nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
●鹿峰社
添上郡奈良町
幹事 平松甚平
工場主事 向井政行
職工監督 一柳庄太郎
第一工場 京都府山城国相楽郡木津村大字鹿背山
第二工場 奈良県大和国添上郡奈良大字奈良坂
どうりで工場がわからんわけだ・・・。つまるところ白口のあの工場跡が第一工場、平岡窯が第二工場というわけで、してその煉瓦が関西本線の建設に使われたあと鹿峰社は解散し、各工場は独立して平岡窯と木津煉瓦になって云々。うーん、府県間に跨る時はどうしたらええんやろ>。
堺煉化石会社
堺市南附洲新田
煉瓦製造
資本金 5万円
払込 3万9310円
許可年月 M18.11.
開業年限 M18.11.
社長 井上勝彦
危うく見失うところだった。ブックマークに入れてあった。
M22時点の会社一覧は貴重。 その中に堺煉化石会社が入っている。社長:井上勝彦・・・誰だろう。どう考えてもFacebookやってるアノヒトではない。
同表には佐野煉瓦とか共立社とかもある。あ、日本全国諸会社役員録M26にも共立社はあるぜ。
共立煉瓦会社
堺市吾妻橋通2丁目
社長 高木嘉兵衛
取締 西村秋城
取締役支配人 岡村猪之吉
高木嘉兵衛は堺煉瓦(株)になった時の設立発起人。後に監査。岡村猪之吉も初期の堺煉瓦に関わっておる。右上の小窓で名前検索する宜し。目次では共立化煉会社になっているので危うく見落とすところだった。
福島県は明治の最初から大正8年頃まできちんと工場一覧を載せてある。たいていの府県は明治30年代に入るか入らんかというところで力尽きて数字羅列になってしまう。ここまで継続的に載せてるのは見たことがない。福島県えらい。お陰でかなり細かく拾えた。富岡煉瓦とかすごく頑張ってる。須賀川製瓦は現れたり消えたり。後半は瓦製造。
北海道も初期からあって有り難いがM30頃に途切れてしまう。このパターンだと大正初期と末期〜昭和初期が抜けるので困る。大きな会社は諸会社役員録と工業羊羹で埋められないこともないが古米のは四捨五入されてしまうのを免れぬ。
宮城県はなぜかごっそりMISSING欠になっている統計書が多く、やっと工場表見つけたと思ったら早々と数字統計になってしまふ。ううむ。
東京はどうだったっけ。確か最古+1年くらいから載っていて比較的よく抑えられたはず。しかしこれもM20後半で失せてしまう。神奈川も同。
群馬県は工場通覧で煉瓦工場が出てきたことがほとんどない。戦後すぐに2,3出てくのと、あと日本帝国興業なんとかで出てくるだけ。ただし前橋案内には煉瓦工場の記事がある。
日本帝国興業なんとかはかなり小さな工場まで載っているが何故か東日本だけだ。ベサツだベサツ。
あとはどこみたらいいだろう・・・。下煉の「T」を供給した高橋煉瓦を探すべく栃木県。埼玉県も下足立郡があるから見る。千葉は少しありそう。静岡はなんとなくだが統計書に工場一覧がなさげな予感。あと北海道は各郡の統計書も抑えとかないといけない。札幌郡とかさ。
珍しく、まことに珍しく何の不都合も起こらなかった一日。長閑な陽光を浴びながらほべーっと散歩した、そんな一日。
この間のつどいで橿原神宮整備事業に触れたので久しぶりに訪れてみた。橿原道路元標は以前のとおり。最近GoogleMapsで道路元標の位置が表示されるようになったみたいだが彼の存在はガン無視されている。哀れなものである。この調子だと川上村道路元標も無視されていることだろう。ここで文句をひと鎖投げそうになったがやめておく。そういうイガイガした気分は今日の散歩の気分にふさわしくない。
目的は天満村箸喰の奈良煉瓦。戦後から30年代まで煉瓦を作っていたらしい場所。なんとなく気になって行ってみる気になったのだ。天満村の大半はいま大和高田市になっているけれども、その東の端の方にあった箸喰は橿原市に編入されて光陽町と名を変えている。工場所在地番所は川の西側なのだが箸喰の本村は東側の小山の麓だ。
その旧本村のなかを歩き回れば早や焼損煉瓦のなうおんせーる。建物の基礎に使われているものもあれば畑の縁石になっているものもあり、また単体で転がっているものもある。それどころか焼損煉瓦を腰壁に使った納屋があったりもする。この旧村を歩いた時点で今日の目的は9割方達成した気分。
そうして縦貫県道に戻ったところでもっとわかりやすい壁を発見。ここまでふんだんに&明らかに焼損な煉瓦を使ってあるってのは近くに煉瓦工場があった証であるだろう。ストリートビュー見てたら気づいていたかも知れないが、そんな勿体無いことはしていない。現場へ行って偶然見つける嬉しさをはじめから捨てるようなモンダミン。
ここに使われている煉瓦は208mm前後×95mm前後×56mm前後で通常サイズより一回り小さい。JISサイズで型枠作って焼いて縮んだみたような感じ。すべて手成形で刻印はない。爛れ切ったものもあれば旱魃で干上がった池の底のように亀裂っ亀裂なものもある。
工場所在地番地はそこだけが畑になっている。畑というより空き地の一角で家庭菜園をしているという感じ。そこにも焼損煉瓦や瓷の破片が散っていた。
煉瓦は小ぶりのものが多かったように思う。上手く焼けているものは上手く焼けているし(そりゃそうだ)稼働時期が現在に近いので盆地で見られる同様の煉瓦はここに擬してよいのかも知れない。奈良盆地で刻印煉瓦を見るのは稀なほうである。
その後根成柿の辺りまで行って天満神社を一回りして坊城へ向かった。道すがらでは小島煉瓦をひとつ検出したのみ。煉瓦自体少なかった気もする。そうして予定を変更して大和高田の市街地を歩き回った。結果的にはその判断、間違っていなかったようで、初めて見る煉瓦刻印をひとつ検出したりなどした。そのへんはまた後日気が向いたら。
大和高田市は奈良県南部の中核都市。明治20年代の後半には大阪鉄道が到達し、駅すぐ隣に高田紡績ができあがって「綿業の町」として大繁盛した。そんな大和高田市に煉瓦がどれくらい残っているか? は一度確認してみたいものだと思っていたのだった。
高田紡績→あれやこれや→ユニチカと変遷した工場はすでに跡形もなく、大々的なマンション街に生まれ変わっていたりして、近代の痕跡は期待していたほど多くはなかった。けれどもそんな大和高田の市街地の狭い狭い路地の端で未見の煉瓦刻印に遭遇した。
なんとも描写しづらい形である。たぶん写真は天地逆なのだと思う。ナカグロというか●というかがチョンチョンがついたヤマを被っている。そう見てようやく描写可能な、そんな記号だ。はじめは手書きかと思ったがそうではない。そして他所では見たことがない印である。
初見の煉瓦刻印が見つかるのはうれしい反面、稀な刻印=同定しづらい刻印なわけで、製造業史を明らかにするんだ!と嘯いているnagajisの喉仏のへんにぐさりと突き刺さる魚(とと)の骨でもある。そういうものとして他の何かと一緒に飲み込んでしまえば支えも取れるかも知れないが、よく咀嚼して食わないと消化不良を起こしそうだしむしろそれで胃を悪くするほうが私は困る。疼痛でその存在を時折思い出させてくれたほうが有難いといえば有難いのである。どうせ会社の同定なんて、どうあがいたって100%な真実には至れないのだ。
しかしこれ、ホントに天地逆かな。ヤマに等長記号みたいなチョンチョン入れたんって他の屋号でも見たことがない。しかもヤマの中身ナカグロだし。かといってこれで正体だったとしてもまあ困るんだけれど。
表側がどうなっているか見たいところなのだが斯の如くなコンクリ固定で如何ともできなかった。同じ並びには播煉と思われる三本線、手前には大阪窯業の遊離転石。長屋的な民家の前庭の花壇石になっている。
大和高田は現県道2号線がかつての高田川だということを意識しながら歩くと面白い。平坦な市街地の中を抜けるこの県道のところだけが一段高くなっていて、以前は天井川だったことがよくわかる。市街地はうねるその川の脇に格子を切って作られてある。高田川の付け変えはたしかその権衡工事として西熊野街道が開鑿されたんじゃなかったっけか。大和の国中と吉野と、遠く離れているように見えてちゃんと関連がある。
鉄道が早く開通したせいか高田城と市街地の関係よりそれ以外のほうがはっきりしている。確かにその方面に古い町家が残っていたりはするが鉄道でぶった切られているため城下町的な印象はしない。
