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旧道倶樂部録"

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1943-03-01 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月一日 月 雨後曇

雨の為一層〔朱訂正〕暑し。国漢甲にて一時間紋章に付き学び、その知識を深めると共に之が如何に国家に関係し歴史を物語るかを感じぬ。誕生日会なりき。午後は体格機能力検査にして相当進歩したり。
 懸垂 三十五回
 百※早駈 十四秒二
 運搬(三十瓩〔朱訂正〕五十米 九秒一
西日本新聞新聞記者来りて熊幼の状況を写し行きたり。一般に元気にて気力に満ちたる一日なりき。三年はあと十三日かと悲観する方多し。


1943-03-02 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月二日 火 曇

如何に暖くなるも冬と一つも変らざるに、遥拝に行く際台上の梅の開き咲きたるを見て我は此に春なりと新に頭に閃きたり。春は一年の初にして花咲き乱れ鳥は青空を悠々と飛び人間は新興の意気に燃ゆる時期なり。此の時に於て学ぶは誠に予の望み喜となす所なり。
昨一日昼クループ性肺炎にて医大に入院された三年一訓の坂本宏男さんは昨夜二十時十分息を引き取られたり。依って今日十五時より校庭に於て告別式行われ、坂本さんの為三年応接室に於て各訓より代表の御通夜行わる。
随意運動は近日暖くなり益〃猛烈となり可なり。今日は稍〃剛健ならざる点あり特に朝につゝしむべし。時間観念旺盛ならず。頗る良好なり。


1943-03-03 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月三日 水 晴

八時坂本さんを校門に見送りぬ。修身は校長殿訓話なりき。修身正手簿へ記す。午後体格機能力検査なりき。
 走幅跳 四米九十糎
 手榴弾塔敵 四十五・五米
 二千米 七分三十秒
総計四十三点にして相当に進歩したり。
十七時より末藤中将閣下(本校第十期生)の訓話あり。
本校の伝統的精神につき
 一、熱誠なること
 二、戦に強い
  武士道とは死に透徹することにして、死を恐れないから勇敢になる。自由思想を捨てよ。
 三、情誼に厚く、恩義に感ず
  蹶起の小勇にはやる勿れ。
 四、勉強はやれ、然し目的をあやまらざる如く所謂試験の為の点取り虫になる勿れ。将来の大成を目的に勉強すべし。されば欲も出ず将校となりて進歩せん。点取りなれば其の時は出来ても後の進歩はなし。
予は今日校長殿・末藤閣下の訓話により、其の目的を知り安心して勉強し得る気分になりたり。頗る良好なり。


1943-03-04 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月四日 木 晴

三角の時間は測量をなす。午後は剣術・柔道にして柔道の際は五高の部の生徒十余名来りて我等に稽古をつく。特にその寝技の勝れるを知る。又五高生徒同志の猛練習を見て柔道も元気に或程度に乱暴にならざるべからざるを感じぬ。随運も柔道をなす。今日は勉強気分出ずして残念なり。頗る良好なり。


1943-03-05 玄米食へ [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月五日 金 曇雨

化学は写真機を学ぶ。書道は今日の一時間を以て幼年学校の授業を終う。午後は上通りの熊本日日新聞社見学。之は宣伝上如何に大切なるかを知れり。即ち其の確実にして迅速なることなり。又其の働く人々の中に大東亜戦争に捷つ為国家に尽くすという精神が一つヽ表われていたり。帰りは雨の中を交換駈歩なりき。熊本放送局より、三月十日の子供の時間の為に熊幼一日の生活状況を録音に取りに来たり。昨日陸幼採用予定者発表あり。昼食は玄米にして初は甘し。然し終に力すら生ず。今の所嫌いには非ず。四月より早速玄米になると。頗る良好なり。


1943-03-06 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月六日 土 晴

光陰は矢の如し、二年もあと九日となれり。予今最も楽し。代数の代りに地理ありて支那を終う〔わる〕。午後は作業にて台上に於て二手に分れ各〃電話機に於て話をなす。明治四十年製作の事故十分には聞こえざりき。久方振りに剣術をなす。面の斬撃不十分なるを知る。練習すべきなり。土曜の為か、やゝ気力に欠く。即ち消極的なりき。良好なり。


