|行政:滋賀県高島市マキノ町標高: 95m
|1/25000地形図:海津(岐阜16号-3)調査:2005年3月


■背景 Background

 滋賀県に初めて誕生した隧道は,天井川の下をくぐる隧道───大沙川隧道・明治17年竣工───であった.以降もいくつかの天井川隧道が造られるが,この百瀬川隧道もそんな一つである.着工は不明だが大正14年竣工であり,現在は湖西の北の端をゆく県道小荒地牧野沢線が通過している.近代土木遺産リストではBクラス指定を受けている.
 一連の隧道の系譜からこの隧道を見てみると,鈴鹿隧道とほぼ同時期の竣工で,意匠も著しく似ているところがある.また設計者は伝わっていないが,村田鶴の活躍した時期に作られた隧道の一つであり,彼との関連があるのかないのかが気になるところ.系譜を読み解くための鍵を握っているはずの隧道である.

■調査 Experiment

 近年整備された国道161号から行くならば,高島市マキノ町沢のジャンクション風交差点を降りてすぐの所になる.マキノ町の市街から旧国道で行くのもわかりやすい.近江今津駅から出発した報告者は後者を取った.沿線はビルと呼べるような大きな建物が皆無の,静かに鄙びた地方道である.左手にそびえるのは三国・赤坂・大谷の連山.春まだ浅い3月は,雪を纏って白く輝いている姿が青空に映えて美しい.高架になった161号が左右から合流してくると,目の前が目的地の百瀬川隧道.百瀬川の土手に築かれたそれはいかにも窮屈そうだ.  

 南側ポータル.下見板張り風の装飾がつけられた白いコンクリートの両翼に比べ,中央は無装飾で,色も仕上げも粗雑な印象を受ける.ピラスターもまた然り.じっくり観察すると明らに素材が異なり,この部分だけ後に改修を受けたことがわかる.恐らく中央にも下見板装飾があったはずだが,それは平面に塗り潰されてしまっている.翼壁の下見板が美しく残っているだけに,余計に惜しい.

 

 この改修は,以前のポータルの前に増築する形で行われたようだ.ポータルの上に登ってみるとよくわかるが,ピラスターの側面にコンクリートの継目が見え,建築当時のものよりも40〜50cm位前にせり出させた恰好になっている.ピラスター頂部の後ろには,以前のピラスターの頂部が段違いになって残っている.つまり前だけでなく上にも嵩上げされている訳だ.

 ピラスターは坑口脇の2本だけでなく,両翼の端にも小さいものが1つずつの計4本.これは佐和山賤ヶ嶽の煉瓦隧道群にも共通する構造であり,煉瓦をコンクリートの下見板張り風に置き換えたものと見て取れる.その一方で鈴鹿隧道と同じ寸法の下見板であるらしいことにも注目したい.

 

 

 下見板の張り出しは約3cm.一枚の幅は17.5cmである.後に作られる観音坂隧道や谷坂隧道にも下見板風装飾がなされるが,百瀬川隧道のそれはもっと繊細な印象がする.写真で見る鈴鹿隧道の下見板も,このような幅の狭い下見板であったようだ.精緻に組まれた型枠でていねいにコンクリートを打っていく姿を想像したが,杉の板目が残っていたり,板が「傾いて」いる箇所もあり,報告者はこういう人の匂いがする痕跡が大好きだ.

 内部もまた大きく改修され,原型を留めていない.このページによればPCL工法と呼ばれる方法で補修されたとか.PCLとはprecast concrete tunnnel lining,すなわちあらかじめ型枠で作ったコンクリート製のライナーを貼り込んでいくものだ.

 

 北側のポータルも南側同様に改修されている.こちらの方が苔蒸し気味で,くたびれた印象を受ける.大正14年から80年近く機能し続けているのだから,仕方のないことであろう.なお扁額はどちら側も左書きの「百瀬川隧道」.左書きの扁額はこの時期にしては珍しく(次は昭和9年の湖北隧道),また筆者の名前等もないのは一連の系譜からすると珍しいことである(考察参照).

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