いまさらのように大野郡志を読んで、あれこれ書かなきゃいけないことに気づく。間に合うのかしらん。今週日曜は図書館詰めだな。
Andoroid版のGoogleIMEの変換効率の悪さに辟易し、「福井みちづくりの歴史」を発掘するのに頭を沸騰させて小一時間かかって、ぐちあぐちあな部屋がさらに愚痴や愚痴やになった。本の置き場がもうない。
本格的に不要物を捨ててしまいたいものだ。
これまで資料に使ったモノ、そのうち資料にするつもりでいるモノ、読み終えた本、読みさしの新書、持ち帰っただけでほとんど読んでいない本。コピーしたまま積み上げられている各種文献。旧版地形図のコピーの山。それ以外の二度と着ないであろう服とか二度と使うことなどないだろうPC部品とか雑多なガラクタとか。全部バリバリ押しやって捨てられたらどんなにすっきりすることかと思う。片付けたいのは山々だが月の半分は現行書きに追われて残り半分は旅に出ていては片付ける時間もないではないか。まったくもって「どうしたものか」と思う。
どうせこのモノたちはあの世に持っていけないのである。生きた証として積み上げてみても死んでしまえば後かたづけする人が大変だ(いたらの話だが)。PC系のガラクタはまあ捨てられるとして、地形図系も再入手は容易なのだからいいとしても、本はなあ。このヤニまみれの本を自分以外に使ってくれる人も居るまいが、一応は過去からの継承物なのだし、これ以上残部を減らすのはちょっと忍びなくもあるなあ。
押し入れを整理して突っ込むしかないよなあ。いやだなあ。何日かかることやらわからない。
休み時間を使って大日本商工録にとりかかったら富山の石黒商店が三ツ輪社章を使っていたことを発見した。敦賀で見つけたあの三ツ輪も愛知の片山煉瓦ではなく富山石黒商店製と見たほうがよいのかも知れない。分水嶺2つ越えて運んでくるより北陸線で1本or日本海航路でツツツのほうが早いだろう。しかし敦賀では印南郡のK7があったりするからな。侮れない。
今のところそれ以外に瞠目するような発見は無し。北海道の鈴木煉瓦が星Sマークを使っていて、「日本れんが紀行」に掲げられていたアレがそうなんだと気づいたことと、磐城シャモットが「菱K」を使っていたのを知ったのと(どっかで見つけてなかったっけ?菱Kの耐火煉瓦、いやあれは亀甲Kか)、須賀川陶瓦の社章があったけど画像が粗くてよくわからんで困っているのと、甲州煉瓦が○甲マークを使っていたらしいことくらい。いや「くらい」じゃねえだろ、最後の一個なんかは大津で見つけたアレかも知れんのだぜ。
甲乙丙丁の甲じゃなくて○甲+識別印の可能性。しかし山梨くんだりの煉瓦が滋賀まで来るかいね。しかも70mm超の極厚煉瓦だしさ。甲乙と考えたほうがなんぼか心が休まる。
甲州煉瓦のあった甲運村は中央本線と身延線の分岐点付近。それほど都市化されていないようだから歩けば痕跡が見つかるんじゃないだろうか。操業期間も比較的長いし・・・
ということを書いていたのだが上の[煉瓦工場]タグを補完したときに消えた。まったく余計な機能である。此のへんはかいぜんされておらのか。
原稿書きの合間に大日本帝国商工信用録を見ていていくつか気付かされることがあった。これなどは件の大和高田の刻印に近い。他の屋号でヤマだけ+右側にチョンが入ったものがあったから、それが両チョンになって●に被さる形もありなのかも知れない。
めくっていくうちにこんな屋号に出会ったりした。丹治煉瓦の丸丹とまったく同じだ。これは確か第24版だったかで見たもので、福井県と大阪府、運送業と煉瓦製造という違いがあるし、そもそもこの頃丹治煉瓦は合資会社として横ずれ〓を掲げていた(同書にもそれが載っている)。被ることはまあなかっただろうけれども、電略○タンだったりするのはちょっと混乱したかも知れぬ。
それよりもこいつが問題か。敦賀の運送会社も三ツ輪社章を使っていたようだ。さらには石川の共同運輸会社とか何とかも三ツ輪マーク。社章・屋号のコリジョン問題は一度深く考えなければならない。左記2会社は同業種だから経営者が同じだったりするのかも知れぬし、その理論で言えば石黒商店も同系列であって云々という可能性も微レ存になってしまう。そもそも三ツ輪なんてそんなに珍しい屋号じゃなかっただろうし、実際愛知の工場なんか結構コリジョンしまくっている。
帝国商工信用録は1400コマ近くあるのに目次が整備されていないうえ業種の並びが非常に恣意的で法則性に乏しいという拷問のような本である。ひたすらペラペラめくっていくと脊髄が白化していくのがよくわかる。基本的に商業会社や商家の一覧なので煉瓦工場で小売も行ったようなところしか載っていない、すなわち煉瓦工場の社章なり屋号なりに出会う確率は非常に低く、それでも見ないではいられないという、そんな試練な本である。しかし今回でざらっと目を通して大マスの会社は拾い終えた。屋号社章もそんなに多くはない数抑えてある。どのみち大日本商工録のほうがこの点では十二分に役を果たしている。あとは関西の「京阪神商工録」に相当するような地域版を探すだけだがそんなに数は多くないようだ。
ぼくは人参となってただただ業務をこなすだけである。
ある程度形になったのでpdf化にかかる。かなりたくさん書いたつもりの導入が20ページくらいに収まりそうな塩梅で、あれ、たったこれだけかよ、と思ってしまう。そりゃそうか……写真がほとんどないんだものな。あれとかこれとか入れておこうか。どうせ後半で出すことになるのだろうけど、そのために秘蔵しておくほどのものでもないだろう。何なら図書館に行ってゲフンゲフンしたっていいんだぜ。
なんでだろうね。他府県のは黄色のが多いんだけど。
そういやキロポストの設置とか形状とかを定めた告示ってあるんだろうか。国道だとシールを貼った三角柱をよく見る。何故か国道42号には多い印象がある。皇居の二重橋の広場にもなんかあった気がするなあ。
明治44年頃に郡上や白鳥や大野の辺りを歩いてはるのだった。向小駄良の子牛を見やれ、は覚えていたけれども道筋が思い出せぬで諦めていたが「美濃越前往来」だったか「越前美濃往来」だったかというタイトル。文庫版全集第3巻に収録。
残念ながら油坂峠は越えていない。郡上から白鳥に入って桧峠で石徹白に入っている。そうして大野に出て。その次も谷汲から蝿帽子峠越えて今庄へ行っている。そうか、製糸工場に出た若い娘が肺病を患って帰郷して青白い生活をしているという話が奥越前の辺りなんだ。
残念ながらその辺のことを書く隙がなかった。無理に入れ込んでも無理が目立つだけ。翁が尾崎弥右衛門のことを知りたがっていたという話も同上。いまは適当な評伝があって手軽に?見られてありがたいことだ。精錬社と面谷鉱山は今一度行って調べてみたいくらいに話題が豊富。モノは残ってないっぽいけど。面谷鉱山では早くから鉱滓煉瓦を作っていたから集落跡のアレがそうなんだろうと思う。再履修兼ねていつかまた行ってみるかな。
うーん、やっぱり畢竟は自身の経験のための旅なのであって、食った飯をインスタに上げるのとか、写真をtweetするための旅と、如何程も変わらなんだ。人の旅にケチつける分、ヨリ下衆いだけではないか>nagajis。人はなんで旅をするんだろう。旅に出たくなるんだろう。その思い出を語ったり写したりしたくなるのはなんでなんだろう。いずれ消えてなくなる我が身のために研鑽を積んでも無意味じゃないのかね。遺して何になるのだね。そういうのはもっと適任な人に任せたほうがいいんじゃないのか。素人が関わったって食い散らかしてわけわかんなくするだけじゃないのかね>おれ。すでに随分食い散らかしているので今は反省の気分のほうが強い。
近いうちにリストをアップデートしてそれをお渡ししたほうがはええんじゃねえかと思ったりもしたが、そうだった、集成2018を加除したほうがわかりやすいだろう。ものの写真がないと判断つかないだろう。関西だけにするのかな、それとも全国集められるだけ集めるのだろうか。会場が関西だから関西だけでも十分だと思うけれど。
東京行った時にT,Bとか日本煉瓦とか回収しとけばなあ……と一瞬だけ思った。これ以上煉瓦を増やすなと。他エリアに手を出すとほんとに収拾つかなくなるし第一ただのコレクターに堕ちてしまうではないか。明日死んでも人様にあまり迷惑がかからないようにしておかねばならぬ。
