nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
断念してふて寝しようとしたのだが眠れず。本を読んでも字面を追うだけでちっとも頭に入らぬ。ウトウトしたところで一輪車でコケる子どもと車を想像し危ないと思って目が冴えたり。何をしているのだ。
思考が散漫・断片的になりつつある。目が覚めてから眠る迄それが続いている。線香花火の仕舞いのほうで出てくる柳花のような思考。爆ぜることなく音もなく闇に吸い込まれて消える可算無数な閃き。連綿しない発想の火花で無駄に命をすり減らしている。頭を休ませる何かがほしい。BAKUDAN以外の何かが。
体が疲れていないのが何よりいけないのだろう。体力的疲弊があればもう少しすんなり眠れるのだろうが。うーむ。
日付けが変わってしまった。何か違うことをする。
筒井康隆の作品に「言語姦覚」というのがある。オビの文句がAmazonにあったので引用。大変的確に内容を表しているが2カ所誤字トラップがあったので書き直した。
(あのですね)誰もが日常さりげなく
(その時点で)口にする表現を
(ひとことで言って)研ぎ澄まされた
(やっぱり)言語感覚で分析し
(どうも)そこにひそむ心理を
(わたしって意外と)容赦なくあばく
(極端にいえば)恐怖の現代日本語考
(と言いたい)…
ことばは怖い、怖いはことば
日頃いかに慣用句に頼った言説を繰り返しているかを身につまされる恐ろしい本である。細かな内容はもう忘れてしまったが読んでしばらくマトモに喋られなくなった。過敏なかたは決して読んではいけない。
急にこの本を思い出したのも、近ごろラジオを通して聞くニュースのなかで「やっぱり」が連発されているのが気になったからだった。もうちょっと正確に言えばニュースで取り上げられる「町の声」や「視聴者の声」のなかで。最初は単なるリフレインとして耳に残ったことに弱いポテンシャルを感じたのだが、考えているうちにはっきりと「いやらしいものだ」と気づき、そういえばこんなアレはどこかで読んだな、と思ったら件の本(を読んだ記憶)に行き当たったのだった。ずいぶん前に手放したので内容は忘れてしまったが、取り上げられているということは定めしケチョンケチョンにされていたことだろう。
意見を求められる。答える。そこには自己主張がある。自己主張そのものである。その前置きにわざわざ「やっぱり」をつけてしまうのは何故か。
例:「やっぱりサンマは目黒に限るでしょ」
「サンマは目黒に限る」ということが一般常識としてあることが大前提となっておりそれに従ったまでである、という宣言。暗に「それが当然でしょう」と言わんがための「やっぱり」。寄らば大樹の陰的な発想が見え隠れするいやらしさはもとより、「そんな常識的意見に反論する・反対意見をもつあなたは非常識ですよ」「反対する人は私の敵ですよ」という牽制もそこには含まれている。私の意見即ち通らねばならない、あるいは受け入れられなければならないという甘えの裏返しであるとも言える。
あるいは自分の意見が全国放送に乗るという緊張感から、常識的なことを言って責任を逃れようとする姿と捉えることもできる。仮にここでサンマは目黒という知識を有しつつ落ちサンマ=至宝の味だと思っている人が通りかかったとする。その恒等式はその人の意見であって誤りではない。何の非もない。そんな人は「サンマは落ちサンマに限ります」と言えばいい。のだが、世間一般を知ったる身ゆえに仕方なく「やっぱりサンマは目黒に限ります」と言わざるを得なくするような力がテレビやラジオのインタビュアーおよび向けられたマイクにはあるだろう。「サンマは落ちサンマに限ります」と言ったところでカットされてお終い。そういう諦めとしての「やっぱり」。「やっぱりサンマは落ちサンマに限ります」と発言しそれに与えられた失笑なり何なりを受け止めることを踏まえたうえで意見してこそ意見は意見として価値が発生する。そうでなければただの迎合である。
