佐和山隧道(第一次調査:その1)

■調査 Experiment

 報告者は夕方4時過ぎ,東口に当たる鳥居本側から調査を始めた.現国道の佐和山トンネルへは,鳥居本から緩やかな勾配で登ってゆく.住宅内を通る旧道がよけて通る小峰を,現国道は大きな切り割りでぶち抜いている.切り通しを抜ければ,さっき岐れた旧道が鋭い角度で合流してくる.その先がもう佐和山トンネルである.


 向かって左手が国道トンネル.2車線幅の大きなコンクリート製で,坑口が前に張り出した構造に加え,丸みを帯びた壁面に横向きのスリットが入れられた意匠は湖北隧道との共通性が見られる.ただしアーチ輪は自然石風の角石であって,それが壁面の丸みにフィットしていない.ポータルの張り出し具合いも中途半端で,すでに湖北隧道を観ていた報告者には───失礼な話かも知らぬが───ランクの劣る模造品のように思えた.ポータルの左手に銘板があり,昭和30年3月の竣工で,近畿地方建設局,施工者森組の名前が見える.
 右手には1996年11月に作られた歩道トンネル.こちらは最近流行の片流れ式(と勝手に命名する)のコンクリートポータルで,典型的な車道トンネルのミニチュア板といったところ.入口出口に佐和山の石田三成にちなんだオブジェクトがつけられているのも「いかにも」である.

 さて,見える範囲では国道以外に道がない.陸測図で読み取れる限りでは,向かって右手の斜面の奥に道があり佐和山隧道があったはずであるが,その一帯は大きなコンクリート法面となっている.トンネルに近い側には緑の薮も見えているが,そこに至るためにはコンクリート護岸を3mよじ登った上で金網を乗り越えなければならなさそうだ.先程の旧道を想像で延長してみても,この壁より向こうを頭に描くことができない.一旦彦根市街の側に出て,そちらから探索することにする.
 

 歩道トンネルを抜けると,右手に歩道トンネルの完成記念碑.その裏に一本の舗装道があった.道は隧道西口があったはずの谷へ真っ直ぐ入ってゆく.これに相違あるまい.

 奥に行けば,比較的新しい割に人けのない廃住宅が一つ.子ども用の自転車が叢の中で惨めな姿を晒している.その先で舗装は途切れ,草木の覆う地道になる.足元は5cm位は沈み込みそうな泥沼.嫌な感じである.

 意を決して泥沼を中央突破.べちょべちょの路面───というか,すでに道じゃねえ───を枯木をかい潜りながら進む.奥には廃車.2台並べて捨てられているため道の8割方が塞がれている恰好だ.不法投棄はその奥にも続き,合わせて6,7台はあるだろうか.いずれも草に覆われ苔に塗れて,一切触りたくない雰囲気を醸し出している.

 道は確かにある.その先も見えている.だが,足取りが重い.何なんだこの禍々しい空気は.谷を埋める不気味な廃車の群れに,2月の曇天の夕刻.光量が圧倒的に不足している.もっと光を,などと思っているうちに,つつつっと道はカーブしていき,行き止まる.










 あった.


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