集成2018から何か増えたっけ?桂川一式?入れた気がするな。湯浅に行った時あたりから?丸亀から? むしろ記述の訂正が多くて大変そうだ。
続きをやろうと張り切って帰宅するがまずは腹ごしらえだ腹が減っては戦はできぬというわけで晩飯を食えば途端に眠くなってしまいふあふあと生欠伸をしながら書く破目に陥ってちっとも進まない。同じことをもう1000回以上もやっている。お前馬鹿だろ。
そういう時は風呂に入るとか[禁則事項です]とかでリセットすることができる場合がある。両方共試してみたら多少は眠気を減じることができた。そうして頑張って進めた。残り2/5といったところ。うんやっぱり短くなりそうだ。苦労とページ数は比例しない。
この期に及んで隧道の竣工年を探り当てた。鷹を括って当たっていなかった県史のほうにちゃっかり載っていたのだ。見つかってよかった。M26からの五か年継続土木事業の時ではなくM30に単独でと知り、それでああなるほどと納得した。最初は桟橋かなんかで迂回していたのがM28の大雨で破損し同じ時に流失した琴洞橋の復旧工事と合わせて施行されてそれで琴洞橋の開通記念式が美濃道の完成記念式典っぽく実施されたんだろう。といった具合に短くするほうにはいくらでも短く書ける。これで必要十分に思える。必要以上に引き伸ばし引き伸ばし書くのは永久にできまい。そうして上の気付きはもうすでに入れ込むスペースがない。
道路の改修史はまこと不思議なものである。改修が行なわれた結果生まれた道は眼前の事実として存在しているにも関わらず、いざその改修の年月を調べようとすると五里霧中の向こうにあってはっきり認識することができない。その霧の中を探り探りしていけば多少記録が出てくるけれども甲の記録と乙の記録が一致しないなんていうことがザラで大枠すら合ってないことさえある。第○条道路とかいう専門用語がさも一般常識のような扱いで使われていたりする。それをそういうものとして併列記するとか知ったつもりで丸投げ転記してもいいんだろうけどそれじゃあ俺の役目がない。甲乙丙丁天地人の資料をすり合わせて用語を解読して背景まで迫らないと甲斐がない。そこまでして初めて道が経験してきた歴史が明らかにできたと言えるだろうし自分自身の理解も深まるというものだ。そういうのをしてきたお陰で今回も随分突っ込んだ改修史が回収できたと思う。但し今回はそれで力を使い果たした感がある。県議会史まで踏み込んでいたらもっと面白い歴史に出会えただろう。美濃街道はそこまでできる格好のケースであったのだということにpdf作成段階になって気づいてしまったのは愚かである。
久しぶりにアルコールを摂取したので中途半端な時間に目覚めて小痛い頭を持て余している。アルコールを摂取するとすぐに眠くなるので寝るためにしか飲まない自分には適量オーバーのアルコールはちっともうれしくないものである。
アルコールを摂取すると頭が働かなくなるのもいやだ。飲んでる最中とか帰宅中とかに何かいろいろ考えていた気がするのだが寝起きのいま思い出せることはどうでもいい韜晦ばかりである。アルコールで幸せになれる人は幸せだと思う。
覚えきれないくらいに峠に登って心を寄せてきたけれども、その峠が生きていた頃ーーー実際に使われていた頃に人々が峠に対して抱いていた思いを正確に思い描くことができない。ある程度の想像はできても実感としてそれを追体験することができない。障壁として立ちはだかる邪魔者なのか。外界と通じ生活物資を入手するためのライフラインなのか。可能ならどこまでも低したい無くしたいと思われていたものなのか、それとも「越える」という行為に何か特別な感情を抱かされるものだったのか。うちからコンビニに行く道のような日常生活の当たり前のシーンだったのか。どれも当たっていそうだし100%のすべてでないことはわかりきっている。峠によっても違うだろうし。近寄れば近寄ろうとするほど見定めが利かなくなるのはハイゼンベルクの不確定性原理みたいなものかも知れぬ。
峠を利用して生きていた人々の峠に対する感情がもし一人ひとり異なるものであったとしたら、どれか一つをわざわざ書いて抽き出してみても詮ないことに違いなく、だったら全く無関係な自分の個人的な感想を述べたって何ら差し障りはなさそうである。自分だってその峠を利用した一人である以上それくらいの発言権は与えられて良い。けれども頭はそれじゃあダメだと言っている。たった一度の峠越えのイメージと生活のために毎日越えねばならなかった人とでは思いの丈が異なろう。上っ面をなでただけで、表面観察だけでさも本質を突いたような発言をする愚を免れない。諸外国の風習を見慣れないものだからというただその一点によって嘲笑したり誤解したりするのと同じで、無知蒙昧の無自覚無責任な感想と呼ぶのすら憚られるようなのを垂れ流すだけになるのではないかと恐れる。だからといって本質を見抜けたかどうかなんて、誰にも判断できないのだ。例えばの話、深田久弥が書き残した山の話が100%正しいとは思えないし思いたくもない。s/深田久弥/誰か別の人/でも同様。むろんそこには自分自身も入っている。自分のカンソーほど当てにならないものはない。
それが日記とかだったら自分のカンソーで構わないんだろうけれど、そのつもりでは書いていないのだから、多少は芯に迫ったものにしなければならない。そうは思う。しかしそれが一個人に可能なことなのかどうか? 昔はそんへんに目をつぶってそれっぽく書くことにばかりあくせくしていたが、経験を重ねれば重ねるほど、齢を重ねるほどに、それが姑息でしかないことを思い知らされ、謙虚にならざるを得ない。その態度が正しいかどうかもわからないほど。わかるのはその方向へ進んだら必ず道に迷うだろうということだけだ。結局のところ世の中は耳障りのいいことばとか上手い説明だとか発言者の社会的権威だとかに影響されて納得するかしないかする。深田久弥だからその言葉を信じるという人が一定数以上いる。信じる他無い、というべきか。よほどその道に精通しているかその道で暮らした人でないと反駁はできなかろう。
だとすると「私が」書くことには何らの価値もない。
そう気づいてからはかえって気が楽になった。行き交った多くの人生の総体が峠であり道であるなら、そこにもう一個の個人の思いを付け足したところで、道の本質には影響しないはずだ。或る物好きの感想がひとつ加わるだけだ。10^6に1を加えるような誤差である。而してそんな個人の思いの積み重ねの総体が道なんだろうと思う。人口地形とか土木構造物とかと把握するべきものではなく思想の総体として。形を伴った集合的無意識として。
可能なら加える1が不純な夾雑物とならないよう、心がけたい。
左即東武やや後方の内側がいてえ。いてえためにpdfを作るしかなく作ると今度はひでえ内容であたまいてえ。肝心なところで肝心なミスをしていることを再三再四認識させられて余計にいてえ。再履修待ったなしやんけいてえ。それ以外にもいろいろ種がいてえ。
この痛いのはアルコール飲んだ時の疼痛の位置に近い。耳鳴りもそっちのほうから聞こえてくる気がする。脳溢血るんならさっさとしてくれ。単に寒いだけかも知らんが。
最後の最後にご挨拶が来ていることに気がついてしまい少々バタバタした。無事に発行したのでよしとしよう。
Minoh-Arima Electric Railway、すなわち阪急の前身の箕面有馬電気軌道、が開業前に発注した60ポンドレール。以前は曽根駅にもあったそうなんだけど、高架駅になったときにどっかいっちゃったみたい。桜井住宅地に用があって桜井に行った時に偶然見つけてちょっと嬉しかった。上り線ホームのもっとも箕面寄りの柱。(研究会では遥か昔に調査済み)
もうちょっとわかりやすい写真を撮りたかったけれども気づいた途端に電車が来てしまったのでぞんざいにしか写せなかった。
商店街の通りと府道99号に挟まれた一帯は何度か歩いているつもりなのだけど、改めてブラブラしてみたら、まあ出てくるわ出てくるわ。未見の怪しいやつもあったけど輸入品の可能性が高いので置いておく。岸和田煉瓦の漢数字添印とかは再訪してモルタル剥がしてみたい気がする。
