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旧道倶樂部録"

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1942-03-01 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月一日 日曜日 曇

三時半起床し、直に食し四時四十分頃出発し一日中を三明さんと行動を共にす。然して一路甲佐へ向わんとす。乃ち南熊本より熊延鉄道にそえる道路を専ら行進す。八時に緑川辺に休し、又歩きて六嘉に至り、そこより汽車にて甲佐に行く。徒歩の行程五里余のみ。甲佐著は十時半で直ちに西住戦車長墓を参拝し、生家へ行く。生家にては屋内に上り、礼拝の後諸々話す。大尉殿は四十六期第二中隊第一区隊にてありたり。辞して緑川辺に昼食す。生家は川より五十米の処にあり。小学校にて戦車長功勲の蹟を偲び、先生の話を聞き、深く感ずるところありたり。三時七分発にて復り、学校著は十八時なりき。今日は鍛錬の日にてもあれ、教訓されたる由ある日にてもありたり。

〔欄外朱:有意義なる教訓を得たるものと認む 下川印〕


1942-03-02 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月二日 月曜日 雨

疲のため、ぐっすり昨夜は寝ねたり。午後は剣術あり。剣術は試合にてよく奮戦したれど門松に勝ち、藤島に敗れたり。一層の修養まだヽ必要なり。自分より強い者は多くいるものぞ。随意運動時も亦十七時二十分までなす。授業のある日もあと五日なるか。


1942-03-03 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月三日 火曜日 晴

近日めずらしき晴日にて雲なし。午後は教練ありて、その際修理に出してより靴を始めてはき、気持よく脚軽く一時間が行われぬ。交換駈歩三十分あり。主要行事とて別になく平凡なる日なりき。


1942-03-04 ジャワ海戦 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 三月四日 水曜日 晴

三月一・二日に渡り、ジャワ海・スラバヤ海に於て日本と米・英・蘭と海戦行われその結果二十三隻軍艦を撃沈したり。

英甲巡 一  駆逐艦 七
米〃  一  駆逐〃 八
蘭乙巡 二  砲〃  一
壕〃〃 二  そうかい艇一

我軍の損はそうかい艇一隻と駆逐艦一の小破のみ。なんと偉大ならんや。

午後に校長査閲あり。予不動の姿勢がよくゆかず。残念なり。此れ文具嚢及び教室の関係なりと思う。


1942-03-05 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月五日 木曜日 雨

陸軍少将 富永恭次閣下は殊勲甲功三級旭二となられ、誠に〔御〕目出たき極みなり。四日の生存者第二十九回論功行賞に依る。陰鬱なる雨天にてある。身体検査ありて、やっと八十糎となる。剣術一時間あり。亦後も行う。剣術は面白きものなるかな。


1942-03-06 ハワイ作戦戦死者特進、バタビア占領 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月六日 金曜日 曇

午後は体力機能力検査あり。今日のみにては、二つ上りたり。運動班運動ありたり。

昭和十六年十二月八日ハワイ作戦の際特殊潜航艇乗務員は、全員二階級とび大尉の方は中佐になられたり。岩佐大殿の方は二十七才にして中佐となられたり。八日には艇五隻を用い、共に沈み、戦死されたり。死すこと必定なるに、進みて死地に赴く。豈偉ならずや。在濠法人の記事を読み、混血児の多きに驚く。地久節なり。

昨日、蘭領印度諸島の首都バタビアを占領せり。


1942-03-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月七日 土曜日 曇

今日を以て一年の授業も終了したり。午後は体力機能力検査ありて、運搬が以外にも多く下りたり。思うに彼の土嚢は五十キロ近くあらん。二千米は第三学班にては一番なりたり。然し、門松に、三秒負けたるは残念なり。以後は随意なりき。随意自習は嬉しき時間なりき。風強く吹き、二千米の際は逆風にて走りにくかりき。


1942-03-08 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月八日 日曜日 晴

四時に起床し、四時半に集合し武蔵塚往復交換駈足をなす。武蔵塚にては素振り・連続斬撃・もみ合等をなし帰りは路上斥候を出し、行きと全く異なる道を通りて帰らんとす。予二番目に路上斥候に、栗林さん及び門永さんとなり、龍田村より校に誘導す。途中、寶積寺台下より龍田山、兎谷を経たり。十時に外出す。上通りに遊び偕行社に食す。森と行動を共にし、十六時帰校す。夕食後運動班切磋あり。今日は第三回大詔春戴日に当り、それに、ふさわしき鍛錬の日にてありたり。それと同時に楽しき、一年最後の有意義なる休暇にてもありたり。

〔nagajis:大詔春戴日→大詔奉戴日か〕


1942-03-09 「隼」命名 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月九日 月曜日 曇後晴

今日を最後に北生徒舎を捨てゝ南生徒舎に移転したり。わずか数回の往復行程なりしが、なれぬ仕事故に夕に至りて疲出づ。これにてはだめなり。一年は午前・午後かゝりたり。今考うるに、入校後住みなれたる生徒舎をはなれ、再び帰りたき心すれ。正規の自習なりき。六時に非常呼集あり、服装は剣術の服装にして、三年対一・二年の野試合なりき。東は兜山より西は校門外に至る間にて行わる。神風連の連隊奇襲法に依る。朝に鍛え、気持良し。我が戦闘機最新鋭「隼」と命名さる。彼の戦闘開戦以来赫々たる戦果あり。「隼」とは九七戦と云うが如し。

