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新・編集記録##

2001年6月1日
 朝、ちょっとばかり超漢字をいじっていたところ、せっかく張り終えた地形図リンクがことごとく「サーバが見つかりません」エラーを食らうことに気付く。URLは間違いないのに。利用方がそぐわないためアクセス拒否のブラックリストにでも載せられてしまったのであらうかと戦いたのだが、どうやら閲覧サービスのドメイン名が変わっただけのようだ。だけってあなた、そんなことどこにも書いてなかったぞ???
 mapbrowse.gsi-mc.go.jp -> mapbrowse.gsi.go.jp
 と単純なものだったためエディタのマルチファイル検索+マニュアル操作で事無きを得たが、それでも全ファイルを書き換えるのに30分くらいは軽くかかってしまう。こういう時にperlやsed/awkの知識があったらなあと思う。
 あとで思い返せば、検索インデックスの下のほうに

御意見・御要望

このページに関する御意見・御要望は,下記アドレスまでメールにて御連絡ください。

mapbrowse@gsi.go.jp ←ドメイン名を変更しましたので御注意ください。


以上当該ページより一部タグを入れて引用

 と書かれてあったな。このことであったのか国土地理院。
 更新ついでにリンク切れをひととおりチェック。過去ログを見てみると、あるわあるわ、山ほど切れているではないかNaga-JIS。八草峠を挟んで関西と中部の間の分水嶺地図・リストのつながりなど(これ確か以前に一度直したよなあ)、フレーム版のリンクを中心に、関西編の富土野峠、関東編の富士見峠、関東と信州の分水嶺地図などなどなど。ここにいちいちリンクを貼れないくらいに沢山剥がれてた。あらかた片付けたがそれでも不明なものがいくつか。robot君ご指名のimo.htmlとかkyu1.html、一体どこで見つけてきたんだろう? あと、旧道倶樂部活動報告書のほうにもリンク切れ有。こっちはめったに更新しないから1年以上切れっぱなしというのも珍しくない。って断言してどうするよ。
 