そのあと旧能勢街道筋?を歩いて日成産業を見つけたりもした。日成産業の刻印煉瓦は藤井寺で見つけているので新規分布ではないけれども、あっちは手成形、こっちは明白な機械成形という違いがある。
岡町一帯はそんななのに、本丸たる豊中駅周辺では煉瓦を見ることすら稀なのが不思議だ。上野一丁目の辺りも岡町住宅地と同じ頃に開発された住宅地のはずなのだけれど。一箇所だけ溝が残っていたが刻印は確認できず、それどころか遊離転石もない。ごちゃごちゃ具合はそんな変わらないんだけどなー。
櫻井住宅地へ出かけたのはこれを再撮したいがため。六稜星と左ズレ〓らしいものが一つに押された煉瓦だ。煉瓦刻印を探し始めた最初期の頃に撮っていたはずなのだけどその写真が発掘できずにモヤモヤしていた。再撮したところでこんなだから、モヤモヤが解決するわけでもないんだけどね。
六稜星=津守煉瓦(or狭山煉瓦)、ズレ〓=合資会社時代の丹治煉瓦と推測しているけれども、じゃあこの煉瓦はどっちのやつなのさ? という問題を提起する刻印煉瓦である。こういうのが説明できない限り完全解明には程遠い。漢数字一を2回押したように見えなくもないけれど。
再訪した桜井住宅地では前回以上に多くの煉瓦溝を見つけることができた。由緒不明の「ロ」刻印だとか六稜星×2だとか和田煉瓦ゴシックだとたも見つけられた。煉瓦センサーの感度と刻印を探す技量だけは進歩しているようである。
足場や台船も用意され、もうまもなく撤去がはじまるという雰囲気。これが見納めかも知らん。(この右の橋脚は周囲に足場が組まれてある。また下流には台船がいくつも係留されているので台船に積んでそのまま神崎川を下していくのかもな。だとすると取り付く隙もない)。
大阪市側の架道橋の橋台は半分以上撤去されている。ダイアモンドカッターか何かでスッパリ切られているのはかえって小気味よかったり。この橋台の通路は12/17の晩から翌朝にかけて通行止めになるとのことで、新しい桁下制限のバーも用意されていたから、明日にも完全撤去されるのかも知れない。この向かいの橋台はもう少し残るかも知れぬ。
石橋・池田にも一応戦前の煉瓦の転石は認められた。ただし岡町近辺に比べれば少ない。繁華街・商業地の更新の頻度と住宅街の更新の頻度が違うせいかも知れぬ。住宅は30年〜50年スパン。商業地だともっと短くなる気がする。 考えてみれば今頃が最後のチャンスなのかも知れぬ。
商業地の古い煉瓦は、新しいビルに建て替えられた時にガラ一切が合切片付けられる。住宅は転石を生じやすい。家の水回りや門前の溝に使われていた煉瓦が掘り繰り返されて、それが隣近所の植木鉢を支えるのに使われたりとか。
行き止まりの細い路地。木造文化住宅の密集地帯。一軒だけ残っている倒壊寸前の廃屋。そういう所に煉瓦転石が蓄積される。マンションが建つとかして広範囲に手が入るとごっそりなくなる。池田でも商店街の通りより東は皆無に近い。商店街西の国道との間の空隙に見られる。石橋は、あれはレアケースか。アスファルト化された住宅地の溝に使われていた箇所が1つ、モータープールになっている一角の壁。後者は以前住んでいたところから100mも離れていなくて、当時そのそばを何度も通っていたのに煉瓦壁だということも気づいていなかった。たぶん大正〜昭和頃に建てられた屋敷の外周壁だっただろうというもの。そこだけが旧さを残している。他の一帯にはまるでなし。
S41まで。遂に山梨の甲州煉瓦が消え東洋第一コンクリートになる。他の府県でも消滅し尽くして飛ばしてしまうところが増えてくる。だいたいこの頃が消滅のピークか。窯業が20人以上掲載になるのはS37からだが、この頃とS39には意外と工場が多かったりする。この頃登場する小工場も多い。しかしS41になった途端消えていく。切ないものだ。
転業が終えたのはわずかしかない。エクセルに放り込む時にもう一度通覧を開かなければならないようだ。
書きながら気づいたが全国分を集めたということは全年度の窯業の全ページが手元にあるということだな。すげえ無駄。といっても関東編はS45までしか取得できていない。最後の〆に残りを取って来るべきか。どうせ取ってきても耐火煉瓦しか出て来ないだろうけれど。これはS45を終えたところで考える。
工場通覧終わったら…工業要鑑の昭和のを片付けなければ。昭和4年度までしか拾ってない。あと鉱山諸会社を忘れないよう。S21の貴重なデータだ。
北海道の不動産屋爆発。100数十本の消臭剤をガス抜きしたところへ給湯器の火が引火してああなったという。この事故を「常識が無いから起こった事故」とみるか、そうでないか。スプレー缶のガスが可燃性だということは比較的知られているとは思うけれども、一般常識かというと、疑問符をつける余地がありそうな気がする。そうと意識せずに生きている人は少なからずいると思う。あの爆発跡を観て最初からガス缶ガス抜きが原因と見抜けた人はいないんじゃないかしら。
若者のURL離れという話題。スマホでネットの情報?をやりとりする時、URLを送るのではなくスクリーンショットを送って伝えることが多いので、URLというものの存在を知らない若者が多いらしいという話。インターネットを利用している以上URIの概念は常識的だと思って已まなかったが単にサイトの表示内容を伝えるだけならスクショで済ませたほうが効率的かも知らぬと思い直してみたりする。URIを強要するのは制作側の都合と言えなくもない(だからChromeなどではアドレスバーなくそうかなんていう話もあると聞いた。それを聞いた当初は何と乱暴なと思ったものだが)。
エスカレーターの右側/左側を開けないで、2列並んで乗る方向に進むらしい。右を開けるか左を開けるかの議論はどうでもいいのだが、2列で乗るのは、なんだかなあという気がする。大阪はそこまで人多くないし、パーソナルゾーンを侵害された状態で10数秒って、我慢できるのかな。満員電車はそういうものだという諦めがあるから良さそうだけれども、エスカレーターまでギュウギュウってのはな。スリとか痴漢とか増えへんかな。耐荷重的にはどうだろ。むろん2人乗り満員で満載荷重を想定してるだろうけれど、古くなったやつだと逆走したりせんやろか。余計な心配か。しかし片側満員で登る人も満員だったら死荷重+活荷重もかかるから余計危ないか。でも登る人は毎段にはいないだろうしな、せめて一段置きかな。下りエスカレーターだと歩くことが多いなあ。
そんなこんなの、常識とか慣習とかを考えさせられるニュースが続いた。「そんなの当たり前だろ」と思ってしまうようなことは決して当たり前ではない。そもそも全人類的に100%の人間に通用することを常識と呼んでいるのではない、ある文化圏内のある程度の人間がだいたいわかってること、程度のことだと思わないと、世の中に腹が立って仕方ないか、周りの馬鹿さ加減に飽き飽きするか、悲して居た堪れなくなるか、いずれにせよロクなことがない。と書いたところで今回のTRDBの小見出しが「常識破りの」云々だったことに思い至ってあんれまあと思ったりした。あれだって丹那の工事にヒントを得た工法なんじゃないかと思う。丹那ではコンクリート注入で地盤を固めてから掘削した。丹那ではそれが常識と言い得る。
そうはいうけれど、じゃあどうやったら札幌の爆発事故を防げるだろう?「可燃物なので大量に使用しないで」とか何とか言う注意書きはすでに缶に書いているはずで、読まなかった者の不注意とされて終いかも知れぬが、PL法とか絡んでくるとそれじゃ済まなくなるんだろうか。もっとでかでかと書く・・・は多分効果がない。見ない人は見ないだろうし、それで済むなら整髪料と他のを取り違えちゃったという小ボケも絶えているだろう。燃えないガスに変えるか。適当な圧をかけたら凝縮して液体になってくれて、分解性があって、燃えないで、っていうような都合のいいガスを開発するのは大変そうだ。それで結局、こんにゃくゼリーの包装とか形状とかのように迷走しまくって世界はどんどんまぬけ仕様になっていくわけだ。死ぬか怪我する覚悟のない人はまぬけにならないほうがよい。
マイクロプラスチック対策で亀岡市がゴミ袋有料化というニュースもあったな。昨年一昨年頃にはマイクロプラスチックなんて耳にもしなかったがここ最近急にニュースを賑わすようになった気がするのも「常識」に囚われている証拠か。