1943-03-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月七日 日 晴

臨時外出し大石さん・山根・平川・児玉・藤江との六人にて武蔵塚に飯盒炊事に行く。極めて為になりたり。予惟うに、四十五期三学班が崇敬する方は大石さんなり。何処となく特に我々を思い給う故なり〔一文朱傍線、欄外朱「然り言葉や形ばかりにては人は動かず」〕。斯様に下級者に対してやさしく親切に真に兄を思わせる三年生となる〔らざる〕べからざる事を感じたり。徒に我意を張り又其に反して自由主義的行動は之を避けざるべからず。十三時火災呼集あり。町田週番司令殿注意に曰く、火事は最初の五分間にて遊兵になること勿れ。と。先ず人員少き時は全員をして火元に馳する可きなり。頗る良好なり。


1943-03-08 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月八日 月 晴

七時三十分より 大詔奉戴日の儀式あり。服装検査あり。斯様に忙しき折に於ても忘れ物をなすこと勿れと注意を受く。午後訓育部長殿訓話及び月例身体検査あり。辛包強くなるべしと。
 身長 一六四・三 胸囲 八三・五 体重 五六・〇 呼差 五
未だ体格は不充分なり。鍛えん。何事をなすも結局体が物云うなり。十八時五十分より十分間校長殿の「青少年に訴う」とのラジオ放送ありて之を聞き真に我等若人が自覚せざるべからざるを感ず。良好なり。


1943-03-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月九日 火 曇

近日になく風強かりき。遂に今日を以て二学年の教授部授業も終了したり。午後は二年の最後として訓話。今日は愉快に何事をもなすを得て欣快にたえず。良好なり。


1943-03-10 陸軍記念日・武道大会 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月十日 水 晴

陸軍記念日にして武道大会あり。我は剣術・柔道各〃三本勝つ。運動班対抗のリーグ戦なりき。柔剣道を合計し
 一位 2班 二一四本 一〇四 一一〇
 二位 1〃 二〇七〃 一〇三 一〇四
 三位 6〃 一九四〃 一〇一 九三
 四位 4〃 一六九〃 九三  七六
 五位 5〃 一六五〃 八七  七八
 六位 3〃 一六二〃 八三  七九
 (二・三年合計とす) 剣術  柔道
かゝる結果にして、我等は一層の奮闘を覚悟し、又三年になりたれば武道に対する精励を誓いたり。陸軍記念部の合言葉「撃てし已まん」に関する鹿島教官殿講話及び野田生徒監殿の講話及び校長訓示あり。実に奉天大会戦の偉なるや。十八時よりの子供の時間に於て熊幼生活の一日に関する録音放送あり。此の時期に此の放送は誠に若人をして起たしめたるを信ずる。教育班会ありて、三年を前に二年の最後として大いにはり切り生徒監殿を招きて寝室に実施す。頗る良好。


1943-03-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月十一日 木 晴

午前中講堂・柔道場の掃除。午後は運動場掃除、昨日の誓を実施し柔道に行く。昨日よりむやみと柔道がしたくなりたり。運動班会は昨年の如く非ず八紘一宇の遊戯の下に充分とその目的を達し三年を愉快に送り得たり。


1943-03-12 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月十二日 金曜日 曇

生徒舎移転ありて中生徒舎へ行き一躍三年になりたる心地し愉快なりき。午前中に掃除も完了し午後は使役され校門外の掃除をなす。皆協同一致し真面目に熱心になしたる故に仕事がはかどり愉快なり。専心本務に励めば必ずや後に楽しきものあるを痛感したり。特に時間厳守不充分とて注意を受く。五時半非常呼集ありて剣術に身を固め一・二年対三年の所謂「たたき出し」ありて兜山上にて終る時に六時半。十九時より、学年切磋会ありて特に三年になりてよりの 下級生指導につき定めぬ。良好。


1943-03-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月十三日 土 晴

点呼を七・〇〇として実験す。先ず身辺の整理をなし、卒業式予行の為一〇・四五より大講堂に於て行わる。十四時半内務検査。十五時半より一時間半大講堂周辺の掃除をなし他は随意なりき。終日机に向う気になれずして頗るのん気にして我としても今は至し方なし。然し遺憾なり。夕食は徳丸教官殿と会食二十一時まで会を実施し教官殿送別会を行う。愉快に誠心こもりて充分その目的を達したり。尚江口生徒監殿・管・渡辺教官殿も夫〃御栄転の招集解除になられ挨拶あり。のんびりした中にも有意義なる日なりき。頗る良好なり。