・・・といった感じの言葉批判が続く。この言を読んで納得したり笑ったりすることは簡単なのだがいざそのように納得し笑ってしまったあとで自分の言説を振り返ってみたときに愕然とするわけである。やっぱり。
ついでに、言葉と言葉のあいだの「間延び」が気になる。最近は誰もとやかく言わなくなったが、ひととき昔は舌足らずな喋り方として忌避されてたんではなかったか。
例:「やっぱりー、サンマはー、目黒にィー、限りますネ−」
それともあれか、1億6000万総舌足らず化か。最近はアナウンサーやコメンテーターまで間延びしていることがある。100%正しくあれとは言わないしそんなことができるのは(しなければならないのは)役者くらいのものだろうが、いちど気づいてしまうと気になって仕方ない。しかもきっと、自分が喋っている時もそんな遅延を起こしているに違いないのが、またいやらしいのだ。
ということを、プレゼン練習しながら思った。アーウー言って言語不明瞭なのは大平元首相のせいにしておく(なぞ
先日ちょっと書いたOFFの件。たーげっとは奈良県川上村の鳴川山林道。「林鉄の軌跡」で大きく取り上げられているのでご存知の方も多いはず。
昭和30年頃には奈良県唯一の軌道(手押し軌道)だったらしい。44年まで稼動。麓から1200mあまりの索道で山上が岳の山腹へ至る。その上に1.6km(短っ)の手押し軌道。
「林鉄の軌跡」には散々おそろしげなことが書かれている。何しろ標高差500m。そこまでの道はあるが途中で崩壊したり埋没したりするらしい。うえに熊が出るという。
今の所、23・24辺の連休のどちらか1日を使って探索することを予定。絹路さんが参加できるかもというお話。皆さんいかがですか。
nagajisは前乗り込みして辺りをうろつくかも知れません。五社峠とか伯母峰峠とか。で、麓に一泊。どうも最近、朝が弱いので・・・。
上記ナンバーに関する余計なことを口走る前にさくっと終わらせる。
先日Fさんの車で移動中に発見したモノを再訪。左カーブがくどい。
しかも左から2本目の奴がイカしている。
『ボク、フジだよ』
しかもすごいことに、ホントに藤である。ポールの中から生えている。
ポールの下から藤が成長して突き抜けたのか。それともポールの上部から藤の種が落ちて育ったのか。種がこれほどまでに出来るということはそれなりに養分が得られているのだろうが、ポール一つ分の土壌で何とかなるのだろうか/ならないのだろうか(そもそもポールの中は土壌なのか?)。藤の花咲く初夏にもう一度訪れて愛でてみたいと思う。ややくすんだイエローと紫の取り合せがたいそう美しいに違いない。
嗚呼黎明は近付けり 嗚呼黎明は近付けり
立てよ我が友自由の子 帝陵山下の熱血地
侃諤の弁 地をはらい 哲人の声消えんとす
空気を読まぬままPs考察を続けているとcron書き込みだと思われるかも知れない。それもまたアリかも知れない。
北摂にて。この手の聖書看板が北摂に入ってきたのは新世紀になってからだと思う。95年に東北で28周年記念行事をした時、象潟かどこかで初めて見て、畏怖の念を感じた。自分のなかでは一時期東北の象徴のようなものでさえあったように記憶する。自分の色彩感覚と同じなだけになおさら恐い。
ところで廃道はどっちに入るんだろう。
どんどん後ろのほうに流れていってしまうので再掲。11/23・11/24に奈良県川上村でOFFします。鳴川山林道という林鉄跡を見に行きます。
以下流用。鳴川山林道は「林鉄の軌跡」で大きく取り上げられているのでご存知の方も多いはず。昭和30年頃には奈良県唯一の軌道(手押し軌道)、44年まで稼動。麓から1200mあまりの索道で山上が岳の山腹へ至る。その上に1.6km(短っ)の手押し軌道。