この取り組みはマイクロ云々よりも前に河川に流れ込むゴミを減らす目的でやってほしい。洪水のあとで川沿いの木々に引っかかってひらひらビラビラしているビニールゴミはまこと見苦しい。大和川亀の瀬の辺りなんか阿鼻叫喚の巷だ。保津峡も同じようになるんじゃないかと思う。それを抑制するためにビニールゴミ減らす方向に進んでほしい。しかしそれでマイクロプラスチックが減るとは到底思えない。家庭で節電しても国内の電力総使用量にはほとんど影響しない、のと同じだ。
頭が痛かった過日に病院へ行ってきたのだが結局何一つ解決しなさそうなのでげんなりである。あ、慢性の蓄膿症だとわかったのは成果か。
耳鳴りも手足のしびれも歯の咬み合わせに起因する可能性があるとのこと。末梢の血管を大事にしたければ酒タバココーヒーのような刺激物的嗜好品は摂るな、甘いものもよくない、αグルテンも地味によくないと言われ、じゃあ何を食えば良いのだ選手権開催である。困ったことだ。まあもとから小麦も米もアレルギー反応を示す体らしいからなこいつ、霞を食って生きる他あるまいよ。
S43でシモレンが脱落。S45時点では石黒煉瓦工業と日本煉瓦製造くらいしか残っていない。あと2,3小さなのがあったっけか。んで石黒煉瓦工業を調べたら、すごいね、現業なんだ。知らなかったお見逸れ致しましたチテトンシャントン。北海道は旭川煉瓦(株)のように社名に煉瓦が入っているけど土管しか作ってなかったらしいところがいくつか残るようだ。その流れを追っていたら米沢煉瓦が現業だと知ったり。米沢煉瓦は戦後の通覧ではほとんど出てこなかったはずなんだけどな。
その勢いで工業羊羹を屠らんとするがやっぱりテキスト量の多さに圧倒された。しかもS7は工場通覧と被る年代なので既成版でも拾っていない。全部打ち直し。内容はS4版とほとんど変わらないのだけど。
羊羹11年版を2/3ほどつまみ食いして力尽きる。残り1/3と昭和16年版をかたせば高残暑会社で了。統計書はすべての府県を終えているはずなので気が楽である。
案の定「注意書きを大きくしろ」というコメント。だーかーらー、そんなことしたって読まない奴は読まないんだよ。意味ないんだよ。携帯の契約書とか保険の契約書とか例え14Qにしたって読みゃしないだろうよ。仮にでかくしたところで一時的に効果はあっても1年2年する頃には同じような爆発させるやつが出てくるって。よく読んでなかったっていって。それでまたでかくしたってきっと同じことの繰り返し。テレビとか映像とかに依存して生きている人間にはまったくもって無意味なこと。その繰り返しの果てにあるのはキレイキレイ社会か過剰反応社会しか無いね。臭いものには蓋をし異質を阻害しみなみあよやまみたいなところが全国度になる。生きづらくて死にそうだ(そりゃそうだわ、生きにくいんだったら死のほうが近え)。
注意書きで解決するなら詐称詐欺は皆無になるだろう。理想が無条件に通るなら世界は塵の如き屈託さえない平和な世界になる。アフリカの子供は皆健やかに育って発展途上を脱して日本経済を脅かす生産者になろう。世田谷の一家殺害事件の犯人は自首してきて万事解決、おれの財布を盗んだ奴は地獄の業火に投げ込まれて悔い改める隙もなく焼かれるべきである。そうはらならないから人間社会なんだろう。
思い通りにならない、といった時の主語は、そう発言した人間の数だけあって、望まれているあり方も千差万別であるに違いなく、それは許容されるべきだとは思うのだけれども、身近に保育園を作るなとか火葬場反対とか養護施設来んなとか児童相談所が土地の価値を下げるとかどの面下げて言えるんだろうと思うこの思いを別に尊重してほしくはない。今この場での私の、思いつきとでもいうべき「思い」であって、それが思い通りにならないことに腹を立てたり苛ついたり悪態をついたりするのは無駄なことだしそもそもそれを主張として振り回す気にもなれない。嘲笑はしこそすれ思いの通りになってほしいとは思わぬ。そういうのは人間同士でやればよいのだ。
疎外感→逃避→対決→紐の切れた風船となったら次はなんだろうな。今はどうも良い意味で無関心でいられるお年頃のようである。ここからまた日が経ったらどうなるんだろう?寂しくて寂しくて自分から擦り寄って行ったりするようになるんだろうか。それは嫌なんだけどなあ。
関東編をつくっていると煉瓦しか作ってなかったような工場は少なくて大抵が瓦と煉瓦と土管の2C 3-1なカンジ。○○煉瓦と掲げていながら土管しか作ってないとかいうのも出てくるが需要に応じて細々と作ってたんじゃないかと思う。そういう視点で関西を見るとやっぱりそれなりにそんな感じがする。書いていないだけで併造していたっぽく思える。樽井煉瓦も社章入り瓦あったしな。大和煉瓦もそうだ。広大池の対岸の工場も後半は瓦ばかりになるが現地には焼損煉瓦がコロコロしている。小さい工場のほうがその傾向が強いみたいだが下野煉瓦も晩年は厚型スレート製造に手を出したりしてるからな。煉瓦だけを作り続けられたのは日本煉瓦製造とか岸和田煉瓦とかいった大工dだけなんかもしれん。
会社のPCが重いとの評で確かにディスクI/O 100%のまま下がんなくて姑息手段で何とかしていたのだけれど、いい加減なんとかしないとと思ってあれこれしていたら本格的にダメになりだした。明日は多分1日復旧作業に追われる。今日も自由時間全部使い込んだのに。
敗因の根源はSSDだと思い込んでたところにある。該PCは昨年だったか一昨年だったかに購入したコンパクトサイズのやつで、以来ずっとSSDのつもりで扱ってきたのだが、さっき開けたらふつーの東芝の2.5inchHDDが入ってやんのばーかばーか。そんなマシンを24h動かしていたのは明らかにまずい。上にもの載っけて熱篭もらせてたのはまずい。そんな用途に耐えられるはずがない。
セクタ不良が発生してたのを裏でDefenderとかIndexerとかが必死に読みに行っている状況。 確か1年前の今頃にも同じように100%天井にはりついてしまって ふぁっくゆー作業をやっていた。その時はnet user hogefuga /addして新しいアカウントを作ってやったらまともになったのだけど、単にそれは不良セクタを外れることができたかららしくて根本治療にはなっていなかったわけだ。今回も同じようにして逃げようとしたが再起動の時にディスクチェックがかかって45%で止まってブチ切れやがる。下手すると永久ループにはまるところ。shutdown /lでログオフできて助かったけど、落として再起動した時には起動しないかも知れない。そういう恐れまで出てきたので必要ファイルをコピーかけて帰宅した。メールは諦めてもらうより他にないと思うのだ。
明日は直でぽんばしへ行って代替HDDかSSDを贖ってから出社する。PCを使える状態まで持っていければ合格(コンパクトマシンなのでCD-ROMも読めねえ。確か前回DELLサイトからイメージ落としてUSBに入れたはずで、それは見つかったけんど、きればWindows動いている時点でリカバリイメージ作りたい。10に上げちゃってるし)。
のはずだったんだが……。S16とS11の最後の見開き分を入力したテキストをFTP経由で持ち帰ったら文字化けして読めねえでやんのばーかばーか。
笆 譌・譛ャ蟾・讌ュ隕��荘. 譏ュ蜥�16蟷エ迚�(隨ャ27迚�)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1071135/853
諢帷衍遯ッ讌ュ譬ェ蠑丈シ夂、セ
譚ア莠ャ蟶よ律譛ャ讖句玄闌�� エ逕コ1-7-6
閠千↓辣臥逃荳ヲ閠宣��蝎ィ陬ス騾 雋ゥ螢イ
S14.11.
雉��悽驥代��20,000
莉」陦ィ縲�謌ク逕ー蜩イ谺。驛弱��蜿也キ 蠖ケ縲�逾櫁ーキ螟ェ荳�驛弱��譚セ蟆セ譌・��玖サ埼寇縲�逶」譟サ縲�螟ァ蟯ゥ螳我コ秘ヮ縲�遏ウ蟾晏��荳�
元コードはUTF-8なはずなんだけど、UTF-8で開くとこうなってしまう。微妙に読めるのがいやらしい。
▁@旁E會�巁E楃�要鑑. 昃�和16幃G版(笃�27版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1071135/853
愛知窃b楃�栃F式��V���A�Z
权A亃�市日會�橋区茅��@�G甃R1-7-6
耐火煉瓦七�耐酸噃B裃X送@貃D壃C
S14.11.
