜面には茶畑が整然と並んでいて心地よい眺めである。小さな休憩スペースがあり、この隅にある道しるべによれば、この付近から三国山方面を経て直接永沢寺へ向かう道があったようだ。
琴引峠
 切詰峠を西に越えて、北上し、見比峠あたりで山高範囲に戻ろうと考えていた私の前にこの峠があった。知ってはいたんだけどね。やっぱりね。ちょうどうまい具合いに地図から外れている。
 そんなことはどうでもいい。平安時代末期、策略によって出家させられこの地へ隠棲した花山法皇。それを慕ってやってきた女官たちだが、法皇のいる山(花山院)は女人禁制で入れなかった。せめて琴でも爪弾いて慰め奉らんと夜な夜な琴を弾いたのがこの峠であったという。そんな感じの物語が残る峠である。

番外編

ここにあげた峠は、開発によって消滅してしまった峠、通行禁止の峠、位置が確認できなかった峠です。

■長坂峠
 才の神峠と並んで歴史の古い峠であり、うちの部御用達の峠であったのだが、開発の波は容赦なくお地蔵様も崩れた橋も飲み込んでしまった。1990年代のはじめのことである(1992年の続・ポタリングの友にはすでにゴルフ場開発が始まっていたことが記されている)。私は舗装化されたあとのこの峠(があった地点)しか行ったことがない。
「峠には、お地蔵さんがまつってある。北摂には地蔵さんが多い。南側の方が荒れている。橋が落ちているところがあるので注意」(北摂:’78.8)
「東側は知っての通り、昔から橋が落ちたままである。こちら側の地道はちょっとしんどい。西側からの方が楽ではあるが、入り口がややこしい。また西側からはじめて登ると、下る道を絶対まちがえてしまう。西側から登ると、下りは向かって左側のそれらしくない方である。峠にはお地蔵さんがいらっしゃって、「はるばると 登りてみれば 慈悲深き 守りたまえる 辻の地蔵さん」(ちょっとちがってるかもしれないが、だいたいこんな感じ)という、ゆかしき歌がかいてある。」(ポタリングの友:銀輪別冊「道」’84)

■ソエ谷峠
 ここも実質的にはサイクリングで行ける所ではなくなった。数年前にこの峠の下りでMTBとハイカーの接触事故が起こって以来、バイクはおろか自転車さえも通行禁止になってしまった。悲しいことであると同時に、自分も注意せねばならないと、この峠を担ぎ下ろしながら考えたものである。銀山までの道は非常に山深く、かつ細々とした道であって秘境気分を味わえるが、対車輪用と思われる敷き詰められた砂利とゲートには意気消沈させられた。
「兵庫県自然歩道の一部で良く整備されているが、東側は押しが必要。西側は乗っていける。」(北摂’78.8)

■中山峠
「川西市東畦野から平野に通ずる、昔関所があったと伝えられる峠。この峠のため、北部に住む人達は、大変な苦労をしたそうである。中山峠から南に下った位置には「文殊の渡し」があり、降った大雨によって急激に増水することがあり、他に道がないため、一列につないだ牛を楯にして渡ったが、川の中程にある浅瀬のほかは、中の倉まで浸ったという。現在では、そのほとんどが、川西ゴルフ場にかわっている。」(「兵庫の峠」)

■横山峠
「川西市東多田から、池田市吉野へ通ずる道であるが、嘉永5年(1852年)11月、新田村善兵衛と木部村新衛門が発起人となって峠の西にあたる猪名川ぞいの道(編者注:いわゆる現在の国道176号、多田のダイエー手前のアップ)を改修した。古くは大坂、池田地方から横山峠を越えて多田院に通じていた唯一の道路であった。」(「兵庫の峠」)

■横路峠
「川西市高代寺からこの峠を経て、保之谷から保合へ出る。山陽自然歩道のコースであり、奥能勢の展望道。横路峠を越えると造成された多田、山下方面が山裾一面に広がって見える。」(「兵庫の峠」)
この峠の正確な位置はよく判らない。地形的な峠は上記のコース上になく、むしろ横路〜保之谷の白道か、横路〜高代寺の紫道ピークではないかと思う。高代寺山のゴルフ場から日生ニュータウン方向の展望がよい。

おまけ

豆坂
 川西市中心部から時付坂へ向かう途中にある登り。地図や看板には載っていないが、「豆坂口」というバス停がふもとにある。なお峠には「峠」という喫茶店あり。
天沢寺のトンネル
 県道12号が木間生のあたりで大きく迂回するが、それを直線でショートカットする形で古い道が残っている。ピークはトンネルで、塚本氏の「北摂」でも(上記の名称で)紹介されている。このトンネルは現存する車道隧道としては3本の指に入る古さだとか。入り口出口は石組みだが内部はずいぶんと補修されている。非常に低いトンネルである。

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commented by Naga-JIS