「林鉄の軌跡」には散々おそろしげなことが書かれている。何しろ標高差500m。そこまでの道はあるが途中で崩壊したり埋没したりするらしい。うえに熊が出るという。以上流用。
いまのところ絹路さんとnoaさんが参加するかも、というお話。私は22に前乗り一泊、23日の朝現地集合で探索、ではいかがでしょうか。もし他に一泊したい方がおられたら一日ずらします(23日集合→一泊→24日探索)。
nagajisは、始発に乗って吉野口に着けるのが9時前だったはず。そこから索道麓まで自転車で移動しつつ寄り道していきます。五社峠か伯母峰峠の旧道を見てみたいっす。それ以外にも他人様のお宅に寄り道するかも。その前に体力が持たないかも・・・。
やっと終わった・・・。高々50upの峠に何でこんなに時間をかけているのか。
(追記)今回はやっとこさ浮峠に到達。案外さっくりと終わるかと思いきや、前フリでぐだぐだ言ったり変な道を見つけたり妄想に耽ったりします。また長いです。ご了承ください。書き上げて「これって熊野街道と被るんじゃね?」などと思ってしまったことは秘密。そのうえ今回はあまり自転車旅の話が出て来ないんだよな・・・>熊野街道。まあ、所詮は埋め草、気にせず絶賛水増し増量中。
この探索の時にはらがたわ峠まで足を伸ばした。倶樂部はもちろん「廃道をゆく」でも紹介済みの出涸らしネタ。写真撮り直すだけになるだろうなあ・・・と思ったら、それでもいくつか新発見があったりして。やっぱり道は面白い。&塩田さんに感謝。
テキスト入力の続きをする。行けても3年分だろう。マジ打ちしすぎ・・・&思ったより進んでなかった。あうあう。徐々に慌てている。
地方通信wikiの回と同様、向こう数号はテキスト打ち込みと断片的紹介で進む。最後にwiki化。今回はもうちょっとwikiの特性を活かした作りにしたいな。継続して出てくる話題(永代橋とか市政調査会館とか)についてはページ立ててそこから見られるようにするとか。このへんはperlか何かでちょろちょろっと・・・というのは甘い罠かも。そもそも道路の話題がごく少なくて建築・港湾・河川が大半だったりするのはいつもヒネクレタ企画しかやってないnagajisへの当てつけか。始める前にもちっとサンプル収集しておけば良かった。そもそも何号で工事タイムスが終わるのかまだ確認していない。
とりあえず終わったので書いておく。終わる前から書いていると失敗しそーな気がして。実際書かずに沈着してたのが功を奏したかも知れない(などといいながら随所で溢れてシミ跡つけているのはいつものことだ)。
KINIASで研究発表 with pdfプレゼンしてきた。いや、させてもらった(自己申告制だからな)。何の肩書きもない私にも発表させていただける場があるというのはとても有り難いことだ。
実はnagajisはパワポを使ったことがなく、そもそも専用ソフトでうんたらかんたらするのが嫌いというひねくれ者だ。発表のためだけに70ページくらいのpdfを作った。最初は高橋メソッドで、と思ったけれども写真説明に時間を食うことが判明し(当たり前だ)逆に写真説明に徹するプレゼンにした。改修史とか何とかいいながら歴史部分をぶっとばした作り。中途半端に字がでかく中途半端に枚数が多いのはその名残り。
何で廃道なのかという話から始めて歴史説明して遺構説明して。30分なんて長過ぎるぜ、そんなに喋ったらパロール1年分使い切ってしまうぜなどと思っていたにも関わらず最初に作った案は50分を要した。泣きながら削って削って削って削って削って半分にした。大学の時と同じ、一語言い間違えたら雪崩を打って淀んでしまってTHE ENDという、しゃべくりプレゼンの出来上がりという恐ろしい事態に突入したのが発表2日前。泣きながらブツブツ練習した。
本番。とりあえず時間内には終わったが、それでも一部飛ばした。余計なことを言わなかったかわりゴニョゴニョで誤魔化したところがいくつか。けれどもまあ、こうして生きているということはとりあえず上手く行ったんだろう。それ以外のところで大ポカしでかしたが。ははは。