資本金 20,000
仁v衃B 戃N甁[哃C欁B郎 取��L�@彃P 神��[�L夃F一郎 权Z尃Z旁E+��T�雄 盁v柃T 夃@岃D安��R�郎 矃E川兵三
半角カナ→全角カナ変換のチェックが入っとったんかなぁ。mb_convert_kanaで全部逆変換したらとか思ったがかえって高機能に出来てるみたいでホントのカナしか反応しねえ。バイナリ的にカナ→カナの逆せんとあかんのか。
そんな面倒なことせんでも、明日出て持ち帰り直せば済むだけだのハナシ。
S24を入力し忘れていた。S23・S24は戦前からの古工場の所在地番地がわかり得る最後のチャンス。これ以降消えてなくなる工場が多い。その一方で戦後復興に当て込んだらしい大小規模の工場が筍立しもする。北海道酪農協同株式会社がてがけた窯業製品工場は大半が土地改良用の土管の製造工場であるらしいがたった一箇所だけ上湧別だったっけかの工場は明示的に煉瓦を製造。岩手だったか青森だったかでも公社的会社が一瞬だけ煉瓦を製造している。過渡期の淡い歴史をしかと見届けた気分。つっても名前と所在を知っただけだけどさ。
あと、戦中戦後は耐火煉瓦製造もパンデミックる。戦時中には兵器生産のため、戦後復興期には傾斜生産方式のお零れを頂くかたちで耐火煉瓦製品の需要が高まった。
そういや豊中市域では未だ右ズレ〓を見つけていなかった。豊中市の煉瓦特異性に+1ポイントを加える一石。以前数えた時点で30種を越えていたから、今頃は50種類くらいになっているかも知れない。bdbに「豊中市」タグをつけて数えてみたい気がするが全部見直すのが面倒で着手できてない。
豊中市特に岡町周辺には何故煉瓦が多いのか。阪急が明治45年から分譲をはじめた岡町住宅地の存在が大きいはずだとは漠然と思っていたけれども、この分譲をやった岡町住宅経営(株)が分譲地以外にも煉瓦を売ったりしたんじゃねえかと突っ込んで考えてみる気になった。煉瓦を使った衛生的な街区の存在に憧れて隣接街区の家が個々に採用していった、というより、煉瓦小売機関として岡町住宅経営(株)が機能してたことのほうが大きいのではないか。同じような郊外住宅は多いけれども、だからといって煉瓦が多数・かつ多方面の煉瓦が見られるわけではない。石橋にも石橋土地会社があったそうだ。それはどの辺にあってどのように分譲しておったのだろう。このへんは諸会社役員録を見ればよいのか。
工場通覧M35からはじめる。ひながたを作っておいてそれをコピペしてったんだがそのひながたに余計なデータが混じっていたようで馬鹿でかいファイルになってしまった。途中でリソース不足となり各ページの余白を削除するのに時間を取られまこと歯がゆい時間を過ごす。このへん大変詰めが甘い。最初の手間を惜しむからあとで余計な苦労をするのだ。はじめに完全なものを作っておけば何の問題もござそうらわむずらん。
あと一歩で復元というところでトチ狂ったことをしてしまいバックアップをお釈迦にしてしまう。Windows8.1をクリーンに入れるので精一杯。最初からついてきたOfficeは復旧できずだったので落第かも知れぬ。それにしてもSSDはええなあ。いいなあ。
S7 まで。無闇に入力した各種データがカタチになっていくこの瞬間が、いちばん幸せな時期なのかも知れない。これをIllustlatorでアウトプットするのが苦行なのだ。
今回のスパンでもいくつかの継承関係を確認できたが、むしろできなかったところのほうが多くて気がかりである。静岡煉瓦とか。あと東京煉瓦の千葉工場買収とかは知っていないとわからない。突如宮城にワープするだけだもん。あと例によって創業年はメタメタ、大阪とか兵庫とかはかなり素直だったんだけどなあ、この辺は通覧より統計書と羊羹を頼りにするしかない。小工場は追えなくても仕方ない。
北海道は鈴木さん久保さん館脇さんがあっちこっちに分工場を興した直後に野幌煉瓦とかマル二北海煉瓦とかが出てくるので継承関係を正しく追えるか心配だ。sしかしこれを上手く追えたら結構面白いものになりそうな気がする。
するする話ができたらなあ、とおもう。いろいろ思い違いをしていることも多数。自分の取り柄がヌルヌルで取り落としてしまったようなもの。
会社のHDD入替えに触発されたのと、そろそろバックアップを取っておかなければまずい気がしてきたので、入替えてみる。価格もそれなりにこなれてきたし。
やっぱはええなあ。起動スプラッシュのインジケータが2周する前にユーザー選択画面に遷移しクリックしたら3秒でデスクトップが出てくる。出てきたあとに次の操作を待たされることもない。これであと何年か戦えるな。
次の危機は、たぶんChromeが使えなくなるとか、Googleへのログインが弾かれるとかなった時。Macはウォッちずが見れなくなってindex2.htmlが効かなくなった時に見限った。
鶴橋の路傍で。いかにも用途のなさそうな機械屑に「不用品」のレッテルが貼られて放置されていたというただそれだけのことで、画的には何でもないのだけれども、妙に奇妙なポテンシャルを感じてしまった。ダッシュボードとかストーブとか茶碗とかに「不用品」と貼られていたのであれば「ああ不用品なんだな」で済む案件。しかしここまで使い用がないだろうというような物体に、わざわざ折をつけてやらなくても不用品だとわかるというものだし、死人が足蹴にされているような哀れも感じる。さらに鶴橋という土地柄が、モノが見做された不用の度合い、不用レッテルの強力粘着力をいや増す。誰からも見放された徹頭徹尾不用の品が、ぼくは不用品ですという名札を下げさせられている。哀れというほかない。
しばし眺めて、不用と判断される以前の彼の姿を想像してみたが、これっぽっちもわからなかった。モーターファン+ツマミ抵抗orツマミスイッチという組み合わせはありがちでありそうだけれども、それ故にかえって何か一つに寄せていくことができない。
得体の知れない使えないもの、誰も必要としていないもの、という点においては、かの機械も私も同じ。そんなことを考え、共感というか同情というか、あるいは「同病相憐れむ」みたような視線をなげかけてみたりもした。しかし彼はきっと機能する機械の一部分として活躍した時期があったはずで、輝いた瞬間など一度たりともなかったnagajisに比べれば、はるかに偉い物体と言えそうである。nagajisこそ「不用品」の名札を下げて歩くべきである。
それにしても「不要品」「不用品」どっちが本来なのだろう。必要としない品と用いない品では微妙にニュアンスが違う気がする。
久しぶりに気骨に沁みる一冊に出会った。どうとかこうとか語るのさえ惜しいくらいの。死ぬまでに何度思い出すかわからない。
どうも日にちの勘定が合わない気がするが作業回数としては確かに4度目なんだ。24時をまたいでここを書くとそういう齟齬が発生する。
今日は(今回は)S11〜16とS25を半分ほど。通算でM35からS25半まで。関より東は戦前戦後に興る工場の数が半端ない。石川県なんかイソライトブームで3倍くらいの数になる。新潟の明治後期の石油業、同じ頃の長野の紡績業みたいなもん。それが定着したりしなかったりして突き合わせが非常に大変だ。旧地名と現行市町村との照合も数の分だけしなければならん。大変だ。
決して信心深いとは言えない私が『あなたのための物語』を読んで、宗教や信仰というものへの態度が少し変わりそうな気がしている。人が、社会が、宗教というものを作り、信仰することによって心の安寧を得ようとすることについて、頭ごなしに否定する気になれなくなっている。むしろ社会に身を置いている限り、積み上げられてきたさまざまな知識なり歴史なりに興味を持っている限り、関わることを避けられないというべきか、もちっと敬意を持たなきゃいけねえなぁというか、そんなことを思う。 別にこれまで全否定してきたつもりはないんだけどな、クリスマスの晩くらい協会に行って、人々が信仰するものを真似て信仰して見るべきなんじゃと思ったりした。それによって救われたいと思うからではない。それが社会のなりたちを理解し他人を理解することにつながりそうな気がするから。
神という絶対存在を仮定すると自分の立ち位置は明確になる。一人では何もできない迷える子羊ということになる。救ってもらいたいとは思わない、だとやっぱり救われないんだろうと思う。どうあがいたって自分一人ではどうにもならない、と諦めた時に信仰は始まるのだろう。動物のようにあがいてもがいて死ぬことを、最後の最後まで心の底から納得したまま死ねるだろうかと思った時に、どうにも判断しきれない自分であることに気付かされ、根っこが揺らぐ。普段から常にそういう覚悟をしとかないと無理だなあ。
別に今から基督教徒になろうってわけじゃない。キリスト教も仏教も、それ以外の種々宗教も、人間がものを考える生き物である限りは自然発生的必然的に生まれるものなんだろうなあと思ったというだけで。それに与しない生き方はそれだけで反社会的存在になるんかも知らんねと。うん、全然まとまらね。
とりあえず今は、わたしを取り巻く様々な人に感謝したい。対人関係の構図の中に否応なくでも仮にでも組み込まれていることに幸せを感じなければならない。だからといって他人になにかをできるかどうかは、まことおぼつかないのだが。
_ しゃちお [あなたのための物語、私も読みましたよ。ご報告まで。]
