nagajisの日不定記。
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2006年最初の録.形式ばったことは苦手なので,素直に「今年もよろしくお願い致します」.
なぜ今ごろかって? 会社の仕事初めが今日(4日)だったからというだけであります(w
挨拶よりも中身中身.推敲せずに書き殴ってみる.
しぶとく,しつこく,行けるところまでやっていきます.具体的な数値目標はあえて挙げないほうが楽しめるかもね.
私個人の事業予測?では,まず,今年の春に京都の物件を調査してみたく.ORJ主催で.例によってヤマダさんから提供いただいていたネタですが,歴史的なトコロよりも地理地学的に面白そうなのですな.天候の良くなる3月頃までにアポイントをとって,うまく行きそうだったらフォーラムで参加募集します.
もう一つ,これもヤマダさん経由掘り下げネタですが,石川県の阿手隧道に当たってみたい.ちょっと遠いのでGW頃か.阿手隧道って何やねん!という話はまた後ほど.ただしここも,県の教育委員会の許可を得ないと中に入れそうにないので,それをクリアすることが先決.可能なのかどうかも不明なのでこれ以上はにんともかんとも.
で,夏場はヨッキ氏の活躍に期待,と(ヲイ.オフシーズンはこちらで頑張らないとな.冬とはいえ結構動き回れるし.
ORJの方向性については,早急に「任意団体」化を.あくまでも形なのだけど,ちゃんと段階を踏まないと.すでに規約は作ってあるので,OKが出たら告知します.ああ,それから,理念というか「ORJとは何か」のコンセプト・ノート,アップしとかなきゃ.
鐘ヶ坂友の会の活動が始まったら,これに関する情報はORJにて紹介していきます(この活動は私個人が参加するというよりORJを代表して参加,みたいなイメージを持ってますがどうだろう).春ごろと言ってはったから,まだ先の話になるだろうけど.小さなコトからコツコツといきましょう.
そして自分自身の目標.
1.無理をしない.苦労しているとこを見られるのは見苦しいし,無言の圧力みたいでイカンからね.パソコンは一日3時間まで(w.
2.この部録"をもっと書くこと.あきら氏の爪の垢でも貰おう.
3.旧道倶樂部はもっと疎かになる予定.真面目な話,探索できる時間が少なくなったうえにORJのネタが不安定だから,探索結果はまずORJへ出すことになると思う.その後にサイトで恒久公開という形か.多分,次号からORJに活動報告書が載ることになります.
4.ネタがなくなったら大阪の橋めぐりでもしようかしらん.
今号で告知したバックナンバーCDの製作もかからないといけない.バックナンバーを売るというアイデアを出したのはあきら氏で,最初は「既に読んだpdfを買ってくれるだろーか?」と思ったりしたものだが,やり様によってはなかなか面白いことになりそうなのだ.
例えば既に発行した号の不満な点を改善して,より良い(納得のいく)形にして再発行すること.「廃道あるき」のレイアウトはいつまでも決め手がなくて悩んでいたが(これは純粋にnagajisの問題),今号のA4横/縦1段という形式がいちばんしっくり来ることがわかったので,今までの号の記事をすべてA4横に変えるつもりでいる.他の記事についても手直ししたいところが多々あり.時間の都合で地形図の手書きができなかったところも差し替えておきたい.あと「まるで作りかけ」な創刊号の表紙も:-).そんなこんなでもうちょっと完成度を高くすることと,各号の記事どうしをリンクでつないで,記事の通し読みができるようにしたいというのも以前からの懸案だった.
せっかく作るんならレーベルもちゃんとしたのを作りたい.するとCD-Rで焼いて印刷して,なんてやってられないから,業者に発注してしまえ.という訳で製作枚数1000枚が目標に.流れはそんな感じ.
nagajisは気弱なので最初にお断りしておくが,これで大儲けしようという訳ではないのです.一種の「イベント」として楽しんで,今まで寄稿して下さった方々へ還元&今後の事業の足しにできればいいなと思う.
バックナンバーCDの特製コンテンツ用に原稿を貰った.ヨイショする訳ではないけど,とてもいい.自分には書けないタイプなんだなぁこれが.ヨッキ氏は情景描写がうまく,あきら氏は心理描写がうまく.おれには何のとりえもないぞぃ(汗
その原稿のレイアウトをBeOS上のMacエミュ上で作ってみた.無論,正式な作業は別Macを立ち上げてやるんだが,読んだときの印象が強かったので忘れないうちにーと思ったのだった.でもやっぱり最後は中途半端な終わり方.うんー.おとなしく純Macでやれば良かった.