教訓:成せば成る。
本気で言いたいことを伝えようと思うならその分本気にならないといけない。
写真のコントラストはもっともっと強くつけておくべき。
銀行のシステム移行には気をつけよう。
この発表が直接廃道本の売上げに直結するはずはなく(いや、したかも知れない、1、2冊くらいは…)、当然ORJの売り上げ倍増になることもないだろう(こちらは間違いなくないだろう)けれども、全く異なるベクトルの場あっちゃこっちゃに首を突っ込んで何やようわからん廃道教を吹聴して回る役がいてもいいんじゃないかと思う。ネットの片隅で廃道を叫びつつ現実世界に侵攻し時には学術的場面に首を突っ込んで亜河童時もとい赤ッ恥を掻いてみたりして。道化師の役なら慣れているしな。踊れ踊れ、真っ白な灰になるまで踊れ。廃道に突き刺さるような人生であれ。
…で、そのプレゼンpdfを次号につけて+1企画、とか考えているnagajisは哀れである。欲しい人いたら教えて下さい。20MB。いなかったらホントに+1されます。ORJまた重くなります(さすがにこのままつける訳にはいかんなあ・・・)。
上のバナーとトップページ修正。2つ出揃ったところで書き換えるつもりであったのだった。いかんいかん。
謹告もこれで取り下げられるぜ・・・へへへ・・・でも恥をさらすために削除はしないでおこう。忘れた頃にもう一度見ると少しは笑えるかも知れない。あ、いや、自分は気に入ってるンですけどね。
ほとぼりを覚ますために書き殴っているいる。
先日、亀岡市の外れで見つけた廃橋。I鋼の主桁2本に木材を渡してその上に土が盛ってある。いわゆる土橋。その残存例。現物をナマで見たのは初めてのような気がするする。
見つけた当初は全木橋だと思って「うわー」とか「ひゃー」とか言ってはしゃいだ。岸を見ると何かがあった。赤と白の人形のようだ。この橋を渡っていけばそれが何であるかを確認することができる。その何かを確認するために崩れかけている橋の上をドカドカ踏んで歩いた。朽ちている穴を覗き込んだ。
そこまで来てようやく、単なる廃橋ではなく『非常に危険な状態の橋』であることを悟った。抜けた底からI鋼が露出していて、それでI鋼桁であり木桟を渡しているだけの構造であることを見取ったわけだ(側面からよく見てなかったし)。無事に見える土盛りの部分もいつ崩れてもおかしくない。穴しか見ていず「こんな幅、飛び越えてやらあ!」などといってジャンプしたりしようものならひとたまりもないだろう。I鋼以外の所を踏んでしまえばたちまち踏み抜いて川へドボン。露出したI鋼の上にも盛り土が崩れ残っていて、ここを踏んで向こうへいくこともままならない。ヒヤヒヤしながらたもとまで戻った。
それでも対岸の物体が何であるかが気になって、デジカメの望遠を使って撮影した。
ミッフィーだった。
キケン、ともある。
…この一連の出来事から何かを導き出そうとして呻吟している。
2〜4の辺りをループして抜けられず時おり5が頭をよぎる。見出しもだんだん見出しでなくなっていく。すればするほど崩壊していくnagajisの思考。彼が救われない理由はその辺にあるのかも知れない。
するくせに奇妙なポテンシャルだ。最近写真にばかり頼り過ぎだしな。
…と思ったらこっちがあったのね。
信じる者は
スクワレン
C30H50
聖書(嘘)
ああ我救わらん。
不達・・・。正確にいえばs23.coreserver.jpのIPがスパム認定されているようだ。どげんするかねぇ。。。
yahoo.co.jpで登録されている方、受付からのメールに御注意ください。次号発行までに別アドレスからお送りする設定に変えるかも知れませんがドタバタして忘れそう。
いつものように落ちてます>the-orj.org
少々早くったって対策にはならんのだなあ...
