字川向から市庁舎がある字七里へ登る隧道.人馬道クラスの小さな素掘り隧道で,かなりの年季を感じさせるが、明治の旧版地形図や昭和30年代の5万図にも描かれていないため,断定できない.七里「トンネル」というのも竹田市道路網図でそう書いているからなのだが(この図の「隧道」と「トンネル」の書き分けはかなり厳密な模様).しかしルート的には藩政時代から七里越え道として知られていたし,川下隧道が「七里峠越え代替」として掘削されていることも見逃すことができない.謎の多い隧道である.

隧道は七里側に向かってかなりの登りになっている.七里側は大変天井が高く,昔の位置から掘り下げたのかも知れない.七里側の天井に矢板の跡と思われる掘削痕が残っている.幅の広い一枚板を突き刺したような,階段状の掘削跡だ. EOP; include("./template.php") ?>