生欠伸がふがふが出るばかり。
そのせいで進まない。S33まで。ここまで頑張ったらあとは減る一方だから。でもS29の新潟より後を入力していないらしいことに気づく。硅藻土煉瓦がいっちゃん多い頃ちゃうん。
がたくさんあるなあと感じる今日この頃。新しいことを考えつくとか、保身に走るとか、計略を巡らすとか、発言の影響を予測したうえで喋ることとか、思いついた阿呆なことでゲラゲラ笑うとか。笑いの自給自足ができないのは残念だな。まあその前に笑いを欲しなくなっているというのはあるかも知れない。かわりに今は満足を自給自足できているのでよい。おのれのできることやったことしでかしたことに満足をする術を覚えたように見える。望みが小さくなったわけではないようだ。
少なくとも漠然とした苛立ちに脳裏を焦がされ大浴場の反響騒音のごとくなものがワンワン響いて眠れなくなるようなことはなくなった。いい具合いに枯れていっておるのかも知れぬ。このままカサカサに乾いた塵埃のようになってくれることを願うものである。
ああそうそう、何かと戦う気も薄くなった。世に抗っても仕方ないのだという諦めからも少し離れた立ち位置でさくりさくりと観察している。そんなプローブは自分の立ち位置を守るためではなく立つ瀬があることを確かめるためなんである。できることから、ちびちびと。
そろそろ本気で煉瓦の収納法を考えねばならないと思っておるのだがこれといった決定打がない。窓際の机かその下を片付けてもっと壁際にやってしまいたいようにも思うがそもそもそのへんが片付かなくて困っているのだ。書棚に収まり切れなくなって無造作に積んであるだけの本が机の上に溜まっている。要らんものを年末までに片付けるのは不可能だ。今年は31までみっちり詰まっている。30に片付けたところでゴミ出しもできぬ。
いっそのことトランクルームでも借りれば?と助言をいただいて、はじめはそこまでするもんでもないしなー、と思った一方、煉瓦だったら屋外コンテナ保管で十分なのだしそれ以外のあれやらこれやらも突っ込めるのかぁと思い直して、そういえば向かいの駐車場の隣の駐車場になんかコンテナボックスがあったっけと思い出し、つい今しがた確かめに行ったらいつのまにか廃業してしまっていた。天地創生の砌からこのかたずっとこの姿でございというようなコインパーキングがあるだけだった。おかしい。自分の記憶違いではよもやあるまい。痴呆の経始というわけでもないはず。コンテナのひとつはどなたかがバイク置き場に使っていて、日曜日のたびにヴォンヴォン噴かす音で喧しかったのを確かに覚えているもの。
あそこ以外だと最寄りは服部緑地んところになってしまう。運ぶの大変だし、気が向いた時に取りに行くのも面倒で、そのうち向かう気も起きなくなってしまうだろうこと必至だ。そもそもそんなに頻繁に見に行く必要も生じまい。要するにさっさと写真を撮って必要箇所だけ確認してどっかに寄贈してしまうのが手っ取り早くて後腐れもないんじゃなかろうか。
ふと気づけば実印がどっかにいってしまっていた。困ったことだ切ないことだと思い机周りを探してみたけれども出て来ない。むむむ。
そうやって悩んでいるうち、あれ、そういやおれこの実印で何か大事な登録をしたっけか?と思い出した。銀行系は最早実印を要するような事態はないしそもそもあの印を印鑑証明登録したわけでもない。存在価値としては実はそこいらで手に入るシャチハタ印と何ら変わるところがないのだった。なんということだ。
ただし、ながとみのとみが正しく彫られているシャチハタ印を入手するのが中々大変である。100えんショップではまず手に入らない。タワーに詰められたやつを見かけるたびに探してみるが「永富」すらない。「永冨」など望むべくもない。だからせめて「永富」印を探し出してきて宀のチョンを削り落とすとか何とかしなければならぬ。判子の印母に刃物を入れることは忌むべきことと言われておるけれども判子作る時には刃物入れるだろと開き直ってそうするつもりでいる。そういった若干のしこりがあるため実印が見つかるに越したことはないのである。
全力で叩き込む。いまできることはこれくらいしかない。んで各都道府県統計書と商工録系と羊羹を放り込んだら終わり……って先がぜんぜん見えねえぞオイ。伯母峰峠の旧道から北を眺めた時のような果てしない無力感。ひととおり辿っているので概型は把握したつもりになっているけれども襞々の隙間にはまだ幾らも不分明が潜んでいて決して完全把握とは思われない。眺めれば眺めるほど非力を覚える。遠くに見える連峰孤立嶺はたぶん中部以西のどこかの工場なんだろうし近寄って親しく調べているはずなのに、遠くから眺めれば位置関係はおろか彼我の距離さえわからん。不完全でもかまわないから広域把握のできる地図がほしい。だから、工場表を作っている。
S47以降はどうしようか。せめて1980まではフェチっておくか。他と揃えるために。しかしこれ以降はコンクリ工場が激増して肝心の煉瓦工場はその1%にも満たない数になってしまう。必要としないコピーを山のように採ってくることに(しかもこの年末の慌ただしい時期に)些かの吝かを覚える。
過日街中を歩いていて、目につく注意看板にささいな違和感を感じ、それが意外と地域性の現れだったりしたのかも知れないと、今更のように思い出している。例えばゴミを捨てないでとか、町を美しくしましょう的な、よくある注意喚起の看板の文言に違和を覚えたのである。写真を撮らなかったので記憶頼りになってしまうが、「思い出」を「想い出」と書いたりするような、言葉尻をちょいと捻ってみたような、姑息な美化とでもいうべき装飾が施された文章をそこかしこで見た気がする。いやそこは普通に「思」でいいじゃんというようなところを妙にこじらせてある、ような感じ。1つ2つならそうでもないがそればかりなせいでかえって煩く感じられてしまう。書いた当の本人は気の利いた一言と思ってはることだろうが、そういう気を利かせた言葉が氾濫していて逆効果に思えたことだった。
都会故に情報が溢れて掛け流しの如くになっているものだからそんななかで目を引くためにそういう姑息をせねばならず。それが常態化しているのかも知れぬと思った。そこへ行くと大阪は単純明快でいい。
別件でどうしても実印が必要となる事態に陥ってしまい、焦る頭で記憶をまさぐってみると、確か昨年の今頃に年末調整の提出物に押すため持ち出した気がする、と思い至った。ならばあのコートの中だろうかと引っ張り出してみれば備後であった。この件はなんというオチもなく解決。しかしそれに引き続くあれやこれやで年末年始をモヤモヤとして過ごさねばらならないのがつらい。せめて部屋くらいは片付けてスッキリと年を越したいものである。
30は図書館に行く気に傾いている。年末年始は寒波らしいから家で過ごすべく資料を溜め込みにいくのである。
起きた直後は夢を見たような気もしなかったのだが、働いているうちに不意に内容を思い出した。台風で吹っ飛んでビニールシート被せただけ・ままになっている天井をようやく修理してくれるという夢。青いシート越しに職人さんがワサワサやっているのを下から見上げているシーンであった。そうして現実には修理される気配もない。年を越すだろうという予想は的中する可能性大。
東京府統計書は結構妙な作りになっている。M16・M17は所在町村までちゃんと書いてくれているのにその後数年間住所記載がなくなってしまう。そうしてM16は固有名詞がなく煉化工場とあるだけ。M17の固有名詞+住所の工場をM16掲載工場に名寄せするのが困難。豊島村?のものは資本金額で突き合わせられたがもう一方の村のはわからずじまいだ。その後すぐに消えてしまうが、どうも廃業ではなくサブマリンになっているだけのようで、M22の日本帝国興業要覧の煉化生産者名一覧に引っかかってきたりM35工場通覧に引っかかったりしてくる。データ点数が多い/古い割にびしっとキマらないのはとてももやもやする。
日本帝国興業要覧は結構適当な作りで、名寄せすればするほど信頼性が落ちていく。特に東京府以外の工場。南岩手郡には狐森村が存在しないし松戸駅は千葉県だし三戸郡は二戸郡だし。東北諸県に工場が散っているのは日本鉄道の建設と関係があったりするんだろうかと思ったりしたが青森はちょっと早すぎるかも知れぬ。
それよりも監獄内製造所がいくつも出てくるのが意外なような当然のようなで興味深い。水戸上市の茨城監獄、青森の青森監獄、岩手盛岡監獄、と矢継ぎ早に並んでいる。業として製造をやっていたのは他にも小菅や堺や膳所や堀江とか。京都も蹴上の疏水事務所工場を買い取って囚人煉瓦を作ろうとした痕跡がある。小菅巣鴨の前身・小石川石川島も「石監」の印を使って煉瓦を作っていた。監獄で煉瓦を作るのは朝飯に卵かけご飯を喰うくらいの茶飯事だったようだ。
煉瓦製造は単純作業の繰り返しだし結構力を要したし刃物類を使うことがなかったので囚人就労にはうってつけだったのだろう。逆に民間企業の煉瓦製造がどれだけ大変なものだったかが囚人多用のことから推し量られるかも知れぬ。
_ nagajis [2018.11.2の記事は入力中のテキストを保存したもので、まだまだ 未完成な状態です……。もう少しお待ちいただけましたらExcelで整理したものを公開できると思います。 最終的には(中部以西の工..]