近日中にスケジュールを詰めて参加希望の方々にご連絡します。あれこれあって進んでません(ゴメンナサイ!)。少々お待ちを。ダン・オハラ辰さんが参加される予定です。masaさんも来られるといいなあ。
発行を終えた気安さから書いてみる。ミネソタの橋落下、最終調査報告が出たそうだ。最大の原因はトラスをつなぐガセットプレートの強度不足。設計ミスで本来取るべき厚さの半分しかなかったらしい。また崩落した時は片側車線が工事中で工事車輌などが偏ってあったために変な力が加わって、ラッシュアワーになって崩壊した、と。ということは最初に言われてた支承のモンダイではなかったのね。
思い返せばもう1年以上も前の話。ガセットプレートの強度不足は途中経過で報道されてたんだろうなあ。あれこれ言う割に疎いnagajisなり。ふははっ。
ガセットプレートは確かこのへんの部材。梁同士をつなぐ添板。ミネソタの橋とは全く異なるトラスで失礼。いい写真がなかったのよ。…というのを書いて、デジカメ画像のバックアップを上書き保存してしまつだ(大汗。 似たような構図のやつがあるから、まあ、いいか・・・。あ、写真の赤線、上の辺のソレは上弦まで覆い枡。図の線はちと足りてません。
今号の「KINIAS発表報告」は作業の最後のほうで空き時間ができたので慌てて作ったものゆえアンケートがありません。&、ごっつ手抜きです。ご了承ください。ご指摘ERRATA嘘大袈裟紛らわしいはnagajisあっとまあくthe-orj.orgとかここのツッコミとかで受けつけます。(ホントはIさんが貰ってくださったんですが・・・貧乏性発動しますた。喋った内容も改めて打ってふせんで入れてます)
高橋メソッドは賛否両論あるけれど(いやこれは方法論としての話で)、作る側としては「本当に主張したいこと」を自分自身に対して明確にできるという利点があることを、作りながら気づいた。余計なコトを書きすぎなんだよな原稿は。
そうそう、KINIASの公式サイトは移転していたのでした。
新ホームページhttp://kinias21.hp.infoseek.co.jp/
今日気づいたnagajisは会員失格の助。トップページの「産業遺産とは何ぞや」解説が大変わかりやすいです。廃道テーマで発表したのは無理矢理っぽいなあと改めて思ってみたり。
参加表明を伺っているみなさんにメールを送りました(今さら!という感もあるが)。ある程度固まったらここにも告知。たぶん24日に登るという方向になるんじゃないかしら。
このOFFでネタを仕入れたらあとは来春まで大きなイベントはない(はず)。その間にCD#2を片付けられるか。
…というネタのために筋トレを始めたのだが、どうもネタじゃなくなってきた。実際問題として筋力が落ちている。
とくに知識はないので下半身中心に必要そうなものを適当に。ストレッチ。OUCC仕込みの掌パクパクを忘れてて今日から実践中。20minリミットランニング×1。腕立て伏せ。腹筋は1日目に少しやったが絶望的にできなくなっているのでパス。最後に10upの階段ダッシュ10本。これを一日10%増量中。おととい昨日はひどい筋肉痛で階段も登れなかったが徐々に適応しつつある。さてOFFまでに常人の体力まで復活できるだろうか。
夜中の大塚公園でハアハアしている人がいたらnagajisです。石を投げないでください。かわりにエサを与えると喜びます。
11時過ぎ。なぜか村田鶴三昧の一日。わざわざ滋賀くんだりまで来て下さったKさん、Iさん、ありがとうございました。
話をさせていただいて、つくづく「自分はナニをやりたいんだろ」と思う。物書き志願でもなければ専業ライターでもない謎の立ち位置。どっちを向いてどの方向へ行こうとしているのか。廃道を歩くという行為は手段なのか目的なのか。自由のための必然性を受け入れる自由を備えているのか。とはいえそんな迷走の果て、わからないまま終わる人生もありかも知れないと思ったりもする。アンパンマン以下のnagajis。
何が君の幸せ 何をして喜ぶ
わからないまま終わる そんなのはいやだ
アンパンマン
廃道に対する思考・見方・スタンスを突き詰めていくと哲学的な思考に一致することがある。こういう見方もあるなあと思っていた事が得てして哲学論的であったりしてオオオレテツガクシテルなどと自惚れてみたりも正直したのだが、当たり前だ、哲学は世界や人間の思考を論述しようという学問なのだから。地形図の郵便局記号を見て「これって郵便マークに似てるよね発見した俺スゲー」と言ってるようなもの。