2001年6月2日
何だかだと言って一番リンク切れを教えてくれるのはRobot君だったりして。
中国編傍示ヶ峠から信州編蠅帽子峠へのリンク。全峠リストから九州編鳴之尾林道へのリンク。他さほど重要でないリンク切れを数カ所訂正。
ああ、早く分水嶺地図書き替えたい・・・
2001年6月3日
恩を着せ過ぎたらし我 9本 玖月
ということで北海道編と東北編、信州編のみフレーム版の分水嶺地図を入れ替える。北海道編は原図が1枚(もとから)消えていたため、この書き起こしから始める。ついでに国道をM25%にして差別化。マップルを見なれている私のような人間にはこちらのほうが自然でいいかも知れない。が、これって地味に右習え式なんだよな。もう少し工夫がほしいような(近藤さんの原図はすべて同じ色で塗られている)。書き起こしついでに洞爺湖周辺を書き改める。
そういえば信州編・竜が峰や北海道編・早月林道武四郎坂の頁って新しく挟んでおいたんだなあ。データ不完全のままだけど。分水嶺地図からも飛べるようにしておく。そのくせ厚真川林道は放っておいたままだ。
蛇足。IllustlatorからGIFへの変換の際、Photoshop3では長体をかけたフォントのビットマップ処理が下手だ。北海道編の日勝峠のラインなどは特にだが、長い名前の地名が見苦しい事限りなし。この見地から以前は2.0でやっていたのだが、これはHDDの入れ換えをした際に「もういらんやろ」と思って捨ててしまっている。ううむ。我慢する(していただく)しかない。
imo.html参考文献の頁からのリンクが切れていたのだった。成る程。あと謎なのはkyu1.htmlと../text_d/text_o/wond.htmlくらいか。後者は恐らく本文のどこかで../が1つ足りないままwond.htmlを参照しているのであろう。
2001年6月4日
馬坂峠の位置が確認できない関東編と元々ない四国編を除いてフレーム版の分水嶺地図を入れ替え終わる。地図間の相互関係のみチェックするがこれすらちっともつながっていなかったことにまた愕然とする。ううむ。しかも古い地図では全く間違った相互関係を図示したものさへあって赤面の至りである。大学の頃に一度チェックを入れていた筈なのだが。フォルダ内の一部ファイルだけの更新であっても、よだきがってクライアント側のフォルダ丸ごとアップロード、というのが(大分人的)癖であったから、そのときに古いもので上書きしてしまったのだろう。まあ、今更過去の事に言及しても仕方がない。ちなみに「だいぶんひとてき」ではない。
 同様の理由から北海道編・野塚トンネルも古いほうを550cに置いていた。いい加減津浪側を片付けなければ。
 津浪といえば、このマシンのメインHDDは半死状態である。「すいっちぽん」してもHDDを読みにいかず、「きゅい〜ん、きゅっ」を繰返して、結局サブのHDDから起動してしまうという症状が最近頻発している。全く起動しなくなったら事でありそれが現実となる日は結構近そうな予感はするのであるが、何も対策が取れないまま6カ月が過ぎようとしている。いつもは何度かON-OFFを繰返しているうちに何事も無かったかのように起動してくれるのだが、今日はあまりに起動してくれなかったため、デイジーチェーンの中間にあるにも関わらずターミネートのジャンパ設定をONにするという暴挙に出てみた。このせいかどうかは判らないが、処置後は一発で起動。
 wond.htmlは向峠からのものであった。おまけで上根峠にもこだわりの分水嶺・不思議な分水界たちへのリンクをつけておく。あんまり見てもらうような内容では無いが。kyu1.html問題は未だ解決せずだが、代わりにフレーム版地域別目次の九州編のみ地図へのリンクでないことに気付き、これを修正。しかも古いl-kyu.htmlを参照しており、ずうっとエラーになっていた筈だ。何ともはや。
2001年6月5日
 ものすごいことに気付く。NNではリンクがつながっているように見えていたフレーム版の分水嶺地図、IEでは全く以てつながっていなかったのだった。こういうこともあるのか。
 具体的に言うとクライアントサイドクリッカブルマップのcoords指定がおかしかったのであるが、例えば関東編の最も北の地図から東北編へのリンク(三角形をクリックした時のリンク)の指定が
 <area shape=polygon coords=59,15,85,69,27,49,27 href="ァ kt1_i.html#bottom" target="sub">
 となっており、パラメータが一つ余計であった。この状態だとIE5.0ではリンクとして認識されないようだ(当然Illeagalであるからだけれども)。どういう訳かNN4.0ではちゃんとリンクとして認めてくれる。こんな感じのがもう2、3あって、道理でみんなリスト版を使っている訳だと納得。なあにが納得だ。
 さらに昨日直したf-init.htmlであるが、じっくり考えてみるととんでもなく嘘である。
      :
 <a href="hok/f-hok.html">北海道編</a>
      :
 などとしてしまったら左のコラムの中にさらにフレームを作ってしまうではないか。しかも飛び先のf-hokは../text_dのf-ent.html(フレーム版目次のコラム割りを決めているのとほぼ同じファイル)で、左に強制的に190pixelのコラムを取り(すなわちここだけで埋まってしまう)、残りを本文に割り当てている(すなわち0pixel)から、結局、地図は見えても、本文は見えない。地図のリンクをクリックしても、本文は出てこない。
なあにが「見たい頁を選んでね」だ
 とお怒りの方が98%ではなかったかと思う。しかも上下への移動だけはできて、それはそのうちリンク切れにぶつかる、と。これがフレーム版+分水嶺地図を作った昨年夏の時点からずっとこのままだった訳であって、こうれはもうかなりなことになっている。
 こんなおおごとに気づかったのも、ふだん使っているNN4.0では問題なく表示できていたからであって、決して特定のユーザーを排斥しようという魂胆のものではないことをお断わりしておく。(それにしても今まで文句の一つも来なかったのが不思議だ。それだけ見捨てられてるということか)
2001年6月6日
UFOが落ちて池二つな日和 玖月
 さて、インフラ整備はおおかた終了した(ことにしておこう)。そろそろ関連リンクを充実させるか。
 手始めに、九州編・鹿喰峠旧八丁越、四国編・笠置峠に押し掛けリンクを張る。そのうち断わりを入れておくべきだなあ。大変だなあ。
