廃村茨川とその周辺:治田峠,白瀬峠


■背景 Background


 滋賀県永源寺町の三重県との県境付近に,かつては茨川という集落があった.現在は住む人もなく廃村となっている.この集落については既にハリマオ氏ほかによる優れた研究があり,ここで報告者が付け加えることはなさそうである.しかし,茨川から東に越える2つの峠,白瀬峠,治田峠については,せいぜい藤原岳登山ルートの一通過点として行程表の片隅に載っている程度で,全くといっていいほど世間から忘れられている.茨川の人々の生命線であった治田峠,茶屋川の奥の奥に炭焼きを運んだ白瀬峠も,茨川の人々が去った今となっては,峠としての機能を失った「地形図上の道」でしかない.








 報告者はそんな峠と茨川に興味を抱き,2002年6月の末,梅雨の真最中に茨川入りした.この地をベースキャンプとして周囲の峠を廻る算段だった.結果的には,雨に降り込められて一歩も出られなかった日も含め,一週間以上この地に仮住いしている.ただでさえ山深い国道421号からさらに茨川へ至るための10.5kmの林道も,自転車で何往復もする光栄に浴した.治田峠を越えてまた戻ってきたため,復より往の回数が多いという奇妙な体験もした.


 その間の経験から言うと,今日のこの集落はいわゆる「陸の孤島」だとか「秘境」みたようなものとは無縁の存在であるようだ.一日たりとてこの集落に車の来なかった日はなく,人を見なかった日はなく,2002年6月30日に至っては私の留守中にテントの前に缶ビールとつまみのゴミをぶちまけて帰ったRV族さえいた.歴史はどうあれ,現在はこうなのである.

 とは言い条,私も所詮は通りすぎていくだけの旅人である.一介の傍観者である.厳しい山の暮らしの上澄みだけをかすめとって,また街へ帰って行く卑怯者である.そんな私ができるせめてもの償いとして,生活の軌跡としての峠を越えよう.記録に留めよう.見覚えのないビール缶とゴミの山,車の轍を前に,そう思った.それから1年を経て結願したのが,本報告書である.
 ただし,そこまでして越え,伝えなければならなかった「何か」がこの峠にある訳ではないし,あった訳でもない.読み返してみてもただ単に「越えた」というばかりのように思える.本報告書は,つまるところ,始末書とでも言い替えるべきものかも知れぬ.



白瀬峠治田峠考察  

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