_ nagajis [私も、煉瓦工場にかぎらず、過去に存在した工場のデータベースがあると、近代史や技術史の研究に役立つのになあと思っています。TPPがらみで著作権保護期間が延長になったため、国立国会図書館デジタルコレク..]
_ スマホライターM [いろいろとありがとうございます。 このブログの隅々まで目が行き届かず、追々拝見させて頂きます。 そこで、サイトのデータを利用させて頂くのをご了解頂けないでしょうか? 実は、1軒発見というか、昨日..]
といっても拾えたのは北海道・宮城・福島・栃木・神奈川・ 富山・石川くらい。埼玉や静岡はあってほしかったんだけどな。工場の欄がそもそもないんよ。
あれ、新潟のもあった気がするんだが、気のせいかしら。ある時期から石油採掘が大パンデミックを起こすその姿は中々の見ものだったのは覚えている。そのついでに少々拾わなかったっけか。石油採掘流行の姿はM30頃に紡績業が大爆発する長野県とよく似ている。こういうところからも各都道府県の産業傾向が知られて面白い。
栃木県の統計書は途中から各郡の発行する郡統計書だけになってしまう。行政的狙いとしてはそれが正統派なんだと思うけれど明治中期にそれをやって数年は続いているのはえらいと思った。県が編纂して各郡のを発行してただけかもしらんけどな。んで結局M30台に県統計書が復活するが工場は大工場だけになってしまう。
29で年内営業終了とな。うーむ。三が日は完全に持て余すなぁ。
21、29日の日記にリプライしました。よろしければご覧ください。
これは煉瓦積み職人や建築業者の組合と思われるもの。何かの役に立たんかなあと思って拾っておいたのが功を奏した。いや奏さないか、製造とはあまり関係がない。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806573/265
東京煉化石建築職業組合
京橋区北紺屋町3番地
M26.2.
15区6郡
641
やっぱそうじゃん、テキスト拾ってるじゃん。ばーかばーか>nagajis。速攻でExcelに放り込む。
長野県も意外と古い工場が存在する。ただ初期の工場は年単位で明滅するしそのくせ20数戸の製造業者がいたらしい。大阪府下に素地も合わせて200件以上の製造所があった如くな状況。名前があがってくるような大きな工場だけを拾っていては全貌把握はできそうにないけれども現状それしかできないのが何とももどかしい。まーこれが完成形とは露も思っちゃいないけどさ。
潮工場を甕工場と読み違えていたかと思ったら最後の最後で継承が確認できた。そこだけは褒めちゃる。
後述のSDD交換、いやそれはStopDrunkDrivingだろ、SSD交換、しっかしなんでHDDはHDDなのにSSDはSDDじゃないんだろね、という駄文を挟んでしつつ大日本商工録のテキストを見てみたら各都府県のページヘのリンクだけだった。あーそっかテキスト起こしまだだったんだ、とわかって暇潰しがてら入力をする。大日本商工録は基本的に会社の騒乱もとい総覧だから工場所在地と乖離している場合がある。例えば日本煉瓦製造は常に東京府の項目に出てきて麹町1−ナンボと記される。実際は埼玉に工場があって上敷免と潮止の2工場体制だったが埼玉県欄にそれは出て来ない。工場と会社がくっついている形態であれば問題ないが日煉クラスの大工場になると本社が都会に出張っていたりするわけで、通覧データを鵜呑みにすることができぬ。このへんの見極めが大変。
「できる」と「できない」の間に「できるけどしんどい」というのがあると聞いた。大分県人はそこが「よだきい」なのだと思う。してもいいけどせれれん、というステータスが存在する故にその易きに流れがちなのだ。
まあでも、「できるけどしんどい」なんて、みんなあると思うんだ。長距離走はしんどいけれど繰り返しやって経験を重ねれたればこそ走れるようになるわけで。しんどいからといってやらなかったらいつまでも歩行しかできない。足の怪我もそうか、痛みを堪えて歩き回って剰え煉瓦3、4個背負って帰ったりしたしんどい時期があったから今こうして普通に歩けているのかも知れぬ。
近くの産廃業者の軒先にこれが飾られてある。通りかかるたびに奇妙なポテンシャルを覚える。下の人形は、確か兵庫国体のイメージキャラクター※だったはずなのだが、その役目を終えた今、こんな環境下に置かれている一体があるということを、できるだけ多くの人に伝えたい気がする。
鳥籠の中に入れられていないところに最大の魅力を感じる。中ではなく下に置かれているのが良い。鳥籠の中に入れられていたとしたらそれはただの悪虐で、しかし入れようと思えば丁度入りそうなサイズであるところに妙なもやもやを覚える(上半身はすっぽり入りそうなのだが、前後に開いた足は籠サイズをオーバーしているようにも見える。実際に入れて確かめたくなるようなサイズ感、しかしどう頑張ってもそれが不可能な位置に彼らはセットされている)。
この構図が何かを風刺しているような気もするし、単に連想ゲーム的組み合わせで二つの産業廃棄物が出会っただけなのかも知れない。少なくともレモンとコウモリ傘よりは和合している。
※ずっと兵庫国体のイメージキャラクターだと思っていたのだが、それは「はばタン」だ。名前も「トリッピー」だとばかり思っていた。それはとらじろうの仲間である。正しくはなみはや国体のイメージキャラクター「モッピー」だったもの。リストラ寸前で救助され、大人の事情で「もずやん」に改名され、今でも現役で働いている苦労人。否、苦労鳥。
図書館が休みなため予てからの懸案だったSSD化にとりかかることにした。ポンバシで買ってきて持ち帰って一挙に三台入れ替える計画。んじゃあついでに上神崎川橋梁の最期を見ておくか、ということでそのようにした。
写真は省略。もうすでに撤去済みかと思いきや、大阪市側下流側橋脚の笠石を撤去しかけたところで終わっていたーーー橋脚躯体からズレた格好で固定されていたアレだーーー。確認したかった部分がちょうど壊されていたけれども確か前回撮ったやつのなかにあるはずなのでのーぷろぶれむだと思う。
あ、そうか、耳が二つということは最初から増築を考えてあったのかも知れぬ。
今年も無事に終わりそう。に見せかけて実は様々なハプニングを経ている。だし巻き卵に隠し味的に入れるつもりであった醤油を何を思ったかドバドバドバと入れてしまい真っ黒な卵焼きでしかない物体になってしまったり詰め終わったお節重をひっくり返してしまったり適当に作った蕎麦汁が薄過ぎたりガス代払ってねさもないとガス止めるよの通知が届いたり。かくも慌ただしくまた慌ただしいことに対して見事にバタバタを演じ切った年の瀬はないのではないか、と回顧しながら書いている。
大晦日になると何故か筑前煮が食べたくなる。そんな風習があった実家だったわけでもないのに。今年は量を控えめにしたのでくさらすことなく片付けられるだろう。それよりも調子こいてたくさん作った揚げ物類のほうが危険。
_ しゃちお [兜じゃないでしょうね?]
_ nagajis [あ、その発想はなかったですなあ…。頭に留めておきます。]