今日の移転により予は、南生徒舎第一自習室第三寝室の西側南より二番となる。寝台学友は門松と脇にして学友は児玉と三原なり。


1942-03-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月十日 火曜日

陸軍記念日なり。去る日露の役奉天大開戦が思わる。

始めて南生徒舎に寝ねたり。今日は午前中武道大会行われ、午後は生徒相互間の懇親会なりき。武道大会は、一年は一里のリレーなりき。第三運動班は五著なりき。一著は一運なりき。甚だ残念至酷〔極〕なり。剣術は百十六本で四運も同点なりしが、優勝数四運が一人多かりし故に、優勝は逸して二等となりたり。一年は終了後柔道を見学す。午後は会食行われ十四時半より剣道場に於て、全学年の懇親会行われ最後に、今や卒業されんとする三年の方を胴上げしたり。一年の今日の成績何とわびてよきか其の法を知らず。夕食後十八時十分より二・一年主催の下に、柔道場に於て三年生の送別会を兼ねて運動班会を実施す。大体十時頃までは面白くありたるが次第々々に寂しくなり、過去一年間が思い出され何と、三年生と別れ難くなりぬ。三年生は此処に去り、二・一年はまさに進級せんとする今日、二年は過去二ヶ年を物語り、三年は過去三年間の諸々を述べられ将に第三運動班の団結は固められて行きたり。二年の方の彼の悲壮なる決心豈敗けて可ならんや。第三運動班の伝統を記さん。
一.親和なること。
二.目的に、一致団結して当る。
此処に予反省をせん。一年の三運は右の伝統には反せず。されど未だ多々欠点あり。
一.熱血漢がおらず勝負に敗れても平気でいる。
二.他人を切差〔磋〕するを、余りの親和より行わず。
三.稍軟弱に流れつゝある傾行〔向〕あり。
〔欄外朱「勝敗は問題にあらず但全力を挙げて努力せざるべからず」、「軟弱」に傍点、欄外朱「断じて不可大いに切磋せよ」〕

此れ等は速にあらたむるが必要なる故、来年度は大に学班切磋会を行い、学班を固めてより訓育班を固めんと思う。
会は十一日零時二十五分まで行われ、最後に至り泣かざる者はなし。何となれば我等は三年に対し悲壮なる誓をしたり。三年は我等を励ましたり。予も其の一員なり。何くそやるぞ。就寝は一時なりき。


1942-03-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月十一日 水曜日 曇

9時より晴天の際の卒業式予行行われ、十三時より雨天の際の予行行わる。十四時三十分より愛校作業行われ其の間に於て個人訓育ありたり。卒業式の際は
梨本宮殿下の台覧を賜り、児玉・河野・磯部さんの三方が思賜を授けらるゝことゝ定まりたり。今日は移転の際の疲れ出でて体の調子稍悪し。三年生は生徒集会所に於て上官方との会食あり。休暇近づくは楽しきが何といそがしき日なる哉。寄書を多く記す。


1942-03-12 ラングーン陥落、インド洋上で米準撃沈 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月十二日 木曜日 晴

九日に、ラングーン陥落し、蘭印軍は全面的に降服したり。それ故に今日は第二祝賀行事として雄健神社に於て参拝を行う。以後十二時に至る間随意なりき。午後は十三時より生徒監殿訓話「二年にある心構え」に付きあり、十四時半より愛校作業ありたれど、体だるく働く気になれず。あゝ忙しく、きつく、何と面白からざる日ならんか。三年の方も今日一日を以て一回の就寝、二回の食事を残すのみにて去られ行くか。今となり再び三年生と共に過したく思う。今日は陸軍幼年学校採用予定の通知の速達が九州一帯に到著したる日なり。一年前の今日は予喜びに切したる其の日ならん。はたして佐中何名合格したるか。飯田稔さんが陸士に合格された旨伝えらる。
我が海軍は印度洋上に於て米巡一隻を捕捉撃沈したり。


1942-03-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月十三日 金曜日 晴

今日は晴の卒業式なり。朝より晴れたる天気は昼に至りて一層良し日中二十七度近くあり、汗出で軍服を脱ぎたき感せり。九時十五分に、梨本宮殿下を迎え奉り十一時よりの式までは三年生の術科あり。その際卒業証書・恩賞品の授与あり。十一時半に殿下をお送りなし、直後教育総監閣下の訓示「団結」に付きあり。会食後十四時に、卒業生を校門に送り出す。
梨本宮殿下の台臨を仰ぎ教育総監閣下の御来校を奉り、然も良天気の中に卒業式終了せし事は光栄とするのみならず誠に御目出度き次第なり。
以後は帰校準備をなしたに、新運動班長大石さんの下に運動班会を行い来年度に対する覚悟を定む。夜は中生徒舎に遊ぶ。


1942-03-14 春季休暇 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]自三月十四日十三時三十分 至三月二十九日十八時}春季休暇

日記は別紙による


1942-03-30 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月三十日 月曜日 晴

久し振りに喇叭の音に眼をさます。予取締なる故終日忙しかりき。行事は八時五十分より寝室自習室の清潔整頓あり十時より検査十一時帰校申告あり。午後は十三時より体操十五時より北生徒舎の掃除をなす。

今日は終日体だるく何事をなすも困〔苦〕しかりき。然し遂に頑張り続けたり。飯は後期に比し、左程まで食いたしとは思わず。終日の疲れを休めるは最も楽しき入浴と消灯なり。


1942-03-31 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月三十一日 火曜日 晴

<p取締なる故非常に忙しく昨日体操の際の五十回の号令調整に余り力を入れ、又午後の教程くばりの際声をはり上げた為声かれ、高音にて一声も出でず。何と情なき事哉。午前中に教練あり又午後に渡〔亘〕りて約二時間訓育学科(生徒心得改正の点に付き)あり。十四時より剣術、十五時より南講堂・大講堂の掃除をなす。かくの如き行事も取締として忙しヽの中に過したり。

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