佐和山隧道(第二次調査:その3)

 続いて,反対側のポータルを探す.ここは基本に忠実に,隧道の抜ける方向にまっすぐ山を越えて行くことにする.坑道の煉瓦でコンパスの針を定め,ポータル真上に出て,その針に従って直登する.ポータルの背後は見事な孟宗竹の竹薮だ.径が15〜20cmはありそうな太さの緑色がすっくと伸びている.

 すぐに面白い発見をする.石垣が残っていたのである.それも一段ではなく,二段三段といくつも重なって上へ続いている.一つの段と段の間は3mくらい離れていて,いずれも竹が生え尽くしているが,恐らく隧道以前の峠道の護壁だろう(隧道の為にしてはかなり上部にまで石壁が築かれている).かなりのつづら折れで峠に至っていたものと見える.最上段の石組みの上にはまだ道と解る空間.コンパスの差す方向を逸れて道跡に従ってみると.20mほどで鞍部に出た.両側を荒い岩崖に囲まれた.鋭く切れ込んだ峠である(右下写真).峠の底はいくらか崩壊していて,旧態を留めてはいない.しかし大正8年以前は誰もがここを通っていたはずの場所である.

 峠道は南へ回り込むようにして伸びている.こちらは杉林がちになるが,展望は効く.足元に車のエンジン音も聞こえる.先程の続きとおぼしき所から斜面を辿ろうかとも思ったが,少し薮が深いこともあって,もう少し峠道を辿ってからにする.道端には「官地界」と彫られたコンクリート柱(石?)が転がっていて意味深である.

 やがて左手斜面が大きく拓ける.現国道の佐和山隧道の上───およそ30m四方に渡って整地した斜面に雑草が茂っている───に出てきたようだ.ここから下ってみると.この間の旧道が良い角度で見える.その旧道の延長線上は,もっと北寄りの,歩道トンネルの辺りだ.斜面をトラバースしてそちらへ向かう.
 歩道トンネルの上はまた竹薮.この辺りのような気がする.その竹薮に入り込もうとする時に,横に伸びる石組を見た.あれだ!

 

 

 確かにあった.旧佐和山隧道東口ポータル.西口と同様の石組+煉瓦のポータルである.そして予想通り,扁額を含む胸壁より上が露出していた.隧道ポータルとして見なければ,「何でこんな所に煉瓦の壁が?」と訝るに違いないシチュエーションだ.というよりも,ここにこれがあることに気づく人間がまずいないだろうが.


 これが隧道ポータルであることを主張する扁額.けなげである.やはり西口と同じ印が刻まれているが,書体は草書であって横山隧道と同じパターンだ.そうしてまた,こいつも読めない.ぱっと見では,ぎょうにんべんのように見える4文字目はしんにょうの「道」であろうと思う.よって左の2文字が「隧道」であるような感じがする(そうすると横山隧道の東口も「□□隧道」であるか).もうちょっとじっくり取り組まねばならぬ.

 改めて見てみると,地面はちょうど帯石の高さにある.ということは,要石の下まで1m弱.この高さなら掘って抜けられないこともない.そばの竹をナタで叩き割って道具を作りたい衝動に駆られるが,抜けたところであの水溜りだ.西口に帰られる訳ではない.またの機会にしておこう.ポータルに向かって左側は,現トンネル上の荒れ地に面していて,樋があったかどうか定かではない.右側は斜面だがこちらにはただ石積みとコンクリート塊があるだけであった.この側には当時から樋はなかったものと推測される.

 

 

 

 

 再び国道トンネルの上を横断して,登り車線の方へ降りる.隧道東口がある付近は完全に竹薮である(歩道トンネルの右斜め上.防護柵が折れる辺りよりもさらに右手になる).現地調査で解ることは以上で全てだ.


→Next(考察・参考文献・謝辞)

湖国の旧隧道群リストへ

総覧へ戻る