これだけでは何なので,例の土木アーカイブスから.「工事画報」の個々の記事も面白いが,巻末近くに載っている「工事タイムス」も結構楽しめる.どこそこの橋が竣工とか◎◎ビルヂング着工といった話題に紛れて,土木に関する三面記事みたいなものが混じっているのだ.気になったのを一つ.
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/02-08/02-08-0346.pdf
■東北大學失火 六月二十四日工學部機械學科,電氣學科を全燒,損害1,300,000圓.八木博士の殺人光線に關する研究,宮城博士の水力電氣實驗等全然烏有に歸したのは實に惜しい.
「殺人光線って何やねん!?」と思って調べてみた.やはり八木博士というのは八木アンテナを発明したあの八木博士であって,電磁波研究に関するモノを指している模様.しかも博士自身が「今の技術では殺人光線など作れない」と明言していたようだ(理化学研究所刊行物より).(変な意味で)いかにも当時らしい話題であり書き方だなあと思った次第.ちなみにこのpdfには丹那工事で出てきた化石の写真もあり.
はにまるさま,ひっぴーさま,お待たせしました.協賛に加えさせていただきましたm(_ _°)m.ナキイルカさまのURL変更も反映しております.遅くなって申し訳ありませぬ.更新洩れのある方はORJ_readers@yahoogroups.jpにご一報いただけると助かります.アクセスログのチェックは後手後手になりがち・・・.
橋についてちゃんと知っとかないと,ということで,三が日に注文した「日本の橋〜鉄の橋百年のあゆみ〜」が届いた.朱線入りだが読めさえすればいいタチなので構わない(そのほうが安いしね).明治・大正・昭和の橋のことだけでなく,今は撤去されてしまった橋の写真や技術史的なところも抑えられててとても勉強になった.イギリストラスとアメリカトラスの違いとか.橋にまつわる短歌がさりげなく添えられているのも趣深くてよい.
夏の夜のあけ残りけり吾妻橋 子規
橋が面白いと感じるところは,ふだん利用している橋が実は戦前のものであったり,当時の最先端な施工であったりするところかなと思う.例えばJRで淀川を渡って大阪市街に通勤している人は多いだろうけど,明治時代の,それも現存最古級の橋を毎日渡っているとは気付かないんじゃないかな.日常のすぐそばにある百年前.そんなキャッチが似合いそう.
そして(素人目からすると)複雑な分類も興味を惹かれる.ただの橋じゃん?と思っていたら大間違いで,トラスにしても組み方によってワーレントラスやプラットトラスなどに大別されて,まあここまでは解るのだが,さらに並行弦分格のボルチモア型とか曲弦分格のペンシルベニア型とか跳ね出し桁付=稀だとか何やかやとあって.なんとなく凄そうなのは解るのだけどどこの部材のどの構造を指しているのかいまだによく解らない.そういうのを知っていれば,出かけた時に発見があっていいのになと思う.但し橋は講究され尽くしている観があるので,道路隧道のような新発見はできそうにないな.
次回の「廃道を読む」はコンクリート隧道.素材別に隧道を読み解くシリーズはこれで一通り終わることになるが,今まで以上に無知をさらけ出すことになりそう.まずもってコンクリートという素材をよく知らない.今までコンクリートの原料が何であるかなど気にも止めてなかったし,コンクリートとモルタルとセメントと正しく言い分けられる自信すらない.いま現在進行中?の素材でもあるから,自分より詳しい方,というより実際にそれを使って仕事をしてはる方も大勢いる筈で,そんな中で「大正期のコンクリートは云々…」と知ったような言い方をするのは今まで以上におこがましいことだ.…ってなんだかこの書き方は原稿そのものだな.
「廃道を読む」は,読んでくれた方が廃道歩きをする時に参考になればと思って書いているのはもちろんだけど,自分自身の考えなり経験なりをまとめてみたくて書いているところが,むしろ大きい.どんなことでも書いてみないと考えがまとまらないし,すぐに忘れてしまう性質だから───隧道の竣工年など,報告書に書いたのと違う年を平気で言ったりする───.そして,今までの探索を振り返ってみることで,意外な共通点を見つけたり,全く逆に「こんなに違うものなのか」と思わされることもある.報告書にしなかった物件に新たな物差しを当てて,潜んでいる価値を引っ張り出すこともできるかも知れない.