認識論的廃道:廃道はそこにあると認められて初めて道となる。認められなければ存在しないのと同様。
唯我論的廃道:廃道は《私》によって歩かれることで意味付けされる。
弁証法的廃道:廃道を歩く自由を享受するための必然性としての薮とその突破によって齎されるカ☆イ☆カ☆ン=止揚
たいへん生半可である。
フライデーに「廃道をゆく」が紹介された。こんな所にまで廃道化が進むとは正直思ってなかったから驚きというほかない。立ち読みするのも何なので買ってきたのだが確かに載っていた(当たり前だ)。
出力のキレイさはさすがフライデー。紹介文も当方の意をしっかり組んで下さっている。写真提供者として名前が載っているのは編集Oさんの御配慮によるものでありnagajisが要求したものに非ず。ちょっと申し訳なく思ったりもする(宣伝のためなら自由に使ってくださいーとは伝えてあるのだが)。
………しかし美乳と巨乳の間というページ割はニッチもサッチもどうにもブルドッグではないだろうか。これがオセロだったらえろいことになるじゃないか。最も目を引く位置に入れていただいたと見るべきなのか、日本廃道化の野望を打ち砕く現代文明の抗いと見るべきなのかはわからない。
少なくとも立ち読みで済ませなくて良かったと思う。ニヤニヤしながら開いたページがこんなんだったら(いや実際ニヤニヤしてしまったのだが)怪しい人確定である。想像に難くない。
[詳細はこちら]でほぼ確定。23日夕方に索道麓に集合、24日に登る。24日は雨っぽいので少々覚悟がいるかも知れない>nagajis。ヒップバッグよりザックのほうがいいかもな。
nagajisは23日から現地入りしてアレコレする予定。絹路さんも自転車で合流。noaさんはバイクで、masaさん辰さんが車で合流。脈絡のない情熱を以てして500m登る。
それ以上に脈絡のない本部録"である。「隧」の読みについて。
以前書いたように「ずいどう」なのか「すいどう」なのか迷っていたnagajisなのだが、実業之日本社「廃道本」の巻頭グラビアの「隧」は「SUI」というルビを振ることにした。作る過程で大漢和辞典を確認した結果である。諸橋大漢和には「スイ」という読みだけが書かれている。厳密な意味での漢字の読みは「スイ」である。その証拠としてスキャンをupしようと思ったが著作権的にアレそうなのでやめておく。
だからやっぱり「ずいどう」は国訓(音便形)なのだろう。要はどっちでもいいが話す時は「ずいどう」のほうが区別しやすくて便利だ。しかし頭のなかでは「すいどうなんだけどナ」と思いつつなので少し上の空になったりする。今後nagajisに隧道の話をさせる・あるいは聞かされる時にはその事を思ってニヤニヤしながら聞いていただければと思う。
××××××なnagajisなので単刀直入にはいかない。何とかしたらどうか。あ、そこ、伏せ字部分を推測したりしないように。
本題は帰宅後第一のお仕事がyahoo.co.jpあてのメールもblue.ocn.ne.jp経由に変更したということである。ライブラリ一カ所修正でOK、と思ったら判定部分が分散していて結局全部書き直すことに。もっとダイエットしろ>受付
前回同様masaさんに送っていただいて家まで無事帰りついた。そのくせ車のなかでウンウンゴホゴホ唸ってるか寝てるかだったような気が。毎回申し訳ありません>masaさま。麓に降りついた安堵で緊張の糸が切れてしまい風邪ウィルスを拾ってしまつたようだ。
それで肝心の鳴川山。何というか、どれもこれもが強い印象で、かえって散漫としている感じがする。G.W.の沢川は「格闘の末に捉えた軌道」「予想だにしなかったレールの出現」の2つに印象が集約されるが、鳴川山はどれもこれもが(nagajisには)鮮烈で、その鮮烈状態がプラトーをなしていて困る(なんじゃそら)。もっといえばレールや制動機の残存は沢川ほどの衝撃ではなかった。レールその他が残っていることは予め解っていたからな。それはある程度想像していたことだが、ともかくまあ、そこまで辿り着くための行程とそれをこなすことができたこと、附近の地形のエグさ、および前日の鍋、そして絹路さんと寄り道した五社峠のほうがインパクト大なのだった。軌道跡に辿り着いた頃から定時的に雨が降り出し、頻繁にカメラを出す事ができなかったのもちょっと痛い。
