nagajisの日不定記。
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自宅から歩いて3分もかからない所に弁当屋がある。そもそも弁当はコストパフォーマンスが低い故にあまり利用して来なかったのだが、どこにも行けない日曜日、ちょっと贅沢のつもりで弁当を買うことが最近は多くなった。
お気に入りは唐揚弁当450円である。唐揚数個と御飯と漬物程度のシンプルな弁当だが、とりあえず自分はこれで満腹するし、何より付属のゆずしょうゆがいい。アツアツの唐揚にかけるとゆずの香りがプワーンと漂って食欲を刺激する。唐揚のカリカリ具合も自分好みである。
ある時この唐揚弁当に「大」があることを知った。他の客が「唐揚弁当「大」!」と訳知り顔に言い放つ場面に遭遇したのだった。もちろんメニューには「大」なんてない。いわゆる裏メニューだ。しかも「大」はたったの+50円であるらしかった。何だかちょっと、お得そうじゃないか。
そう思って次の週に唐揚弁当大を注文してみた。わくわくしながら自宅に持ち帰り、開けてみた時の、残念感。未だに忘れられない。唐揚が増えているような感じもしないし、もりもり詰まっている感じもしない。普通の唐揚弁当と、どこがどう違うのだろう。しばし思い悩んだ。
嫌味だとか怒りだとか、そんな低次元な話ではなく、純粋に知りたくなった。そもそも+50円の差に目くじら立てるほど自分は賢い消費者ではない。「唐揚弁当大」の「大」は奈辺に掛かるものなのか。それが純粋に知りたいだけだ。
この想いを店員さんにぶつけたりすれば変に誤解されて次回からマークされ何をされるか判ったものではない故に聞くことはできない。なので「大」と「ふつう」を買い比べ、写真に撮って見極めようという作戦に出た。言っておくがnagajisは大変小心者である。
…。結局判らんかった。諸賢はどれが「大」だかお解りだろうか。答えは気が向いたら書くことにする。脳内俺が「大と小を同時に買って比べたらいいんじゃね?」と囁いたこともあったが、前記の通りnagajisは至って小心者である。出来る筈がない。
この後も何回か買い比べてみたのだが、やはりその差を知ること能わず。そうして終いには悟りの境地に至ってしまった。
私は50円を払って「大」の観念を買っているのではないか
大きな唐揚や大盛り御飯、+1個の漬物の対価としてではなく、純粋に「大」なる観念を得るために、私は50円多く支払っているのではないか。「大」を買うことによる満足感のための+50円。抽象概念を金で買えるなら安いものではないか。そうして明日もまた、唐揚弁当大を購入するだろうことが目に見えている自分が情けない。
Before...
_ MIMIZUK [Apple Keyboard のほうに目がいってしまい唐揚げなどみな同じに見えてしまいます.ADB のほうはテンキーに何かこぼれてますし.]
_ なき [弁当を作る人の愛が(ry てか、量りで重さを量ってみては?]
_ 絹路 [唐弁のごはん大かそうでないかなんて議論できる廃道ブロクって...だからココは好きw ごはん"大"自体裏メニューって たいがい手書きで店のどこかに貼ってあるものですが。 このお店はいただけない。「..]