佐和山隧道(第二次調査:その2)

 その前に,やっておかなければならないことがある.西側ポータルの扁額調査と,そのための特殊装備第2弾の実践である.すでに報告したように,西側扁額は篆書であった.その書体や最後に「門」がつく4文字であること,建設時期が同じこと等から,当時の県知事である堀田義次郎の筆である可能性が高い.ただし文献等ではその典拠を得る事ができなかったため,額に刻まれた三顆印を比較しなければならない.そもそも扁額に何が書かれているのかも調査せねばならぬ.

 まず,隧道周辺の竹を苅る.竹を苅るにはやはり鋸が一番だ.ポータル右手から始めて,扁額上に漸近してゆく.青竹のまま垂れ下がっているものはわずかで,ほとんどが枯竹の朽ちたものであった.しかしながらそのわずかの青竹が,全ての屑を抱え込んでしまっているため,ポータル近辺の全ての青竹を刈り取ってしまわなければならない.ポータル上部に至ると,今度はその奥から倒れかかっている竹も苅らねばならなくなり,そんなこんなで数十本の竹を切り刻む羽目になった.最後にポータル左手から真横に延びていた「親玉」を刈り取ると,長く日の目を見る事のなかったポータルの全貌が明らかになった.

 これが,旧佐和山隧道西口坑口である.

 構造も規模も横山隧道とよく似ている.左手の樋も全く同じである.ただしピラスターの上部は笠石の高さまでであって,笠石を貫通していた横山隧道(そして後に作られる賤ヶ嶽隧道)とはこの点だけが異なる.これは発見である.なおポータル上に切られていたはずの溝は,ポータル上部が竹薮であることもあり,全く土の下に埋もれていた.

 さて,いよいよ扁額に挑む.特殊装備第2弾は鋸に非ず.それは「ロッククライミング装備一式」.いわゆる垂直懸垂をやろうというのだ.

 

 

 

 扁額の真上に切り残した青竹.30mをダブルにしたロープを括る.ポータルから垂らす.ハーネスに装着したカラビナとエイト環がガチャガチャと音を立てる.これまで何度も「肉薄したい」と願って叶わなかった扁額.これさえあれば,これ以上無いという位に近距離で撮影ができる.
 おそるおそる下る.慣れないものだから時おりズルッとロープが滑べる.この高さだから命が死ぬ事はないだろうが,それでもカメラその他が無傷で済むはずがない.己の身もまた然り.ロープを握る手が震えない訳が無い.
 そして,目の前に扁額.空中固定.これ以上の状況は望めない.マクロに設定したカメラと逆三脚─── 愛用のSLIK COMPACTは三脚の足側にカメラをセットできるのである───で三頴印を撮影したのが以下である.


 左は姓名印.だが,どう読んでも「堀田」ではなく「義楽」か「義卿」である.姓名印とはいいながら必ずしも正しい名前であるとは限らないらしいし,何より横山隧道東側ポータルで撮影したものと一緒だ.これでこの書が堀田義次郎のものであることは証明された.右は雅号印で,「□黄斎主」と読める(一文字目は今の所不明),「斎主」は知事職のことを指しているのだろう.これも横山隧道のそれと同じである.
 この扁額のものは印影を忠実に再現しているのが面白い.また興味深いことに,これらの印は朱色で着色されていたらしい.明らかに周囲の石の色と違う.引首印も同じように着色されていたが,こちらは今だ何と書かれてあるのか解読できていない.

 合わせて扁額の4文字も撮っておく(これだけ草苅りすれば下から見えるのではあるが,折角なので).1文字目は うかんむりに何か.「宮」または「密」かと思うが辞典の字体とは異なる.2文字目もやはり不明(なべぶたか?).形は解るのだが,読めない.このポータル以上に,篆書体の壁は高く厚い.


 収穫があったのか無かったのかよく解らないが,とりあえず墜落はしなかった.無事地面に戻って,扁額を見上げる.一体堀田知事は,この書を通して何を言いたかったのだろう.


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