1943-03-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月十四日 日 晴

五・三〇臨時外出にて入江・川野・手塚・品田・志水と共に武蔵塚へ行き、田舎の田舎を歩きて気を一新したり。十一時十五分帰校し町田生徒監殿宅へ遊びに行く。戦争ごっこに興味を持つ。裕典の愛嬌は一層御宅訪問を愉快ならしめたり。十九時半軍歌演習あり。春の日山野を抜渉し或は午後を団欒に用い休暇を充分に活用し得たり。元気溌剌有終の美を飾らん。良好なり。


1943-03-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月十五日 月 晴

栄ある卒業式を晴天下の春日和の日に行われたるを予は先ず喜となす。最後に日に当りて田中さんと一時間半語りぬ。卒業生術科は第三課長監覧の下に九・三〇より行われ式は大講堂に於て十一・〇〇より行わる。 恩賜品を授与されたる優等生は花田さん(一学班・小倉中)・高比良さん(二学班・長崎県)・工藤さん(五学班・大連中)の三方なりき。来賓・父兄の方と会食し、食後三年と別れの挨拶を述べ、帰省申告をなし、後三年を校門に送る。昨年の如く感情的に悲しからず稍〃楽しかりき。後帰省準備す。愈〃四十四期も此を出て我等は清水台上の覇王となりたり。そして益〃四十六期と手を繋ぎて伝統を継承せん事を覚悟したり。今我は誠に愉快なり。良好なり。


1943-03-16 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]自三月十六日 至三月二十八日

春季休暇により帰省
別紙に記載す


1943-03-29 高千穂丸遭難 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月二十九日 月 晴

佐賀に比し熊本の寒きに驚く。午前は九・〇〇帰校申告ありて、後に田代皎大尉殿(東幼三十五期・佐賀中学出身)の命課布達式あり。大尉殿は四十七期三訓、児玉生徒監殿は四十六期三訓となられたり。後校長訓示あり。昭和十八年度に於ける夫〃の方針及覚悟につき。田中真美は次期編入を命ぜられたり。他は随意、午後は愛校作業にて舎の周囲をなす。一向〔只管〕に独乙語をなす。夕に至り風を加え雨を共〔伴〕う。未だ休暇が思われて漸くたてる一日は愉快ならず。良好。高千穂丸遭難状況を承り僅か四分間にて沈みし故渦に間にあわずして巻き込まれたらなんと。松浦も十分八九生きある見込みなしと。元気なりし松浦が次々と思い出されて寂しき感に打たれたり。

〔nagajis:高千穂丸は1943年3月17日米潜水艦の雷撃を受けて沈没。他に東幼・広幼の生徒も乗船していた〕


1943-03-30 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月三十日 火 雨

今日も亦新入生の体格検査行われたり。新入生は四十六期生よりも肥大なりと思いたり。午前中は北生徒舎に行き整頓・掃除を行う。午後は生徒舎掃除・身辺の整理なりき。終日清潔整頓を行い硝子拭きは飽きたり。然し之も良き精神修養ならんか。剣術。運動班切磋。之で二日目も終えたるか。あと百二十九日なりと。皆今が最も真剣なり。我もなす。正しき一日なりき。良好なりき。


1943-03-31 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]三月三十一日 水 晴

愉快なる日なりき。午前中は二十六教室の掃除を二時間にわたりてなし後自習室も行う〔い〕て藁〔朱訂正〕にて床を磨き上げたり。気合と共に仕事がはかどり、その上心持よく硝子拭きよりはたしかに良かりき。午後は十三時三十分より校長〔殿〕巡視あり。後只管に新入生の入るを待ちつゝ待機す。十七時になりて四十七期生徒舎に来り我等奮って軍服を着るを助けたり。我の援けたるは重富達矢とて大牟田中学出身なりき。弟が増えたる為か何となく愉快にして本当に終日が気持ちよく行われたり。良好なり。


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