何かしらのsummaryを書き残しておきたい.かといって自分のためだけのもの,例えば授業のノートのようなものを書くほどマメではない.そこでORJですよ,という訳だ.ここではいろんな方が見ているというプレッシャーを受けつつ書くことになる.ちっとはまともなことを書かねばならない.どういう流れにしたら解りやすいか,どんな図を見せてどう説明すれば伝わるか.そんなことを考えながら書いているうちに,自然と自分自身のまとめになっている.探索とはほとんど無関係に近い「隧道掘削法」に触れているのも,普段そこまで考えないからこそ,この機会によく知っておきたいと思うからだ.今回予定しているコンクリートの話もそうだが,敢えてそういう難しい所に突っ込んでみることが「ORJで文章修行」と言っていることの真意なり.
実際,自分でも出来が悪かった=今イチ理解できてないなと思った前号の石隧道編はアンケートの評価も低かった.他人様の評価は正直だと思う.果して今号はどうだろう?自分は煉瓦のことをしっかり把握できているだろうか?
昨年暮れに「鉄道と煉瓦─その歴史とデザインー」(鹿島出版会景観叢書)という本を買った.全国各地の鉄道の煉瓦構造物を調査して博士号を取った小野田滋氏の著書である.例の原稿を上げた後にこういう本が出ていることを知ったものだから参考文献にあげられていないが,元論文に一番近くて入手しやすい本ではなかろうかと思う.内容や流れは「技術教室」の連載と同じだが,より徹底した情報であることは言うまでもなし.煉瓦や鉄道に興味がある方ならぜひともご一読をおすすめしたい.
ぼつぼつと書き始める.6割くらいか.笹子に行ったことがないのが悔やまれるが、関西方面ばかりでも結構な種類のC隧道があることが有りがたい.写真がなくても、本邦道路隧道輯覽の図が使えるしな.問題は「意匠」をどうまとめるか.古典主義とかゴシックとかの建築様式まで解説するのか?の前に解説できるのか?>おれ
工事画報大正15年4月号・工事タイムスより.
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/02-04/02-04-0277.pdf
■東京驛前の新設備 東京鐵道局では長途の旅客の疲れをねぎらふべき施設を考慮中であつたが、驛前廣場に地下室を設けることとし、過般岡田美術學校教授に依頼した設計も出來上り、この程警視廳の許可も得たので、いよいよ來月始めから四箇月の豫定で工事にとりかかることになつた、(中略)竣工の曉にはパリーの粹を集めたフランス最新式の男女調髮所數室の外に長途旅客の疲れを癒やすための大浴場をも作ることになつてゐる、
ほうほう、さすがは帝都のせんとらるすていしょん.それ位のものがあって然るべきだろう.にしても大浴場とは意外だな.大阪なら梅地下に銭湯があるようなものか.などと妙に感心してしまったのだが、最後はこう締めくくられていた.
因にこの浴場は男子專用との事である.
・・・わざわざ因んだ編集者の意図や如何.
という感じで妙に印象に残っていた大浴場、昭和3年1月号に続報が出ていた.4月より営業開始で一度に60人が入浴可能とか.
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/04-01/04-01-0696.pdf
「工事美談號」と銘打たれた昭和3年1月号のなかで,ちょっと身につまされる話題を見つけた.ある建築家(設計家)の苦悩の独白だ.
英國の言葉にアーニングといふのと、プロフェッションといふ言葉がある。アーニングといふのは簡單に言ふと『只金を得るために仕事をする』。プロフェッションといふのは『仕事をやることの第一義は、生きる上に、何かよい仕事をして見たいといふことであつて、そこには金錢以外の慾求がある』といふ意味である。唯物史觀と唯心史觀との對立にも似てゐる。現在日本でもよく言はれてゐる。
技術家といふものはプロフェッショナルな心情を多分に持つてゐる。何かよいものを造らう、といふ心を持つてゐる。所謂藝術的良心とかいふものをー。ところが世の中の人はさうは思はぬ、『金がまうかりませう』と、これだ。http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/04-01/04-01-0687.pdf
全く重なるわけではないけれども,似たような気持でORJを作ってきた.今は直接incomeに繋がらなくとも,金銭ではない何かを得たい,良いものを作りたいという一心でORJを作り続けてきた.
だが,現実問題として,今を生きるためのincomeがなければ生きていけない.そしてORJ製作にかける時間,リアルでの仕事にかける時間.時間は限られている.いきおい,今やっている仕事を「食う手立て」と割り切って,余力をORJに注ぐことになる.
ちょっと言い訳じみているが,あくまでも余力しか注げないから,ORJはいつまで経っても中途半端だ.ORJのために時間を割けたら.そのために,ORJから収入を得て『earning』のくびきから離れられたら,と何度思ったことだろう.しかしそれが実現したとしても,周囲から見れば「金目当て」と見られるのがオチなのかも知れない.
