nagajisの日不定記。
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いつも写真を見失うのでここに上げておく。最近ちょっと頭を悩ませているネタである。
仕事中に手にした本に偶々載っていた一枚の絵葉書。「多賀郡野間谷村大屋木材運搬状況」とある。トロで材木を運び下ろしている景である。小さなトロに天秤の要領で載せて二台で引き下ろしている。みんな進行方向を向いてすました顔をしているのが何とも面白い。材木の上に立っているフロックコートに山高帽の男性がお偉いさんか何かなのだろう。絵葉書写真のキャプションには「1935年頃」とあった。本から得られた情報はこれだけだ。
トロッコの写真だから目についたのはもちろんだけれども、絵葉書キャプの「多可郡」というのにも引っかかった。どっかで見たことがある地名だな。兵庫県のどこかじゃなかったっけか。そう思って調べてみれば、今の多可町、昔の八千代町のことだった。西脇市からちょっと山の方へ入ったところだ。
そんなところにトロ軌道なんてあったんだ……。初耳だ初耳だ、面白いネタになりゃせんか♪と喜んで調べ始めてみたものの、これっぽっちも判明しなかった。府立図書館へ行って八千代町史をひっくり返してみたけれども林業に関する項目からしてなかったし、近デジdl.ndlの多可郡誌にも出てこない。トロがではなく林業が、だ。一応この地方の産業のひとつであったみたいだけれども、それより凍豆腐製造のほうが上位に位置づけられていて、そうそうそれと絣もあったかな、とにかくそればっかりな書き方だった。
トロッコや軌道土工の規模から察すればさほど大きなものではなかったはずで、残っていたとしても木馬道か細山道程度のものだろうけれども、かえってそういう小規模なもののほうが惹かれるし、気づいてしまった手前諦める気にもなれないでいる。
絵葉書キャプにある「大屋」という地名は今の多可郡多可町八千代区大屋。ここへ行って総当りに聞き込みをするしかないと思っている。旧八千代町の町域でも最も奥のところだし、最寄り駅が加古川線西脇駅ということなので、アプローチが大変だと思っていたのだけれども、よくよく考えたら県道143号を北から入っていく手もあるのだった。ひとつ小さな峠を越えて、旧多可町の盆地を横切れば、嗚呼懐かしの小野尻隧道。越えて東へ進めば加古川線と福知山線の分岐点たる谷川駅。東海道線経由で南から回り込むより谷川から走り始めて西進したほうがはるかに効率がいいのだ。
本当は1月中に行くつもりでいた。絵葉書コピーと地形図をザックに入れて、いつでも出かけられるような準備までしていた。けれども何だったか忘れた理由でやり過ごしてしまった。今年の寒波が始まって豊中辺でも雪が舞うようになったのはその直後からだ。
今度の日曜日に天気が良ければ行ってみようと思う。そのついでに下滝駅近くにある福知山線隧道跡に立ち寄って煉瓦断片を検分したり(小野田さんの論文によれば開削撤去&新トンネルになっているそうだ。野田尾には刻印があったがここではどうなんだろう?)、上久下村村営発電所の建物を見たりもしたい。始発に乗れば7時過ぎに下滝に着けたと思うので私はそのへんから走り始める予定。小野尻隧道もご無沙汰しているしな。大屋には昼過ぎには着けるんでないかしらん。軌道跡探索までは掛かれないかも知れない。現地で聞き込みして情報収集と場所特定が関の山だと思う。
一緒に行ってくれるor途中で合流するという奇特な方がおられたら、nagajisまでご一報を。
最近の探索を振り返ってみて、なんだか理詰めの発見ばかりだなあと思う。ふらふらと迷い込んだ道の果てでびっくりするようなものに遭遇した、なんていうことが少なくなった。資料から得た「あるかもしれない」「あるに違いない」ネタを探しに行って、そのアテどおりのものを見つけるか見つけないかというのがパターン化している。鐘が坂隧道に遭遇した時のようなドキドキがない。ちょっと寂しいなあ。
一次情報に推論を加えて、その通りのものを見つけるというのは、それはそれで優れた技術だと思うけれどもーーー自分の推論法の正しさを証明することになるわけで技量向上の証だと言えなくもないのだけれども、要するに予定調和な探索になってしまいがちだ。見つかったね、よかったネ、という。予想外の発見ほどワクワクするものはないし物件への愛着も一入強くなるはずんなんだ。
帰納的か演繹的かの違いなのかな。見つけたモノの素性を遡って調べて明らかにするのか。素性情報から掘り下げていってモノに到達するのか。そう考えると両者は同じくらいに重要な技量かもなあ。どっちが一方だけということもないのだし。帰納的にものごとを考えるのはたやすい。幾通りもある候補の中から正解を見出していく演繹的探索のほうがたくさんの基礎知識を要求されて難しいかもしれない。