杉本隧道(木之本側坑口・坑道煉瓦積み)

 杉本隧道東口.やはり同様に,コンクリート漬けである.非常に大きな扁額が印象的だ.2000年に発行された「滋賀県近代化遺産調査報告書」には,まだ煉瓦積みが見えていた頃の東口ポータルの写真が掲げられている.恐らく近代化遺産調査の際に撮られたものだろうから,高々5年間の間にこうなってしまったらしい.間に合わなかったことが悔やまれる.なお同報告書によれば,ポータルの煉瓦はイギリス積みであり,3重の煉瓦アーチであったようだ.

 ポータル左手の緩やかな斜面───ひょっとしたら樋の跡かも知れぬが完全に土手と化している───を伝ってポータルの上へ.パラペットの裏側はぽっかりと開いており,そこから当時の煉瓦積みを見ることができた.それにしても,雑な積み方だ.ひどく波打った長手の列に,煉瓦をつなぐコンクリートもすき間だらけ.端に近い煉瓦などは列を飛び出して宙ぶらりんになった状態のままコンクリで固められている.よくもこんなもので,あの大きな扁額を支えられたものだと思う.

 改めて坑口付近の煉瓦巻を調べてみる.するとどうだ,内部の積み方もまた減茶苦茶ではないか.

 右写真はポータル側から見て左側の側壁.路面から3〜4段は長手積み基本だが,完全な長手積みではなく,小口を向けた煉瓦が突然はさまっていたりする.長手2つに小口1つ,また長手2つ,というような箇所もあって,奇妙奇天烈だ.その上から人の高さくらいまでは小口積み一色.そうしてアーチの始まる辺りには,長手の列と小口の列が交互に重なったイギリス積み.アーチ部分は完全なる長手積みである.

 これが側壁の左右で同じであったら,まだ意図的なものと善意の解釈ができる.しかしながら反対側(下写真)は,小口の列は胸の高さ位までであり,かつ奥に行くとイギリス積み風味が加わってくる,そしてアーチとの境のイギリス積みは左側側壁よりも広い.足元の長手の列も,左側に輪を掛けたような出鱈目さである.

 呆然と立ち尽くす報告者.この出鱈目さは,一体何を物語るのか.

 呆然とし過ぎて忘れる所だった.西側坑口そばの杉林には,隧道の完成を記念する記念碑が建てられている.これによれば竣工は大正7年6月で,「滋賀県土木百年年表」の大正8年という数字と食い違う.東側の大扁額にも大正7年6月竣工とあり,どうもこの日付が正しいようだ.碑にはこのほか工事費寄付者として土倉鉱山の経営者である田中平八・銀之助親子の名前,関係町村の代表者名が発起者として刻まれている.

 また西側坑口には一枚のプレートが取り付けられている.「記録」というワードで始まるその一枚は,昭和2年に竣工した賤ヶ嶽隧道にあるものとそっくりだ.ただ杉本隧道のプレートは,昭和22年頃に起こった災害の復旧工事を記念するものであり,現在見られるコンクリート巻き工事を示すものである───隧道内で火災が発生し煉瓦が崩落したというのを何かの資料で読んだ気がするのだが,どこで読んだものか思い出せない───.起工は昭和23年9月10日,竣功昭和26年3月30日,工費は1205万円也.この他に土木部長や道路・土木の各課長,技師,工事請負人の名前も刻まれている.


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