「好きなことを仕事にする」.誰もがそうありたいと願うことに違いない.だが,それが実現できている人はどれくらいいるんだろう.なぜそれが,実現しないのだろう.
そのくせ、続くのだな。工事画報大正15年10月号・工事タイムスより。
■勞働大尉 神奈川縣戸塚町在の豫備騎兵大尉平野亨氏(三十七歳)は目下大船驛の鐵道工事に自由勞働者となつて仲間から尊敬をうけてをる。
殊勝なひともいたものだと思ったら、続きがあって、ちと解せない。
■平野亨氏 は曰く他の勞働者には階級意識があり心のつながりがあるが土工にはそれがなく勞働と賭博が生活の全てである、それで私は生活の向上をはかり度いとの心から自ら鶴嘴を握る土工となつた。
階級意識など要らない,シガラミに煩わされ度くない,という思いには,まあ納得できないこともない.でも,「労働と賭博が全て」の仕事に「生活の向上」を見出せるものなのだろうか?
とはいえ,この人は「やりたいことをやった」ひとである.あーだこーだと理屈をこねて,earningにしがみついてる誰かさん(nagajisのことだよっ)とは大違いである.要は実行する勇気なり信念なりが足りないのだ.平野氏,さぞかし満足したことだろう.
そういえばヨッキ氏と重なるところがないでもないな>平野氏
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/02-10/02-10-0382.pdf
_ nagajis [×02_index.html → ◯02_index.pdf ×09_kamitaguchi.html →(ry 一人ボケ突っ込みszo]
あきら氏も以前言っていたように思うが,仕事中はいろいろとアイデアが出てきて「帰ったらこれやろう!」と思うのだけど,いざ帰ってみると疲労してたり別のことをやってしまったりしてしまって,昼間の「やろう!」がどこかへ行ってしまう.今日のように終電を乗り過ごしてしまったりすると特に.
そういう日が何日か続くと,本当に何もする気が起こらなくなってしまって,進行上も精神衛生上もヨロシクない.せめて部録"だけでも続けるようにしよう.
以前から暇を見つけて作っていたpdfがある.写真と簡単な文章を組み合わせて「画文集」みたようなものが作れないかと思っていたもの.作業が停滞する時はこれを書いたり消したりして気分転換していたが,いつまでも完成しそうにないし,完成するとも思えない.んなもんに時間をかけるなと怒られそうなので,いい加減でupする.内容に深い意味はない.
deflagmentation
もまたこういう時の気分転換になる.工事画報昭和5年6月号より.
理想的な馬のホテル
馬のホテルは大阪に於いても目下着工中であるが、神戸市では一足先に竣工することになつた。即ち同ホテルは神戸市磯上通一丁目に建設されたものであつて近く營業を開始することとなつた因みに右ホテルは鐵筋コンクリート造二階立で、延坪四百坪、收容馬は全部で百五十二頭を容れる事が出來る筈で、室内設備は馬ホテルには贅澤過ぎる程完備し換氣採光馬糞の搬出、尿の淨化裝置等極めて住みよく且衞生的に設備が完備し全く人が羨む程の堂々たるものである。
繁華な市街に馬のためのホテルが,しかも非常に立派(らしい)ものが作られる辺りの時代感覚が何とも理解し難し.その一方でこのタイムスにはm当たりの工費では戦前最高という愛宕山隧道が開通間近であることを伝える報も載っている.自分が認識している「昔」と「今」の境目がこのへんにありそうな気がする.愛宕山隧道は今回の「廃道を読む」でも言及したい.
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/06-06/06-06-1260.pdf
以上を書き終えて,次のねた探しをしているうちに,ぜひとも引用したい一文を見つけた.画報昭和七年六月号・「編輯だより」より.「日本の廃道」編集部の思いもまさにこの通りだ.