麓から索道上部へ至るルートは「林鉄の軌跡」にあるものとは別のルートを取った。これも真っ当な道ではなく、というよりも道ですらない山の斜面の踏み分けでしかなく、振り返ればよくもまああんな所を登れたものだと感心する。途中で「林鉄の軌跡」の道筋と交差したはずなのだがそれさえ気がつかなかった。一人で、そして「林鉄の軌跡」だけを信じて登っていればきっと迷ったか絶望したか遭難したかしただろうと思う。しかし地形的にはアレが唯一間違いなく軌道跡へ至ることが出来るルートのはずだ。
ともかく、今回のOFFで思ったことは「nagajisは皆さんに生かされてゐるなあ」ということだ。実感としてそう思い有り難いことだ忝いことだと思う。こっそりここで感謝する。でも大分でワカサギ釣りした思い出はホンモノですってば。
Iさんに送っていただいていた廃道本の刷り出し(出版直前のテスト印刷紙)と、廃道本を紹介してくれた産経新聞の見本紙を今日受け取った。確かに廃道本載ってる(当たり前だと言っておろうが)。こちらで購入したものも確かに同じ日の同じ新聞なのだが構成が全然違うのだった。関東版/関西版の違いなんだろうか。内容はwebでも見ていたが見出しが微妙に違ったりして(確か違ってたはず)さすが新聞社、などとも思う。拡大版はこちら。いいよね産経さん、載っけちゃッてもいいよね?
刷り出しのほうはどうしようか。ポスターがわりに張ろうかとも思ったがニコチンで末期ッ期もといまっ黄っ黄になってしまうのが目に見えているのでとりあえずやめておく。
ツッコミ欄の“E-mailは表示されません”表記を設定画面上から変更できることを今さら発見した。直してみる。
ついでに追記。留守の間に掲示板へSPAM書き込みが相次いでいたのだが受付が頑張って対処してくれてた。阻止率100%。つーか同じIPで連投するな愚か者め。
OFF準備でバタバタしてたら編集部内のお仕事を一つ忘れてたヨ!申し訳ない!>ヨッキれん氏、TUKA氏
穴が鼻が詰まる。咳が出る。しんどい。麓まで降り安堵したところで緊張が切れたのか。でも熱はないようだ。煙草の吸い杉という説もある。
過般の修正が一時しのぎに過ぎなかったのと今後の対応を容易にするために抜本的に修正した。個々のプログラムでmb_send_mailしていたのを止め共通ライブラリにphpmailerによるメール送信+アドレス判定してSMTPを切り替える関数を入れて一元管理することに。
Subjectが文字化けするバグに悩まされたが誰もが通る道だったらしい。問題はmb_encode_mimeheaderかmb_convert_encodingにあるようで、その前後でmb_internal_encodingをISO-2022-JP指定しておけばOK。送信元によってnagajis/受付を切り替えたりなどしていたら以前よりも肥大化してしまったような気がする。まあいいか。不要になった$headerは頃合をみて削除するの助。
ブツ切りにされたラーマーヤナの如き気宇壮大かつ脈絡のない考察。
古来日本ではことばを書き表わすために万葉仮名が使われた。日本語の発音に借りてきた漢字を宛てて書き表わす。
夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母礼流 夜麻登斯宇流波斯
やまとは くにのまほろぱ たたなづく あをかき やまごもれる やまとしうるはし
基本的に一音一文字の対応である。地名もやはり当初は一音一文字で、たとえば「やまと」も「むさし」も3文字で書き表されていたらしい。
それが延喜式の頃に「二文字の国名嘉なり」とか何とかいう話になって、1字あるいは3字で書き表わされていた地名が2字に改められた。「大和」「武蔵」はこの頃の産である。ちなみにこの頃の何かをいう時、適当に「延喜式の頃」と言っておけばたいてい当たっている(ように見える)ので便利である。
それで日本には二文字の地名が満ち溢れた。
八色の姓だとか源平藤橘だとかの時代はさておき、今日の『姓』(苗字)の多くはその一族が住まう地の地名を名前に冠するところから始まった。よって姓には二文字のものが多い。曰く田中。曰く下村。曰く橋本。二文字で表すことが普通になってくると読みが2音×2=4となって4音の姓が増えた。明治の初めに全国民に苗字が認められると4音の苗字が爆発的に増えた。