 なお旧八丁越は以前の旧八丁峠を改頁して新八丁峠を新しく独立させる。旧があって新がない道理はない。そうそう、九州編には他に立石峠を、四国編に角ぜん峠を、北海道編に厚真川林道を其々加える。どんどん増えるばかりだが九州編からは牧ノ戸峠を削除。やまなみHWと混同しておったな。はじめの頃は入っていなかった筈。(2003年注:角ぜん峠はobsoleted)
2001年6月9日
四国編のいくつかにリンクを貼っている。興味深いのが猪の鼻峠の四国新道と大久保&T27C2D;(じん)之丞の話。NTTのところにある新道開削前後の写真などはかなり貴重なものではないかと思う。この話は堀さんの本にも出て来なかったなあ。
 リンクを充実、と思っていたのだが、その前に、郵政省の新郵便番号検索システムからダウンロードできるデータベースを利用して大字地名辞書が作れることに気づいてこっちに嵌まっている。データ改竄する訳だから公開できないんだろうけど、そういう不毛なところが大好き。昆布茶は偉大だ。
 と思ったらすでに同じことをして堂々公開しているひともいるようだ。ちぇ。でも行きがかり上続けなければならないしこんな地名があるんだという発見は子供じみた楽しさがあっていい。逆引きシステムは完成するだろうか??
2001年6月10日
自分が本気で信じていること、あるいは目標を、誰か他の人に面と向かって話すということが非常に小っ恥ずかしいのは私だけであろうか。久しぶりにわが下宿を知人が尋ねてきて、その折に来年の目標を(自分としては大真面目に)話す。彼がこの計画をどう受けとっているか、彼ではない私にはわからない。とまく私に残された道はこれしかないように思うのだ。彼にこのページや旧道倶樂部活動報告書約500kbのツアー記を見せたところいたく面白がってくれた。ただ、GUIの汎人性?について問題ありという印象を(はたから見ていて)受ける。作文と同じで、直接に人の意見を聞かないと良し悪しは解らないものだ。
辞典と関係ないことばかりで恐縮だが、OBのML経由で元ニューサイ編集長・今井氏の訃報を知る。来なければならない、避けられない日がついに来てしまった、という気持ちでそれに接する。面識があった訳ではないのだけれど、もう少し長生して頂きたかった・・・。合掌。
2001年6月17日
 とうとうFireball君がお亡くなりになった。データを入れていた区画といっしょにSystemパーティションの一部も道連れ。どうも書き込みの途中でおかしくなってしまったらしく、初期設定のファイルを中心にBad Blockで埋められてしまっている。なんともはや。前回怪しいと感じたときにある程度バックアップをしていたので肝要なものは元に戻せたのだが、作りかけの地名辞書は丸ごと回収不能になってしまった。まあ、ずいぶん酷い扱いをしてきたことだし、これも因果というものであろう。なおpublic_htmlはサーバのほうが新しいからこれは無傷。ところで取り替えたVIKING2、ものすごい発熱量である。こんなんで大丈夫なのか。余りに可哀相なのでとってつけたようなファンをとってつけてやる。
 ようやくSSIの設定がうまくいく。成る程、InternetConfigで.shtml拡張子をNetscape書類にマッピングしてやればいいのか。BBBで読もうとすると何故かバイナリでダウンロードしようとするため断念していたのだが、これでようやくサーバソフトの機能を一つ使えるぞ。とはいうものの、BBBで読んだときにカウンタだけが機能しないのは謎だ。奴の性格が移ったか。
2001年6月20日
残り4桝驚く勿れの出勤簿 玖月
 という訳で飢え部も含めてなかなか進行しない日々が続く。というより、進めようがないな。有名どころはそうそう貼りたくなるリンクがないし、かといってマイナーなのはマイナーでそうそうないし、それよりも巡る気力がないし。もちろん実生活で懸案が進まないことのほうが大変なのだが。つくづく自分は単一弼なマシンだなあと思う。
で、GUIを向上させようと思ってテストをしているうちに面白い現象を発見する。これを利用してホームページを書き換えてみる。NN4.0のみ推奨。3.0以下にも妥協。こういうのをやりたかったんだよね、ずっと。
2001年6月23日
 進まないのである。
 先日、このページを気に入っていただけたらしく、allp.htmlから深さ2の一括prefetchingをされた方がいる。ログがものすごいことになっている。よくもまあ耐えられたものだと思う→550c。まあ、そんなトラフィックが集中するところじゃないし、その間私が散策を控えればいいだけだしね。ftpもあるんだけど画像ファイルにことごとくMacbinaryがついてくるので実用的ではないかな。
 ちょっと待て。retrospect.html、いつのまに検索エンジンに掛かっているのだ。改めてみてみるとgoogleのリンクも古いのが一掃されておって、それはそれでいいのだが、あんなものを引っ掻けても仕方なかろうにと思わないでもない。迷惑になるようであればrejることにしよう。この編集日記も同じようなものなのでそのうち細工するかも。
2001年6月24日 
 せっかくの日曜日だというのに結局パソコンの前に座りっぱなし。勿体ないような仕方ないような。
 昆布茶とAppleScriptと手作業を駆使して全頁を書き換え。ページのフッタにあたる前後の頁へのリンクをページのうしろにもつけた。ただそれだけだが、ずいぶん操作性はよくなったはずである。わざわざ右寄せにしたのもちゃんと意味あり。前々から構想はあったんだが、するのとしないのとでは岡本(辰)氏と岡本(知)氏くらいの違いがある。真の意味でのインフラ整備はこれで終了したといっても過言ではなかろう。全くもって自我自賛だが。
 懸案だった江田さんコースガイドへのリンクを江田さんのWebサイト(本家)のほうへ貼り直す。メールのログを調べてみると昨年暮れから作り始めはったことになっているから、自分もずいぶんと怠慢してきたものだと思う。

2001年3月〜5月

それ以前の


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Restored & Revised by Ken Nagatomi [E-mail:?@nagajis.dyndns.org]



































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