今年もこれで上半期を終りました。思ふことのならぬ間に,歳月だけはいささかの遲滯もなく,驚く可き精確さを以て,ぐんぐん過ぎ去つてしまゐます。
工事畫報が社會的に與えられてゐる使命を缺けなく完きものたらしめたいと努めて來た私どもではあるが,この半歳には大いに嘆ぜねばならぬものあるを覺えます。つねに緊張した態度で事に當り,爲さねばならぬだけを凡てしたつもりでゐても、結果は何時も及ばないこと甚だしいのです。しかしこれがまた、人の世のさだめなのであらふ、缺けなく完きものは、神による外望むべくもないことなのですから。
× けれども私どもは、諦めたり、悲觀したりなどしない。ただ力一ぱいの前進があるだけです。それは私どもに與えられた働きの分野が限りないからです。凡ての人間、いや心ある一切の存在に對して、これを見よ! と工事畫報をかざすことの出來る日まで、努めます。それを見て、誰一人不滿がなく、心からこれを受け容れることが出來るやうになつたら、私どもの希望は成就されるのです。それまでは倦まず努めるばかりです。
希くは私どもの意圖を諒とされ、今後一層の御支援を賜はらんことを。
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/08-06/08-06-1657.pdf
「工事画報」は奇しくも毎月1日発行で,ORJと同じだ! という発見を書こうと思ったら,実は最初は15日発行だったようだ.9号目の大正14年10月号が″飛んで″翌月の発行になり,ここから1日発行になったようである(そのためリストにヌケがある).この時に限らず,画報は慢性的に遅れがちだったようだ。
四月號も編輯部としては大に努力しましたが,校正や印刷の嚴密を期する爲めに發行が十日も遲れました。五月號は必ず豫定の十五日に出すつもりです。
(大正14年5月號・編輯部だより)
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/01-04/01-04-0093.pdf
しまいには激しく開き直ってしまう.今では到底考えられない,というかやりたくてもやれるもんではない.この辺り,大正昭和のおおらかさというか何というか.発行日は同じでもこういう失態は真似しないぞ.真似したくないぞ.多分しないぞ...
夜中の12時.どう言い訳しようか悩んでいる.
つまりは先日の編集会議での発言を取り違えてあらぬ方向にねじ曲げて解釈してしまった.
キテレツな脳味噌のnagajisらしいといえばnagajisらしく「nagajisは馬鹿です」と開き直るのは簡単だがそんなの言い訳にならないぞ.また蒸し返すのも気まずいし.
かといって冗談で逃げるのも顰蹙か.例えばどうだろう,18日はクレタ人の暦で4月1日だったということにしたら,怒る人続出なのではないか.知合いのクレタ人がそう言ってたし.何しろ相手はクレタ人だからな.チャンスをクレタ.駄目だろうな.
ぶん殴られるかも知れないな.もう少しまともな言い訳はないのか.何もなかったことにして昨日見た夢の話でもしようか.
大きなスズメバチの巣の近くに落とした拳銃を拾いに,スロースの運転する車で蜂の大群に突っ込んだ夢を見てうなされた昨晩.妙に覚えている.それで煙に巻くのはどうだ.
やたらと柔いフロントガラスにめり込んでくるのをパンチしたり(あの感触は変だった.スロースと二人して笑ってたな),そのうちフェンダーから配管を伝って中に入ってきて大慌てしたり.結局車はだめなんだと.
目が覚めたら汗だくだった.細部ばかりやたらとリアルだったしな.しかしそれが言い訳になるはずなどない.そもそも言い訳の度合とリアルさ奇抜さは結び付かぬ.没.
Rubyで書かれたこのtDiaryがいけないのです,などと無関係な所に矛先を持って行くとか.別方面から批判されそうだな.この案も没.
なんだかなあ...ますます駄目になってくな,考え方が.
んー.もう1時を回ってしまった.
徹底的に平謝りするのはどうだろう. sz° ゴメン szo ナサイ sz° ゴメン szo ナサイ 心を入れ換えれて四つ足になります.
かえって怒らせるかも知れない.それじゃ熊体だ.
いちばん良いのは正直に,事の一部始終を書いた「謝罪文」を書いて掲げることだが.そんな単純な話で済ませられるものかとも思う.確かにそれで誠意は見せられる.だがその誠意は,さんざ間違いを繰り返してきたnagajisの誠意なんてたかが知れているぞ.「またか!」で呆れられるのがオチだ.nagajis個人の評価が下がろうと少しも構わないけれども,ORJの面子に関わる.
ちぇ.つくづく,詰まらない失敗をしたものだ.
やっぱり,向かないんだよ,こういうの.おれ.素直に謝罪せよ謝罪.どうせこれ以上失うものなんてないんだから.・・・これも開き直りだな,見苦しい.
つまりは最初の「nagajisは愚かである」という大前提で納得してもらうしかない訳か.堂々巡りのようだが仕方あるまい.
たかが勘違い,されど勘違い.そうして無駄に悩みながら時間だけが過ぎていく.
ヨッキ氏,本当にすまぬ.
由良洞書き上げる.版組みーーーというほど大袈裟ではないがーーーにかかってみたが,やはり写真の配置に苦労する.もう少し考えないと.原稿を書く段階でくさび形と気付く.阿呆也.
_ あきら@大阪 [誉めるという事のその裏に潜むうわ何をえdryふじこlp@ >アーカイブス 私では探し当てれない様なモノ拾ってきますね。 つうか面白い。]