オグシオ、とかモンハン、のような4音の略字が多いのは苗字に4音が多いからではないかと思う。略語でなくとも4音のものは通りがいい。ミクシィとかアマゾンとかトンヌラとか。
本日近くの商店街を歩いた時、たこ焼き屋のメニューに
キムタコ
というのがあるのを見つけた。
このへんのベタな訴求に対しては(奇妙なポテンシャルの考察によって)鍛えてあるので華麗にスルーできるつもりのnagajisである。とはいえ一瞥しただけでキムチが入っているタコヤキというのが−−−それ以上の説明なしに−−−一瞬で理解できるのは優れていると言えるだろう。座布団0.7枚くらいは進呈したい。
もちろんスルーして終わっていては前半の意味がない。つくづく考えた。略語というのは略すことでキャッチーになる。略語そのものが略される前の実体を上回るイメージを持つことさえある。キムタクという略称には敏感に反応するが、かといって木村拓也氏本人や彼の演じた役を思い出したりは必ずしもしないだろう。いわば略語の一人歩き状態である。
この例の場合、キムタコはキムタクという強い吸引力を持つ語の存在によってさらに印象を深めることに成功している。がしかし、裏を返せばキムタクという語のイメージに依存している、あるいはイメージに引きずられている面がある。仮にここでキムタクのない世界があったとして、そこにキムタコという語が投入された時、そんな世界の住人たるあなたはこのキムタコを買うだろうか。否である。
そうでなくても『キムタコ』を見て『キムタク』を連想する人とそうでない人がいるだろう。「よく考えたら『キムタコ』と『キムタク』って似てるよね」と思う人もいるかも知れない。両者の違いはただ1字。1字違うだけでイメージがどの程度変わるのか。あるいは変わらないのか。どこまでがキムタクでどこからがキムタコなのか。
試してみた。
キムタク度:キムタクという語を意識してしまう強度。『キムタク』=キムタク度100%
…と、50音やってみたわけだが、どうもこの例の場合は最後の2音がイメージに大きく関連しているような気がする。例えば
辺りはキムタクからの脱却に成功している。していなくはないか。あと個人的な嗜好にも激しく左右される。一種の心理学テストに使えるかも知れない。キムタ○判断。
nagajisでも試してみた。キムタクと同列にするつもりは毛頭ないが一般名詞化していない閾値の低い例として最適だろうと思う。しかし「ナガ」がどうしても「長」を連想させて「長い○○」になることが多かった。
…。だんだん違う方向へ逸れていったような気がする。少なくともナガジスはキムタクになれないことはわかった。皆様におかれましては上記の好きなものを使っていただければ幸い。
もう一つ気づいたこと。文字面だけによる印象と発音してみての印象とが大きく違う。ナガジア、ナガジイ、ナガジウ、ナガジエ、……と喋っていると違うものが連想されてくる。試してみよう。
引き続いて「エイホホー」言いたくなったら、それはnagajisの術中にはまっている。
本日の着地点:山寺の和尚さん
「自分のことは書かなくていいですから」というのは本心だったが無理な注文だったようだ。当たり前か。このアホ面および無駄な人生を見て買ってやろうと思う人が2、3人増えればそれでいい。だいたい人の人生一つ無駄にしたら出来ないことなんてないと思うんだ。目からビームを出したいとか天皇になりたいとかいうのはさておいて。ねえヒンタ。
かなりの枚数撮って下さった中からあの一瞬を見逃さなかったKさんはさすがである。1カットだけ紛れ込ませた変な顔(ほらそこ元が変な顔なんて言わないの)がめでたく掲載された。本望だ。
しっかしこの顔、何かキャプションつけたくなるよな。
_ 二枚橋 [間延びは…言語の経年劣化もとい「進化」というヤツではないかと思います。 ら抜き言葉なども同様かと。 支柱や根太の腐った構造物ミタイナ。それでもキノコの王国にとして進化発展し、やがて今の現代語は「..]
_ nagajis [その通りですね。私も違和感を感じつつ仕方ないものと諦めています(まず自分が矯正できないもの)。いまの私たちが源氏物語の頃の言葉で喋ってるわけでもありませんしね。 件の本は二重の意味で皮肉を言って..]